番外編

□番外編(第1章中)
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救った命(35P〜36P)全2P



薄暗い地下街に、
小鈴の軽快な音が鳴った。


ーー…カラランっ


「おう、戻ったか」

『ただいま』


ブーツの底が木製の床に当たる度、コツンコツンと音を鳴らす。

カウンターの中にいた男は入ってきた少女の足音の中に、少し異様な音が混ざっていたことに気づき嫌そうに表情を歪めた。


「おいおい、頼むから外で洗ってきてくれよ。外じゃ気付かないだろうが、木製の床についた血の油は中々取れないんだぞ」


ーーバタン。

しかし少女はその言葉に耳を貸すことなく、扉を閉め階段を上っていってしまった。


「…ったく」



**
***



歩くたびにガチャガチャと立体機動装置が音を立てる。これを手に入れたのは本当につい最近のことだが、おかげで仕事が格段にやりやすくなった。

何より移動時間が早いし、
建物の中にも外から忍び込める。

一つ欠点を言うとすればキツく締められるベルトだ。このベルト跡は一晩経たないと消えてはくれないので厄介この上ない。


ーー…ガシャ、ガシャ

重苦しい立体機動装置を下ろし、水分を含んで重くなった洋服も脱ぐ。ブーツを脱いでシャワーへ向かえば歩く度に聞こえる「にちっ」という音と、床に張り付く嫌な感触がなくなった。


シャワーの暖かいお湯を頭から被る。下を向いたまま瞳を薄っすらと開ければ、先程殺した男の返り血が足元を流れていった。

透明な水に流れる赤は、
まるで金魚の尾ひれのように揺らめいていた。


**
***



ーー地下街。

王都を囲む市街地。
その地下街に存在する広大な居住空間。

一時期巨人から逃れるために地下で暮らすことが検討されていたが、結局移住は中止され残された廃墟は貧しい者や犯罪者の住み処となった。

スラムと化した深部は王政からも見放され、今や憲兵団すら立ち入りを躊躇するほどだ。


「ユキ、お前の仕事だ」

『…んー』


眠い目を擦りながら男から小さな紙を受け取れば、”まさかこんな時間に寝起きじゃないだろうな?”なんてお決まりの言葉を言われる。

言われて時計を見ればとっくに一日の半分は終わっていた。だが、私の生活では当然のこと。一般人が呑気に夢の中にいる時、私は飛び回っているのだから。

物心ついた頃から地下街に身を置いてもう十数年経つ。何も力を持たず、この髪と瞳のせいで好き放題に売り飛ばされていた時代から一変。

ある男との出会いをきっかけに私は地獄から抜け出した。…結局今もその男についての情報は全く掴めないままだが、こんな世界なのだからもうとっくに死んでしまっているかもしれないし、もう一度会えるかもしれないなんていう希望は持たないようにしている。

そして私は今この寂れた酒場の二階に住み着き、店主である男を通して仕事をしていた。


手渡されたメモに目を通し…、
その内容に思わず目を見開く。


『…シガンシナ区?』

「あぁ、そこにフォン家が向かっている」

『シガンシナって最南端の街でしょ?そんなところまで行きたくないし、しかも真っ昼間にやれって?相当頭のおめでたい依頼主だろうけど、私はやらない』


私はメモをカウンターに放り投げる。ここは腐っていても王都の真下。シガンシナまで行くのは遠すぎる。

第一真っ昼間に人一人殺せるわけがない。…いや、できなくはないだろうがリスクが高すぎる。そんな面倒くさいことを進んで引き受けるはずがない。


「そう言うな、報酬ははずむ」

『いくら?』


男は指を4本立てる。
思わず鼻で笑った。


『話にならない、その倍出してくれないと割りにあわない。』

「立体機動装置故障してただろ?依頼を受けてくれれば新しい立体機動装置を提供してくれるらしい」

『…ますます胡散臭いんだけど?』

「依頼主は憲兵団にも顔が利くお方だ。立体機動装置の一つや二つ、簡単に用意できるのは間違いない」


どうして私の立体機動装置が故障していることを知っていたのかは分からないが…、確かに新しい立体機動装置は魅力的だ。周知の通り立体機動装置は簡単に手に入るものではないし、今持っているものも奇跡的に手に入れられたようなものだ。

今の立体機動装置でも飛べなくはないが、何かの拍子で急に動かなくなる危険性がある。空中でそうなったりしたら…、軽い怪我では済まないだろう。

…シガンシナ区。
遠すぎる道のりに小さくため息をつく。


『…わかった』

「助かる」


そうして私は地下街の階段を上り、シガンシナ区へ向かった。



**
***


しかし、私は誰も予想していなかった事態に直面した。

響き渡る悲鳴。
鳴り響く鐘の音。

地響きと共に扉から入ってくる巨人。


『…嘘でしょ』


まさに100年の平和が壊された瞬間。久し振りに太陽の光を見られたと思ったら、人生で初めて巨人の姿を拝むことになるなんて。

思わず舌打ちが零れた。
屋根の上からは逃げ惑う人々と、不気味な笑いを浮かべながら向かってくる巨人達が嫌という程よく見える。

だが、目的の人物がいない。
予定ならここの路地裏を馬車で通る筈だったのだが、この混乱のせいで違う道から逃げてしまったという可能性もある。

…最悪だ。
ここまで遠出してきて、
標的を取り逃がすなんて。

このままでは報酬も立体機動装置もパァだ。それだけは何としてでも阻止しなくてはと、辺りを見渡す。


ーー…ドドッ、ドドッ!

