空色りぼんA

□素直になれたら
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『散々苦しんだ分、散々他人を苦しませた。ハンジが思っている以上に私は汚れた人間だよ』


酷く冷淡な声と凍りつくような冷たい瞳に、自分の内にあった熱いものがすーっと消えていった。

先程まで悲しさや疑問、思い通りにならない事にどうしようもなく困惑していた。

何故ユキがこんなにも苦しまなくてはいけないのか。どうしてユキばかりが重い過去を背負わなくてはいけないのかと、不公平な運命を恨んだ。


だが、ユキの表情を見てそれが一気に覚めた。

…どうしようもないんだと諦めたのではない。代わりに私の中に湧き上がってきたのは怒りだった。


「怖いの?」

『…は?』

「いろいろ言ってるけどさ、結局ユキは自分の気持ちを伝えて、拒否されるのが怖いんじゃないの?」


細められたユキの瞳が私を見上げる。その目には怒りが込められていたがそれがどうした。


『何が言いたいの?』

「ユキはここに来てから大分変わったと思う。前より心を開いてくれるようになったけど、やっぱり最後には一線を引くんだ」


”それは私達を信用していない証拠でしょ?”と続けられ、ユキは眉間に皺を寄せた。


『私は充分みんなを信用しているつもりだよ』

「私もそう思いたい。だけど、ユキは肝心なことになると一人で抱え込んで、他人を絶対に近寄らせない」


人一倍警戒心が強いユキは、決して他人を踏み込ませなかった。

最近では少し緩くなったような気もして嬉しかったが、肝心な事となるとやはり一線を引いて遠ざける。



[臆病者には、臆病者で充分だよ]


いつかユキが言っていたことを思い出す。

始めはそれが理解できなかった。どう見ても強く気高く、いつも凛としていたから。

しかし日を重ねていくうち、ユキが他人と自分の間に引いている一線に気づいてからその意味を徐々に理解した。


ユキは、人を心から信用することはない。

近づけたような気がしてもそれはただの気のせいで、いつまで経っても彼女の全てに触れることはできないのだ。

今もそう。結局一人で結論付けて、私には”入ってくるな”と線を引いている。

どうして信用してくれないのか?
どうしてこんなにも近くにいるのに話してくれないのか?信用しているのは私だけで、ユキにとっては所詮私なんでどうでもいいのか?



そんな怒りが湧いてきて、
ぐちゃぐちゃになってどうしようもない。

それなのにまるで他人事のように澄ました顔をしているユキに、更に怒りが湧いてくる。

世界の全てを悟ってしまったかのような目で、諦めたように笑っている。


後で思えばそれは、ユキが自分が傷つかないようにわざと他人事のように振舞っていたのだと分かったのに。

この時の私がそれに気づくはずもなく、ユキを責め続けた。


「いろいろ言っていても、結局は怖いだけなんでしょ?”しょうがない”って諦められるように、過去のことを引き合いに出して逃げてるようにしか見えないよ。」

『…』

「私には言い訳にしか聞こえない。臆病なユキの言い訳にしか」

『…何を怒っているのか知らないけど、そう思うならそうなんじゃないの?』


その言葉に、カチンときた。

ユキを睨みつけるが、普段比にならない眼光の男と一緒にいるユキには全く通用しない。


『本当の事を知らない人間は、そうやって無責任な事ばかりを言うんだよ』

「私はユキじゃないから分からない。それに、ユキが話してくれないのに分かるわけないじゃないか」

『話したら”あぁ、悲しいね。大変だってね”って同情してくれるの?それはお目出度くて、何とも無意味なやり取りだね』

「…っ」

『私はそういうのが一番嫌いだよ。』


最後のその言葉を聞きながら、ハンジは扉を乱暴に開けて出て行った。


ーー…バンッ!
と、扉が壁に当たり開きっぱなしのまま影が消えていく。

先程まで騒がしかった室内は一気に静まり返り、暖炉の火の音だけが響いていた。


…やってしまった。
私は机に肘をつき額に手を当てる。

いつものハンジなら一線を引けば必ず引いてくれていたのに、今回は違った。

彼女らしくない、真剣な表情と声色で訴えてきた。

ハンジがどうしてあんなに真剣になっていたのかは分かっている。全て私の事を思っているからだ。

これは自意識過剰なんかじゃない。奴は本気でそう言うことができる人間だ。だからこそ触れられたくない部分に触れられて、確信を付かれて私はらしくもなく焦って、突き放した。


[本当は怖いだけなんじゃないの?]


その言葉にドクリと鼓動が鳴る。心臓が直接握りつぶされたように感じて、”…あぁ、その通りなんだ”と実感した。

ハンジの言う通りだ。なんだかんだとは言っていても結局それは自分を護るための口実。自分には権利がないと言いながら、結局私は勇気がないだけだった。

だが、自分には権利がないと思うのも嘘ではない。こんな汚れた私を、リヴァイはどう思っているのだろうかと何度も考えたことがある。

兵士長と副兵士長として。…上司と部下としてならまだ許されている。

…だけど、それ以上は?


