空色りぼんA
□揺れる炎
1ページ/1ページ
市街地に着くと調査兵団は既に巨人との交戦を始めていた。
戻る時に後ろに乗せてもらってたんじゃ皆が心配するから、と私からの申し出で私達はそれぞれの馬に乗ってエルヴィンがいるであろう中心部まで走った。
「ユキ!」
少し開けた場所に、エルヴィンと他分隊長ら幹部が集結している。
皆が私の姿を見て目を見開いていたが、中でもハンジは涙目になりながら私に飛びついてきた。
「ユキーーッ!良かったぁぁぁ!」
『うわっ、ハンジ汚い!離れて!』
「心配したんだよ!?本当に生きててよかった…っ」
涙と鼻水で汚れたハンジを引き剥がそうとするが、中々離れてはくれない。
心配かけてしまったんだろうと私は諦めて抱きついてくるハンジの頭を撫でた。
「よく戻って来てくれた」
『ありがとう』
「リヴァイもよく連れ戻してきてくれた」
「当然だ」
エルヴィンもそう言って笑ってくれ、ミケも頭を撫でてくれた。しかし、ここは壁外。のんびりと再会を喜んでいる暇はない。
私に張り付いているハンジをベリっと引き剥がしたリヴァイが口を開いた。
「これからどうする気だエルヴィン。目的地はこの先だろう」
「…あぁ、抜けようとしたが見ての通り巨人に足止めをされている状態だ。このままでは進めない」
「ここの巨人をある程度片付けないと、この先に進んでも拠点の確保ができねぇって事か」
「…あぁ、苦しい戦いから戻ってきたばかりでユキには申し訳ないが、そうするしかない」
エルヴィンが様子を伺うようにこちらに視線を向けてくる。私はにこりと笑って見せた。
『私は大丈夫だよ』
「…エルヴィン、先に補給をさせろ」
「あぁ、もちろんだ」
私とリヴァイは荷馬車の方へ向かい刃を補給する。
「俺は先に行く。お前はガスも補充しておけ」
『分かった』
”気をつけて”
…と、言う間もなくリヴァイはアンカーを放ち、あっという間に遠くへ行ってしまった。
私は自分のガス管を外し、
新しいものに取り替える。
「ユキ」
名前を呼ばれて見上げると、
そこには心配そうな表情をしたハンジがいた。
『なんだ、まだ行ってなかったの?』
「…うん、ユキが心配で…本当に大丈夫?」
きっと体力がない私を心配しているんだろう。確かに、普段の私なら今頃倒れこむように寝こけている。
だけど、今は違う。
リヴァイに後ろに乗っけてもらって大分回復したし、それにあの幸せな時間を思い出すだけで力が湧いてくる。
…って、変態か私は。
『本当に大丈夫だから』
それだけ言って、私はアンカーを放ち建物の屋根に飛び乗った。
何か言いたそうな表情をしていたが言うつもりはない。言ったら絶対に腹を抱えて笑い転げるに決まっている。そして、壁外調査から戻ったら散々からかわれるのは目に見えていた。
誰が教えてやるものか。
辺りを見渡すと確かに巨人がそこら中を歩き回っていた。ここから見えるのは5m級以上の巨人だが、3m級が建物に隠れているだろう。奴らは急に姿を表すからタチが悪い。
きっと体力はもう限界をむかえている。
だけど、体が支障なく動くのはきっと心が体を動かしているからだろう。
ブレードを構える。
チャキ…という音と共に手慣れてきた重量感が手のひらにのせられた。
ドシン、ドシンと言う足音を響かせ巨人が兵士に向かって歩き出すのと同時に、足場にしている屋根を蹴ってアンカーを放った。
**
***
パチリと瞳を開けると、
目の前では赤い炎が揺れていた。
暗闇に浮かぶそれを暫く見つめて、漸く思い出した。今は壁外調査中。そして、あの窮地を脱して市街地で巨人と交戦した私達は、何とか日没と同時に拠点へと辿り着いた。
それからエルヴィンに改めて討伐数と状況を報告をして、”本当によく帰ってきてくれた”と言われた。
特殊使用の刃を使ったと言うと“緊急事態だ、ユキの判断は間違っていない”とお咎めは一切無かった。それから、ハンジやペトラを始めとした色んな人達に囲まれて…。
…それからの記憶がない。
確かやっと夕飯を食べられると思ったのだが、…食べた記憶がない。
「起きた?」
聞き慣れた声に視線を上げれば、にこりと笑みを浮かべたハンジが顔を覗き込んできた。
『…寝てたの?』
「そうだね。急に力尽きたように倒れて、気絶してるのか寝てるのか分からないくらいだったよ」
ハンジがケラケラと笑う。
こいつの話によれば全ての報告を終えて城内に入った途端、前のめりに倒れたらしい。
