番外編

□番外編(第1章中)
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外れない足枷(2P〜7P)全6P



「いやぁ、まさかあんな豪華なご飯が食べられるとは思わなかったね」


ハンジが上機嫌で笑う。その隣で歩くユキもまた小さく口元を緩めていた。


『エルヴィンもリヴァイも行けないっていうから渋々来たようなものだったけど、なんか得した気分』

「初めはどんな文句を言われるのかと思ったけど、まさか歓迎されるなんてね」


今回二人は違う会議に出席するエルヴィンとリヴァイの代わりに、シーナにある本部に来ていた。

大体本部にお呼ばれする時はいいことがない。調査兵団への風当たりが冷たいのは今に始まった事ではないが、それを分かっていてわざわざ出向くのはやはり気分が乗るものではなかった。

しかし、副兵士長と分隊長という立場上どうしようもないと諦めて来た結果がこれだ。

蓋を開けてみれば何故か歓迎されるような雰囲気で、おまけに食事まで出された。何を企んでいるんだ?と思ったがその心配をよそに、最後まで本当に何もなく終わったのだった。

帰りの馬車が止めてある裏口まで、これまた豪華な装飾が施されている廊下を歩く。

その間何人かの貴族とすれ違ったが、自由の翼のエンブレムを見て殆どの人間は視線を逸らした。

(やっぱり今回の対談相手が特別だったのか…。)

そんな風に思っていたユキと一人の男がすれ違った瞬間、その男が口を開いた。


「大きくなったな、ユキ」


後ろを振り返ったユキと共に、ハンジも”…なんだ?”と振り返る。

男は足を止めて振り返るとユキの方を見て小さく笑った。

何の変哲もない40後半くらいの男。その男はユキに歩み寄ると、グッと唐突にユキの手を握った。


「今後とも宜しく頼むよ」


それだけ言うと、男は手を離して歩き去って行く。


「なんだったの?今の人、…知り合い?」


眉を潜めながら言ったハンジがユキの方を振り返った瞬間、大きく目を見開いた。


男が去って行った方向を真っ直ぐに見つめている黒真珠のような瞳は開かれ、左右に微かに揺れている。

額からは冷や汗が頬を伝い、その表情はまるでこの世で一番恐ろしいものを見てしまったかのような恐怖の色に染まっていた。

普段感情を表さないユキが浮かべた表情に、混乱したハンジは漸く口を開く。


「…ユキ?」


恐る恐る問いかけると、ユキはゆっくりと瞳を閉じた。そして再びその瞳が開けられた時、先程までの表情はすっかり消失しいつも通りの凛とした表情に戻っていた。


『何?』

「…いや、…今の人知り合いかなって思って」

『まぁ、腐れ縁みたいなものだよ』


”行こう”と言われ、ハンジは歩き出す小さな背中を追いかける。隣に並んだユキを見ればやっぱりいつもの表情だ。先程の表情の面影は一切残っていない。

あれは見間違いだったのか…?

しかし、自分は確かに見たのだ。恐怖の色に染まったユキの表情を。そしてユキの瞳は去って行った男をしっかりと捉えていたことを。


「…」


再び問いかけようと口を開こうとしたが、何も言わないユキから”これ以上踏み込むな”と言うオーラが出ていたのでそのまま口を閉じた。

ユキと出会ってから約半年経ったが、彼女との間には絶対的な距離がある。

そして、それ以上踏み込もうとすれば”これ以上近づくな”と跳ね除けられるのだ。

これは彼女が作り出している境界線。いくら仲良くなろうとも、この一線だけは出会った頃から変わらない。特に過去の話に触れようものなら真っ先にバリケードを張られてしまう。

元ゴロツキなだけに、話したくない事の一つや二つあって当然だ。

同じゴロツキだったリヴァイも、過去の話はしたがらないのだから。


ハンジはふとユキの手元を見ると、その手には小さな紙が握られていた。


[これからも宜しくな]


