番外編
□番外編(第1章中)
45ページ/63ページ
特別な日(45P〜46P)全2P
「あれ、ユキは?」
いつものようにノックもせず開けられた扉にリヴァイはもう何も言わない。人間慣れというものは恐ろしい。私が言うことではないが。
「もう戻った」
「へぇ、珍しいね。まだこの時間なのに」
自分の時計を見れば、まだ部屋に戻るのには早い時間だった。いや、当然もう執務時間は終わっているのだが、ユキはリヴァイが終わるまでいつも必ず待っているのだ。
だが、今ここにユキの姿はない。彼女の机は綺麗に整頓され椅子も机に収まっていた。これは珍しい光景だった。
「何か用事があるのかな?」
「知るか」
「気にならないの?」
「ならねぇな、あいつが執務時間以外に何をしようが勝手だろ」
リヴァイは書類にペンを走らせる。確かにその通りだ。まだこの二人は特別親しい関係にあるわけではないのだから。…まだ。
だが、この男が気になっていないはずがない。いつもいるユキが、今日に限ってそそくさと帰ったのだから。
何かあることは明白。
どうせこの男は動揺を隠しているに違いない。
…全く、損する性格だなぁとため息をつく。しょうがない、気になって気になって仕方ないだろうリヴァイのために私が一肌脱いでやるか。
…というか私が気になるだけなんだけどね。あれだけリヴァイに忠実なユキが彼をほっといて何をしているのか。…楽しそうじゃないか。
「ふふふ」
思わず笑った私にリヴァイの冷たい視線が突き刺さったが無視だ。私は鼻歌を歌いながら執務室を出た。
**
***
「そうそう、それでそこを人差し指にかけて輪の間に通して」
私は目の前で繰り広げられる攻防を見守る。はたから見れば何でもない…ただマフラーを編んでいるだけなのだが、本人は至って真剣に取り組んでいる。
立体機動の訓練の時より険しい顔つきになっているのは気のせいではないだろう。
[ナナバお願い、私にマフラーの編み方を教えて]
ユキが私にそう言って頼み込んできたのは一週間前の事だった。ユキからの急な申し出に正直始めは困惑した。
どうしてユキが急にマフラーを編みたいと思ったのかも分からなかったし、そもそもマフラーの編み方くらい知っていると思った。
ユキはなんでもそつなくこなしてしまう。だから、マフラーくらい簡単に編めるものだと勝手に思っていた。
…が、やってみればどうだ。
訓練でも壁外でも頭一つ飛び抜け息を付く間も無く巨人の項を削ぎ落とすあのユキが、二本の棒と一本の毛糸に苦戦している。
眉間に可愛らしい皺を刻み、手編み棒が目に刺さるんじゃないかと思うほど顔を近づけて必死に指先を動かしている。
どうやら細かい作業は得意ではないらしい。巨人をいくら倒せる力を持っていても、編み物は全く別物。
私は班員の意外な一面にほっとした。超人だと思っていた彼女にも苦手なことはあるようだ。
「ねぇ、どうしてマフラーを編もうと思ったの?」
もう何度もしている質問を投げかける。そうすると決まって「なんとなく」という曖昧な答えが返ってくるのだが…。
『なんとなく』
今回も同じだった。だが、今回ばかりはそれで見逃してあげるつもりはない。
なんと言ったってこのユキがこんなに必死に毎日毎日私の前でマフラーを編んでいるのだ。気にならないはずがない。まぁ、黒い毛糸を使っているあたり自分のではないだろう。…と、いうことは大体誰に渡すのかは予想できるが。
「いい加減本当のことを教えてよ」
『だから、なんとなく編みたくなっただけなんだって』
「誤魔化すならこの先教えてあげないわよ?」
ぴたりとユキの手が止まる。私は自分でも意地の悪い笑みを浮かべているんだろうなと思うが…、こうでもしないと喋らない相手だと言うことは重々承知している。
ユキは私の顔を一度見上げ、小さくため息をついた。
『…プレゼント』
「リヴァイ兵長に?」
ユキはこくんと頷く。
毛糸の色と同じ彼女の黒髪がさらりと肩から零れ落ちた。
「なんでまた?」
『一週間後、誕生日だって聞いたの』
あぁ、それで一生懸命マフラーを編んでいるのか。なんともいじらしい話じゃないか。
ユキは指先をちょこちょこと動かしながら口を開く。
『リヴァイに少しでも返したいから』
「そのリボンのお返し?」
そう言うと、ユキは少しだけ驚いたように目を開いた。何故、このリボンがリヴァイからもらったことを知っているんだろうといったところだろう。
確かに、彼女は言っていない。
もちろんリヴァイ兵長も。
言いふらしていたのはハンジ分隊長だ。2、3秒してユキは何と無く気づいたのかもう一度ため息をつく。
この短時間で状況を理解できたということは、こんなことは日常茶飯事なのかもしれない。目の前の少女は相当な苦労人だとこっちの顔が引きつってしまう。
ユキは改めて口を開いた。
『それもあるけど、それだけじゃないの。私はリヴァイに色んなものをもらってるから、少しでも返したくて』
それが物でないことは簡単にわかった。ユキがもらったと言っているのは目には見えないが、確かに彼女の心に強く根付き支えとなるもの。
…だが1つ言いたい。
ユキは自分がもらっているだけと思っているだろうが、それは相手も同じだ。