近くにいたミケが抱きとめてくれたお陰で顔面から激突することは避けられたらしいが、そのまま目を閉じ動かない私をリヴァイがここまで運んできたらしい。
軽く辺りに視線を配るとここは小さな部屋のようだった。暖炉もあり、ほんわかと暖かい空気に包まれている。
記憶が途中ですっぽり抜けているのはそういうことだったのか…。
やってしまった、と片手で顔を覆う。またリヴァイに世話をかけてしまった。しかも拠点に着いてからとは言え、壁外で倒れるなんて以っての他だ。
皆の呆れ果てた顔を想像して深く溜息をつく。
『…みんな呆れてたでしょ?』
「そんなことないよ」
ハンジは先程の光景を思い出す。
ユキが倒れた時にリヴァイが一瞬浮かべた焦った表情。そして、舌打ち一つもせず”寝かせてやれ”と言ったリヴァイは、まるで壊れものを扱うようにユキをここまで運んできていた。
それを思い出すだけで笑えてくるが、それを知らないユキはため息をついて口を開いた。
『…ごめん』
「どうして謝るのさ」
『拠点についたとはいえ、壁外で倒れるなんて…』
「ユキは自分がどれだけ凄い事をしたか分かってないでしょ」
視線を向けるとハンジは珍しく真剣な表情を浮かべていた。
「ユキがあそこで巨人を食い止めていなかったら、市街地にどれだけの巨人が入り込んできたのか分からない。できれば想像したくないほどの被害が出ていたと思うよ?」
『…』
「1人で20体近くの巨人を相手にして、更に市街地でまた巨人を削いで…エルヴィンも言っていたけれど普通の兵士ならあり得ない戦果だ」
『…だけど、リヴァイだったら私と同じ成果を残して、今でもピンピンしてたと思う』
「リヴァイは特別だからね。でも、ミケだったら生きて帰って来られなかったかもしれない」
それでも結果を残して、生きて帰って来られたことは凄いことだと思わないかい?
…と、ハンジは言う。
それでも尚、不満そうな表情を浮かべるユキに、ハンジは小さく苦笑して口を開いた。
「ユキ、本当に戻ってきてくれてありがとう」
『…気持ち悪い』
「酷いなぁ、これでも本気で心配したんだよ?」
帰って来た私の姿を見た時のハンジの表情は、本当に”良かった”とだらしないくらいに口元を緩めていた。
その気持ちを素直に受け取れないほど私の心は捻くれてはいないが、ありがとうと言えるほど素直でもない。
「出発前にユキ、自分の気持ちを教えてくれたでしょ?それが妙に怖かったんだ」
『怖かった?』
「まるで、自分が死んだ時に伝えてくれ…って言われているみたいでさ」
『…』
これは中々鋭いところをついてきた。
”伝えてくれ”などと強制はしないが、もし死んだ時に誰にも分からないままになるのは少し寂しいと思ったのは確かだ。
まぁ、伝わればいいかもしれないという程度だったが、やはり多くの仲間の死を見てきているハンジにとってはそういう風に受け取れたのだろう。
『変な心配かけさせた。…でも、私は死ぬつもりないから』
「それを聞いて安心したよ」
ハンジはまた安心したように笑う。
「それで、いつ気持ちを伝えるの?」
『言うつもりはないよ』
「どうして?」
『どうしても。』
まるで感情の篭っていない声で返された言葉に、ハンジは眉根を寄せる。
黒髪の隙間から見える瞳があまりにも悲しそうに揺れていて、いくつもの言葉にも勝るそれに一瞬、言葉を失った。
始めはからかって言ったつもりだったが、そんなに軽いものではなかったようだ。”触れてくるな”というオーラがひしひしと伝わってくるが、それを放っておきたくはなかった。
ユキはこれだけリヴァイを慕っていて、リヴァイもユキの事を特別に思っていることは間違いない。
だから、お互いに隠す必要など全くないのだ。このどうしようもないほど不器用な二人の、どちらか一人の口から素直な気持ちがでれば、最後に残された二人のほんの少しの距離は無くなるだろう。
「私は、早く伝えた方がいいと思う」
『楽しもうとしてるからでしょ?』
「楽しんでるか楽しんでないかと言われたら、間違いなく楽しんでる」
”…オイ”、という瞳を向けるユキだったが、ハンジの真剣な瞳に口を閉じた。
「だけど、これは真面目な話。今回は助かったけどこの先今回みたいな状況がまたあるかもしれない。いつも死と隣り合わせな私達だからこそ、伝えなきゃいけないことは早めに伝えておいた方がいいと思うんだ」
死ぬ直前に伝えておけばよかったと思うのは悲しすぎる。