『!』


耳が走り抜ける馬車の音を拾う。
アンカーを刺して飛び上がれば、大通りを駆け抜ける一台の馬車が見えた。

元々馬車自体走ることが少ないのに、この状況で今ここにいるということはほぼ間違いないと思っていいだろう。


私は再びアンカーを手頃な建物に刺して飛び上がり、先回りするため風をきる。

悲鳴に混ざり”どしん”、”どしん”と聞いたことのない地響きが近づいてくる。早く片付けて逃げないと、私も巨人の腹の中に収まってしまう。


ーー…ドドッ、ドドッ!


予想通りこちらに向かってきた馬車。建物から馬車の屋根に飛び移ることに成功し、そのまま背中に携えた刀に手を伸ばした瞬間……

……自分の身体に影が落ちた。



『…っ!』


ーー…ガシャァァァ!


見上げた瞬間自分に伸ばされていた巨人の手。間一髪立体機動で巨人の手と交差するように飛び上がって回避したが、体制を立て直して見てみれば馬車に乗っていた男が代わりに巨人の手に収まっていた。


「離せ、お願いだからやめてくれ!やめてください!」


男は間違いなく渡されていた写真と同一人物だった。大きな手のひらに摘ままれた男は大きく開かれた巨人の口の中に放り込まれていく。


『…待って、それは私の』


ーー…バキィッ!

骨の折れる音と、切断された身体から吹き出す血飛沫。あっさりと飲み込まれていく光景に思わず顔を引きつらせる。


…これが巨人。
話には聞いていたが、地下街で暮らす自分には関係ないといつも思っていた。巨人より人の方がよっぽど恐ろしいと昔から思っていた。

だけど、これはなかなかにキツい。こんな死に方するくらいだったら、どんなに汚い手を使われようが人に殺された方がマシだ。

男を飲み込んだ巨人の瞳がゆっくりとこちらに向けられる。


『…おっと』


再び伸ばされた手をかわして指の間をすり抜け、ローゼの扉を目指す。立体機動装置を持ってきていて本当によかった。これがなければ今、下を逃げ回っている人たちと同じ目にあっていただろう。

自分の手で殺った訳ではないが、この混乱の中ならそんなもの関係ない。誰も証言するものはいないし、私が殺ったといってもバレることはない。

兵士もまだ少数の駐屯兵がいるくらいで、しかもその兵士すら巨人の出現に怯えていてほぼ機能していない。


…本当に、なんでこんなについてないんだろう。私はまた自分の運のなさにため息をつく。


「うわぁぁぁぁん!」


悲鳴に混ざり、子どもの泣き声が後方から聞こえてきた。

振り返れば小さな少女が巨人の手に収まっていて、あと数秒後には巨人の口に収まるという光景だった。


まわりに兵士はいない。
地面に上半身だけ転がっているのは…、恐らく少女の親だろう。


『…』


私は踵を返し、
刀をきつく握り締める。

アンカーで巨人のこめかみを捉え、巻き取ると同時に地面を強く蹴り上げる。

冷たい風が頬を叩く。
自分の身体が空間を引き裂くように速度を増していく。


ーー…ブシィィィッ!

巨人の首を捉えた刃は思ったより容易に首と胴を斬り離した。飛んでいった首は派手な音を立てて建物の窓に突っ込み、残された身体は地面に沈んでいく。

身体を翻して巨人の手から零れ落ちる少女を受け止めて再び屋根に着地すれば、頬や腕についた巨人の血から煙が出ていて驚いた。

熱くもなく、冷たくもなく。
ただそれは煙を出し、まるで蒸発するかのように消えていくのだから。


「…おねぇちゃん」

『!』


ぼそりと零された声にハッと現実に引き戻される。巨人の血に驚いていてすっかり存在を忘れていた。

思わず助けてしまったものの、この後どうしたものか。しかも懐かれてしまったのか人形のような小さな手で洋服の裾を握ってくる。…こんな事なら気まぐれで助けるんじゃなかったと心の底から後悔する。

だが、泣いている少女を目にした瞬間、昔の自分を思い出してしまった。私も昔、絶体絶命のところをある男に助けられたのだから…。


…ドシン、ドシンッ!


『…何体でてくるの、これ。兵士は何やってるの…』


建物の隙間から姿を現した巨人は、相変わらず不気味な笑みを浮かべながらゆっくりとこちらへ向かってくる。

とりあえず一度抱えてしまったものはしょうがない…、取り敢えず門の近くまで連れて行こうと思ったその時……、


ーー…ぞわっ!

直後、背中に感じた視線に振り返れば、鋭い瞳を持った男と視線が交わった。

格好から男が兵士であることは直ぐに分かり、私は再び自分の顔が引きつったのを感じた。

自分の身体には立体機動装置。
これが兵士に見つかったらどうなるかくらい分かっている。しかも、それ以上に男の瞳は一度捕まったら二度と逃げられないような鋭さを纏っていた。

なんでさっきまでいなかったくせに、今更になって出てくるんだよ…っ!

変わらず鳴り響く巨人の足音。
向けられるだけで思わず後退りしそうになる男の瞳。


『…いたの?…あ、えーっと……この子を宜しくね、兵士さん』


私は少女を置いて逃げ出した。
後ろから呼び止めるような声が聞こえるが、聞こえないふりをしてただ只管建物の隙間を駆け抜ける。

それから暫く日も経たないうちに、私はあの男ことリヴァイに捕まることになる。



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