恐らく先程の男がユキの手を握った際に渡したのだろう。

しかし、それはなんだと聞くこともできず二人は馬車へと乗り込んだのだった。




**
***



淡い月明かりが夜の闇をぼんやりと照らし出す。このくらいの時間になると、流石に調査兵団の兵舎も静けさに包まれる。

そんな中、ガサリと草を踏む音が静かに響いた。


「早いな、いつから待っていた?」

『あなたが遅いんでしょ、私は時間通り来ただけ』

「そうか、そいつは悪いことをしたな」


壁に背を預けていたユキはゆっくりと瞳を開き、目の前の男に視線を向けて手に持っていた紙切れを見せた。


『”午前2時、調査兵団裏門に来い”…私はてっきりあの男が来るものだと思っていたけど、まさか憲兵が来るとは思わなかった』


ユキの前にいるのは先程廊下ですれ違った男ではなく、胸に馬の紋章を飾った憲兵だった。


「聞いたぞ?あの男は且つてお前を地下牢に閉じ込め、商品として男達に売っていた売人だったと」

『…』

「あの男を使えば必ずお前は来ると考え使わせてもらった。ホッとしたか?ここに来たのがあの男じゃなくて」

『…』

「…おっと、そう怒るなよ。お前のその目は心臓に悪い」


ユキは瞳を細め男を睨み付ける。その瞳はまるで視線だけで刺し殺せそうなほど、鋭く冷たく男を捉えていた。


「今回あんたを呼び出したのは、何もまた体を売れと言う訳じゃない」


”依頼に来たんだ”…という男にユキは眉間に皺を寄せた。


『依頼?』

「あぁ、俺を覚えていないか?」

『あんたみたいな小汚いおっさん、一人一人覚えているわけないでしょ』


ユキの言葉に男は”それはそうだな”と笑った。


「それ程お前は沢山の依頼を引き受けてきただろうからな、かく言う俺達第一憲兵もお前に何度か依頼をした。暗殺者としてお前は、最高の腕利きだったからな」

『…それで、また私に依頼をしにきたと?』

「そういう事だ、ただしそれを行う上で調査兵団副兵士長などという肩書きは邪魔だ。そいつは置いてきてもらう」

『つまり、私に第一憲兵の暗殺者になれと?』

「報酬は充分に払う」


ユキは”…はっ”と呆れたように溜息をついた。


『話にならない。私はここを離れるつもりはないし、暗殺業に戻るつもりもないよ』

「お前は金で動く人間だっただろう?いくら積んでも満足しない、だがその腕を借りようと数々の投資家がお前が満足するまでの札束を積んでその技術を買った」

『私はもう金じゃ動かない。第一私は暗殺とか細々したのは元から好きじゃないんだよ。もっと派手な方が好きなんだよね、だから私は巨人と派手に戦争するこっちのほうが性分にあってる』


男はユキの腰を見て、そこにあるはずのものがない事に気がついた。


「…刀まで手放して、今更”人は殺したくありません”なんて言うつもりか?」

『私が手放した訳じゃなくて取り上げられてるんだよ。それに、今更綺麗事を言うつもりはないね』

「そういうことだろう?今まで散々その手で人を殺めておいて、今度は人類の為に巨人を狩りに行くと言うのか?」

『…』

「いくら取り繕うともお前の中にある戦いの本質は変わらないな。人か、巨人か…。いずれにしてもお前は血生臭い戦場でしか生きられないようだ。」


ユキの口元が、
小さく吊り上がった。

月明かりに浮かぶ白い肌にのった赤い唇は何とも面妖で、黒髪の隙間から覗く一切光の灯していない瞳は不気味としか言いようがない。


ーー…地下街でその存在を知らないものはいなかった。銀色に輝く刃の標的となった人間は必ずその刃によって殺される。そいつが動くか動かないかは積んだ金によって決まり、端金では動かないと言う専らの噂だった。

しかし、その正体を知るものはあまりにも少なかった。それは依頼した人間もまた、他の人間に依頼され殺されていったからだ。

そんな人間の負のループのおかげで、この女は地下街でも”多少喧嘩の強い女”程度のゴロツキとして過ごすことができていた。

彼女と酒を囲んでいたうちの何人がその正体に気づいていたのか。

かく言う我々中央第一憲兵も血眼になって探して、漸く辿り着いたのだ。


『私を取り込めば口外される心配もないって?それともただ単に殺したい相手がいるのか…。その両方?』

「…」

『心配しなくても私は口外したりしないよ。この言葉にどれだけの信用があるか分からないけど、私もここでは”その時”の事を話したくないし、そっちも裏での事を知られたくない。だったら、お互い様ってことで口を閉じていればいい』

「…まぁ、こうなる事を予想していなかった訳じゃない。金を積めばのってくるだろうとは思っていたが…」

『それでどうするつもり?まさか、暗殺をさせるための勧誘を公にはできないでしょ?』

「あまり憲兵団を舐めない方がいい。権力が使えないのなら、お前がいた地下街と同じように力尽くで奪ってやるさ」


夜風が二人の髪を撫でる。
草木が微かに擦れ合う音が響くと、夜の闇は一層不気味さを増した。


「今素直に来ればただその手をもう一度血に染めるだけで済むが、駄々をこねて引き摺り込まれた後では手だけじゃ済まなくなるぞ」

『手だけじゃ、…ねぇ。口も使えって?』

「手と口だけじゃ済まねぇって言ってるんだ。その体を白い液と血で好き放題に汚され終われば人殺しをさせられる、気が狂いそうなほど楽しい毎日が待っている」

『やれるものならやってみろよ』


ユキはそう吐き捨て、裏口の扉から兵舎の中へと入って行った。

パタンと小さく閉められた木製の扉を暫く見つめていた男は、ゆっくりと踵を返してそこを後にした。



ーーー……。


扉に背をつけていたユキは、その向こうにある気配が遠ざかって行った事を確認して瞳を閉じる。

第一憲兵…奴らの仕事を引き受けたことは数回だったが確かにあった、覚えていないとは言ったがはっきりと覚えている。

副兵士長にもなり奴らにも顔が割れてしまったのは分かっていたが、向こうも表沙汰にしたくない依頼をしてきていた訳だから知らんぷりを通してくると思っていた。

なのに、お抱えの暗殺者になれと?

…馬鹿げている。
だが、そうすれば私が口外することもないし、殺したい相手も一気に片付けられると言ったところだろう。

…どうする?
私がここにいたら調査兵団に危害が及ぶ?…いや、向こうも口外したくない理由なのだから、そこまで派手にはやってこられないはず。

…だとしたら、どうやって?

昼間すれ違った男を思い出してぶるりと身体が震える。幼い頃、私を好き放題売り捌いていた売人。

もう私はあの頃とは違う。何も抵抗できない人形だった頃とは違う。あんな男の一人や二人、首を跳ねることなど造作もないことだ。


『…』


なのに、手が、身体が震える。
染み付いた恐怖心というのは、どうも簡単に取れるものではないらしい。

そんな情けない自分に思わず自嘲染みた笑みが零れる。…何をやっているんだ私は…。

例え向こうがどんな手を使ってこようとも、戦うしかないだろう。調査兵団に…リヴァイの側にいたいと思うなら。

いくら願ったところで過去は変えられない。だとしたら、その落とし前をつけられるのは自分自身に他ならない。


ユキはぐっと唇を噛み締めると、ゆっくりと松明の灯る薄暗い廊下を歩き出した。




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