壁外調査に死はつきものだ。
リヴァイの命令によってユキは死なないと言っているが実際何が起こるかは誰にもわからない。
いつ、誰が命を落としてもおかしくない状況に身を置いているからこそ伝えるべき事は伝えておかないと、その想いは一生相手に伝わることなく消えていくこともある。
それは、あまりにも悲しすぎる。
「自分の思いを相手に伝えられるのも、生きている間だけなんだよ?」
パチパチと木が燃える音だけが響き渡る。
焚き火の光によって赤く照らされたハンジの顔は、いつになく真剣な表情を浮かべていた。
私は思わず口元を緩める。それは小さく零れた溜め息とともに浮かんだものだった。
『それでも言うつもりはないよ、多分一生』
「どうして…?」
『私みたいな人間にそんな権利はないから。』
「…権利?」
ユキの細い指先が落ちていた枝を拾って燃え盛る炎にくべる。
少しだけ炎が揺れた。
『私のような汚れた人間が呑気に幸せになる権利はない。それが私への戒めだから』
「そんな事関係ないでしょ!?それを言うならリヴァイだって同じじゃないか…っ…どうし」
『男と女じゃ、違うんだよ。』
被せるように呟かれた言葉に、
ハンジは言葉を失い息を飲んだ。
平然と紡がれた言葉の重みを知らない訳じゃない。実際に足を踏み入れた事はないが、噂を聞いていれば充分地下街の様子は窺い知る事ができる。
そしてそこで、親も身よりもない東洋人の少女がどういう扱いを受けてきたのかということも。
…その彼女が名を馳せるまでに、どのような事をしてきたのかということも。
全て分からないほど、私はお嬢様でもお子様でもない。
だけど、どうしても納得できなかった。その過去があるから、ユキは気持ちを伝えることができないのか?
それはあまりにも理不尽すぎる。
好きな相手に気持ちを伝える権利は誰にだってあるはずだ。そして幸せになることに権利なんてものは始めから存在しない。
誰もが幸せになっていいはずだ。例えどれだけ辛い過去を背負っていようが関係ない。ユキは列記とした一人の人間なのだから。
「だから何だよ!今ここにいるのは間違いなく調査兵団副兵士長のユキでしょ?過去の事なんて関係ないよ!?」
『…』
「ユキだって好きで地下街にいたわけじゃないし、望んで悪事に手を染めてたわけじゃないんでしょ!?だったら、何も我慢することなんてない…権利が無いなんて自分で自分を縛り付ける必要なんてないじゃないか!」
私はユキじゃないから何があったのかなんて知らない。ユキは元々自分のことを話したがらないし、私も彼女が時折零す以上の言葉はあまり求めないように気を使っていた。
だけど、今こうしてここにいるのは私たちと一緒に馬を走らせ、お互いに背を預ける信頼し合える仲間だ。
甘いものがとんでもなく好きで、不器用で、一人の人間を慕うただの一人の女の子だ。
そこに過去は関係ない。少なくともリヴァイはそんな過去の事云々を気にするような人間ではないし、そもそも奴はユキの素性を知った上でユキを好いている。
過去があるからこそ、
今のユキがいる。
黒瞳も笑顔も、寂しげに浮かべられるくせに何故か人の心を引き寄せて離さない。
笑顔の裏に隠された彼女の弱さと、強く生きようと足掻く姿があまりにも儚く美しいのだ。その姿が人を惹きつけるのだと私は思っている。
そしてそれは、あのリヴァイをも惹きつけた。今まであんな風に気を許しているリヴァイを見たことが無い。あれは、ユキだからできたことだろう。
なのに、ユキは何を迷っている?何故、自分で自分を責めて縛り付けて苦しんでいる?
「今まで散々苦しんできたのに、どうしてまだ苦しまなきゃいけないのさ!?」
『…』
「そんなのおかしいよ!過去を引き摺って自分を責めたって、何にもならないじゃないか!」
無意識に大声を出してしまったらしく、部屋に声が響き渡る。私は椅子に座るユキに視線を向ける。彼女の瞳は背筋が凍るほど冷たい光を灯していた。
しかしその姿に威圧感などは全くなく、むしろ消えてしまいそうなほど儚いものだった。まるでこの世界にたった一人でいるかのような…そんな不安定さに胸が締め付けられたように痛んだ。
小さな静寂が落ちる。
「…、…いい加減自分を許してあげなよ」
私の口から出てきた声はあまりにも情けなく震えていた。
ユキの瞳がゆっくりと上げられ視線が交わる。次に赤い唇から紡がれた声は不気味なほどに澄んでいた。