番外編
□番外編(第1章中)
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とばっちり(全1P)
ーー…カツン
柔らかな光が差し込む室内に、
小気味良い音が響き渡った。
1つのテーブルを挟み睨み合う二人。
やがてユキは力尽きたようにテーブルに額をつけると、向かい合っていたエルヴィンは得意げに口元を緩めた。
『やっぱりエルヴィンには敵わないかー…』
「いや、いい勝負だった。」
2人が真剣な表情で見つめていた先にはチェス盤。数十分前に始まった勝負の軍配はエルヴィンに上がったのだった。
「それにしてもユキは本当に奴とそっくりだな」
『…リヴァイ?』
「あぁ、前にリヴァイと一度こうしてチェスをしたことがあったが、攻め方も守り方もそっくりだったよ」
可笑しそうに笑いながら言うエルヴィンに、ユキは机につけた顔を少しだけ上げて頬を膨らませる。よほど悔しかったのだろうが、そんな表情をするユキを超絶可愛いと思ったのは今は置いておこう。
審判として(…と言う名のサボり)2人の様子を見ていた私が、あまりにもリヴァイと同じような手を使うユキに途中で笑いそうになってしまったのも黙っておこう。言ったら怒られそうだし。
ユキを娘のように可愛がっているエルヴィンの事だから、普段ならば多少手を抜いてユキに勝利を与えてやっていただろうが、今回エルヴィンがそうしなかったのには理由があった。
「…と、言うわけでだユキ。私の願いを1つ聞いてもらおう」
そう、これだ。
勝負を始める前に2人は「勝った方の言う事を1つ聞く」という子どものような約束を取り付けてからこの勝負に挑んでいた。
それからというものエルヴィンは壁外調査でしか見せないような真剣な表情でチェス盤に向かっていた。こいつ、絶対に勝つ気でいるな…?と思ったがやはり私の予想通りエルヴィンはユキを見事に負かし勝利を得たのだった。
「エルヴィン、分かってると思うけど常識の範囲内でのお願いにしてよ?」
私は恐る恐る確認をとる。まさかこの男に限って変な願いなどしないとは思うが…、ユキの事となると何を言いだすか分かったものではない。
そうなればユキを心底大事にしているリヴァイの八つ当たりを受けるのは私達に他ならない…それだけは勘弁してくれよと視線を向ければ、エルヴィンは「ハンジ、いくら私でもそれくらいは心得ている」と返された。
『それで、エルヴィンのお望みは何?』
ふて腐れたユキが顔を上げて問いかけると、エルヴィンはフッと口元を緩めた。
「明日、私と街に買い物に行こう。」
**
***
コツ、コツ、コツ、コツ…
「…」
「…」
コツコツコツコツコツコツ…
「あああもう煩いな!今やってるんだから静かにしててよ!」
私は書類に向かっていた顔を上げ、目の前でソファにふんぞり返っているリヴァイに叫ぶ。
ずーっとコツコツコツコツ貧乏揺すりしやがって!これじゃぁ集中できないよ!