ーー…考えるのが怖い。

今の関係が壊れるのは嫌だ。近づくなと言われるかもしれないし、笑わせるなと一蹴されるかもしれない。

そんな事になったら私は笑って誤魔化せる自信がない。


ここではいつ死ぬか分からない常に死と隣り合わせの状況だ。死ぬな、と命令されているから死ぬつもりは更々ないがここでは何が起こるか分からない。

今日だってそう。巨人に一人囲まれて絶対に生き残れるという確信があったわけではない。

もしかしたらここで死ぬかもしれないと、そんな考えが一瞬頭の中を過った。

来る時にハンジに伝えておいて良かったと思ったことなんて、口に出したら怒られるから言わなかったけど。


いつ死んでも構わないと思っていたから前は全く恐怖を感じなかったのに、絶望的な場面に立たされて背筋が凍るような感覚に襲われた。

これが恐怖かと、唇を噛み締めてその感情を押し殺した。


そして思った。

…あぁ、リヴァイに言っておけば良かったなぁ…と。

ハンジに伝えてもらうのだけではなく、自分の口からちゃんと本人に伝えておけば良かったなんて思った。

死を目前にして、どうして言わなかったんだろうと本当に後悔した。


結局今回は生きて帰って来られたが次はどうなるか分からない。それを今日改めて思い知ったくせに、ハンジとこんな下らない言い争いをしてしまった。

本当にこんな自分には溜息しか出てこない。

これではどっかの男を不器用だなんて笑っていられないではないか。


ぎゅっと二の腕を強く握り締めると、ちくりと鈍い痛みが襲う。


…あぁ。もしあの胸に飛び込めたら、どれだけ幸せなんだろう。

地下街ではなく、普通の家庭に生まれてきていたら私は素直にこの気持ちを伝えることができたのだろうか。

自信を持ってリヴァイに”好きだ”と、”側にいたい”と言えたのだろうか。


『…っ』


膝を抱え、顔を膝に埋めて唇を噛みしめる。

どうせ臆病な私は言えない。だけどもし私が”普通の女の子”だったなら、今よりは自信を持てていたはずだ。


…悔しい。

とっくの昔に諦めていたはずなのに、悔しくて仕方ない。

調査兵団に入ってからこんなことばっかりだ。今まで動かさなくて良かった感情を動かしては喜んだり悲しんだり忙しない。


目頭が熱くなり、唇を噛み締めて必死に涙を堪える。自分の腕を掴む手に力を込めると、ギシッと骨が鳴るような音が耳に響く。


その時、扉の方で影が揺れた。



**
***



廊下を歩いていたリヴァイは、明日の準備をしている兵士の中を、もの凄い勢いですり抜けていくハンジの姿を見つけた。

どうしてあいつがここにいるんだ?ユキの様子を見ていたんじゃないのか?


「オイ、クソメガネ。ユキはどうし…」


声を掛けようとして、
途中で言葉を失った。

キッと鋭い視線で睨みつけてくるハンジの瞳には水分が溜まり、溢れ出したそれが頬を伝っている。


「…お前」

「ごめん、今は放っておいて」


ハンジはそれだけ言うと廊下の先へと消えていった。一体なんだというのだ。

あいつはユキの様子を見ているはずだった。だから、何していると聞こうとしたら…あろうことか泣いていた。

あのクソメガネが、だ。

一瞬真っ白になりかけたが、リヴァイはユキがいるであろう一室に向かう。


螺旋階段を降りて行くと扉は開けられたままのようで、中から火の明かりが漏れていた。

そしてその前に立った時、
俺は再び言葉を失った。

椅子に腰掛けているユキは、一つの椅子の上で膝を抱え俯いていた。

小さい体を更に小さくさせたユキは、自分の体を抱きしめるように腕を掴んでいる。


ユキの肩は、
小さく震えていた。


「ユキ」


声をかけると、
ユキの体がピクンと反応する。


「起きていたのか」

『…』


返事は返ってこない。腕を掴む手に更に力が込められたようで、団服越しに爪が食い込んでいるのが分かる。


「…さっきクソメガネが出て行ったようだが、何があった?」

『…、…なんでもない』

「だったら、顔を上げろ」


俯いたまま動かないユキに小さくため息をついて歩み寄る。


「一人で巨人を蹴散らしたかと思えば、倒れたり泣いたり…忙しい奴だな、お前は」

『…泣いてない』

「だったら、顔を上げろ」


ユキは顔を上げ、ゆっくりとリヴァイを見上げる。

その瞳にはたっぷりと水分が溜まっていて今にも零れ落ちそうだった。それを眉をハの字にして唇を噛み締め、必死に堪えていると言った状態のユキにリヴァイは息を呑む。

こんな今にも泣き出しそうなのを堪えている姿なんか見せられたら、たまったものではない。

自分で顔を上げろと言っておきながら視線をそらすこともできず、ただただ平静を装って口を開いた。




 

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