リヴァイ兵長も、ユキに沢山のものをもらっている。それはユキが来る前からのあの人を知っている私にはよく分かる。
ユキが来てからあの人は変わった。本当に目に見えるほど雰囲気が柔らかくなった。
纏っていた鋭い雰囲気は和らぎ、威圧感は残るものの前より大分近寄りやすくなった。…とはいっても気楽に声をかけられるほどのハードルの低さでもないが。
それはユキが影響していることは明らかで、ハンジ分隊長もよくその事について二人のいないところで喋っている。
ユキはリヴァイ兵長を慕っている。
リヴァイ兵長はユキを心の拠り所としている。
誰にも寄りかからず一人で歩み続けていた一匹狼が、ユキの前では唯一その荷を下ろす。
兵団に来た当初、
彼には違う仲間がいた。
だが、その仲間を最初の壁外調査で失ってから彼は心の拠り所を持たないままだった。エルヴィン団長や分隊長とはよく話していたが、ただそれだけ。結局彼が心を預けるまでには至らなかった。
だが、ユキの前でだけリヴァイ兵長は時折足を止め、彼女の隣に腰を下ろすようになった。
背負っていた荷物を降ろして、
無防備に瞳を閉じてユキに身を預ける。
ユキはそれを受け入れ、自分も相手に寄りかかる。そうやって二人はお互いに支え合い、相手がすやすやと眠っていることを確認し、起こさないように細心の注意を払いながら相手の荷物をこっそり自分のリュックに詰めるのだ。
そしてまた立ち上がる。
同じ大きさのリュックを背負って。
『最近寒くなってきたからね』
ユキは柔らかく笑う。
嬉しそうに、幸せそうに。
正直、ユキのこんな表情を見たのは初めてだった。同じ班員として一緒にいてもユキが見せるのはへらへらと張りつけたような笑みだけ。
…あぁ、これか。
と、妙に納得してしまった。
あの堅物なリヴァイ兵長は、
この笑顔にやられたんだと思う。
そういう表情にさせているのは間違いなく自分なのに、あの人は気づいていないんだろう。
こうしてユキが少しでももらったものを返そうと、部屋の外から楽しそうに酒を飲み交わす声に目もくれず、必死にマフラーを編んでいることも。
「なんとしてでも完成させないとね」
『うん』
ユキはこくりと頷く。
こうしてみれば本当にただの女の子だ。壁外に出れば巨人を瞬殺してしまうようには到底見えない。
『ナナバどうしよう通すところ間違えた!』
「焦ることないわ、こっちに通せば大丈夫だから」
ほっと安心したように肩の力を抜くユキを、心底リヴァイ兵長に見て欲しいと思った。
**
***
「…何してるんだろう」
私はユキの執務机に突っ伏して呟く。さらさらとリヴァイがペンを走らせる音だけが響く執務室。
やっぱり今日もユキはいなかった。これで一週間近くこの状態が続いていることになる。
しかし、いくら探してもユキはどこにもいない。自室、談話室、資料室、団長室…どこにもいないのだ。
「今度聞いてみてよ、何してるんだ?って」
「誰が聞くか。前も言ったがあいつがどこで何をしようが俺には関係ないだろう」
…とかなんとか言っちゃって、本当は相当気になっているくせに。本当は「ユキを知らないか?」って他の兵士に聞いてるの知ってるんだから。
それにしても、ここまでくるとユキはこの時間兵舎にいないんじゃないかとさえ思えてくる。
そうしたら一大事だ。
ユキに限ってそんな事はないと思うが…、私達の知らない「何か」をしているということになってしまう。
一体何をしているんだユキは…。かといって、ユキに聞いたってはぐらかされるのは目に見えている。
…どうしたものか。
私は立ち上がって持ってきた書類を脇に挟み、扉へ向かう。ここでのんびりしていてもしょうがない。…というかピリピリしているリヴァイとこれ以上一緒にいたら八つ当たりされそうだ。
執務室の扉を閉める。
リヴァイは何も言わなかった。
「余計な詮索をするな」とも言わなかったということは、やはりリヴァイもユキの行動を気にしているという証拠でもある。
何時も側にいるユキが、
急に自分の手から離れてしまっているのだ。リヴァイも平然としていられるはずがない。
…って言ってもなぁ。
まいったなと思いながら廊下を暫く歩き、目的の場所についた私は扉をノックする。
エルヴィンやユキとは違ってここはナナバの部屋。長い付き合いとは言え、流石に礼儀は通すべきだろうとノックは欠かさない。
その時、部屋の中でドガッと何かがぶつかったような音がした。…なんだ?
「は、はい」
「私だよ、ハンジ。ちょっといいかな?」
「ちょっと待っててください」
少し慌てたような声に疑問が浮かぶが…、ここは個人の部屋。着替えていたとか男を連れ込んでいたとか…何かあるのだろうと深く考えるのはやめて大人しく待つことにする。
すると数十秒後、
ガチャリと扉が開いた。
「お待たせしました」
「いや、こっちこそ急に押しかけちゃってごめんね。この書類を届けに来ただけなんだ」
「そうでしたか、わざわざすみません」
ナナバはぺこりと頭を下げる。
その様子に何の不自然さもない。
私はおやすみとだけ言い残してその場を立ち去る。テーブルに湯気が立った二つのマグカップが置いてあることも、特に追求はしなかった。
「あーぁ、ユキはどこで何してるんだろう。」
next