というと、リヴァイは元から眉間に刻まれていた皺を更に深く刻み、不機嫌さを隠しもしない地を這うような声で言った。
「何を偉そうに言ってやがる。元はと言えばお前が昨日までが期限の書類をこのクソ汚ぇ部屋にほったらかしにしてたからだろうが」
「……ぐっ」
正論すぎる正論に言い返す言葉が見つからない。しかし、…しかしだ。こんなプレッシャーをかけられ続けていたんじゃ気になってペンも進みやしない。
ユキも同じようによくそこのソファにふんぞり返って貧乏揺すりしてくるが、この2人に何か取り決めでもあるのか?と思う。「ハンジの書類を急かす時はあのソファに座って睨みつけろ」的な。
でも、こんな狂犬のような男に睨まれ続けるならユキの方がまだマシだ…。しかも、今日のリヴァイときたら扉を開けて部屋に入ってきた時から怒りゲージが振り切れている状態。
それは言うまでもなくリヴァイが大切にしてやまないユキが、なんと朝からあのエルヴィンと一緒に街へ買い物に行っているからだ。
久し振りに丸一日休日ができたとは言っていたが、まさかチェスでユキを負かして一緒に買い物に連れて行くとは思わなかった。そんなことをすればリヴァイの怒りを買うことは目に見えていたはずなのに、エルヴィンときたら私に日頃の恨みを晴らさんとばかりにこの狂犬を押し付けてユキとデートへいってしまったのだ。
おかげでこっちはとんだとばっちりをくらっている。昨日うきうきと準備をしていたエルヴィンの顔を思い出し、イラっとしてしまうのは仕方のないことだろう。
今朝だってエルヴィンはそれはそれは嬉しそうに出て行ったのもあるが、ユキもユキで昨日から街での買い物を楽しみにしていた。
リヴァイが怒っているのはそんなユキの態度のせいでもあるに違いない。
リヴァイはユキと一緒に休みがとれたら、一緒に買い物に行こうという約束をしていたらしい。…だが、なかなか休みが合わずにいたら、まさかのエルヴィンに先を越されたのだ。
しかも、ユキも満更でもない態度をとっていたのだからリヴァイの怒りメーターは振り切られてもおかしくない。言ってしまえば当然の結果だ。今回ばかりはリヴァイに同情さえする。あの二人のように態度には絶対に出さないが、リヴァイもユキとの買い物を楽しみにしていたのだろうから。
「まぁ、気持ちは分かるけどさ…ユキはどこにもいかないんだし次の機会もあるじゃない」
「何の話だ?」
「……」
どうやら私は地雷を踏んでしまったらしい。慰めたつもりが狂犬の怒りを買ってしまった…まるで殺してやると言わんばかりの視線が額に突き刺さる。
…あぁ、もう悪かったから許してくれ。このままじゃ身体に穴が空くってマジで…。
私が再び書類に向かい合うと、額に突き刺さっていた視線がなくなったような気がしてチラリと様子を伺う。
するとリヴァイは窓の外を見ていた。恐らく今頃市街で楽しんでいるだろう2人のことを考えているに違いない。
そんな鋭い瞳で睨みつけたってユキは返ってきやしないのに…。ここまでユキに依存してしまったのかと思うと可笑しくなってつい小さく笑みが溢れた。
…直後、ギロリと視線が向けられる。
ヤバい、…削がれる。
私の動物としての本能が危険信号を鳴らし、静かに視線を書類に落とす。何をされるのかとドキドキしていたが、思いの外リヴァイは何もしてこなかった。これは相当重症かもしれない。
リヴァイをこんなにも揺さぶれる人間は、今後一切現れないだろう。そう思うとユキの凄さを改めて実感する。
人類最強と呼ばれている男を、
こんなにも惹きつけているのだから。
私は時計を見ながら、まだ暫く帰ってこないだろうなとまだまだ続くこの辛い時間を思いため息をついた。
**
***
『いやぁ、楽しかった!』
私が書類地獄から抜け出した数十分後、両手に大荷物を抱えたユキは満面の笑みだった。
両手の大荷物は言うまでもなくエルヴィンに買ってもらったものだろう。ユキは自分からねだるようなことはしないので、エルヴィンが一方的に買ってあげたのだろうが…先程すれ違ったエルヴィンもそれはもう満足そうな顔を浮かべていた。
よほどユキとの買い物が楽しかったのだろう。あの顔を見たときのリヴァイの怒りは計り知れない。
「よかったね、ユキ。」
『うん。エルヴィンと買い物なんて滅多にない機会だしね』
そう言って笑うユキの満足そうな表情が、リヴァイの嫉妬メーターに止めを指すのだろう。
どうかその怒りがこちらに来ませんようにと、私はただ祈るしかないのだった。
END