番外編

□番外編(第1章中)
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最後の願い(61P〜63P)全3P



「より多くのこと」で行われた壁外調査の帰り道からのお話。このときはグンタと主人公が同じ班だったという設定。


**
***


「ちょっと待って!」


捕獲作戦も終了し兵站拠点にも備蓄を置くことに成功した今回の壁外調査は、あとは無事に壁内に戻るのみという段階まできていた。

あとはローゼの壁に向かってひたすら馬を走らせる…そんなとき、班長であるナナバが馬を止めた。


「ナナバ班長、どうしたんですか?」

「壁外で立ち止まるのは危険です。行きましょう」

「あれを見て」


周りは建物が囲む市街地。巨人に破壊された建物が多く見受けられるそんな景色の中の一部分に、ナナバは視線を向けていた。

私も馬を止め、班員に習う。
少し開けた場所だった。

かつては噴水から吹き上げられた水が青い空に伸び、さぞ綺麗な場所だったのだろう。自然と人々が集まり、癒しの場所となっていたはずだ。

しかし、今では破壊された家屋が大通りの道を塞ぐように崩れ、飛沫をあげていたであろう噴水は無残にも原型を留めていない。血痕が至る所に飛び散り、壁や地面を好き放題染め上げている。

私たちが目にしたのはそんな悲惨な光景の更に遠く…、崩れた瓦礫の奥に深緑色の塊が転がっている光景だった。


…あとは帰還するだけだというのに。

深緑色のそれが調査兵のものであることは間違いない。この付近に巨人が潜んでいるというのは明らかだ。近くで確認したわけではないからあれがどこの班かは分からないが、自分たちからそう遠くない配置だろう。


「…行くしかないわね」

『ええ。』


悔しそうに唇をかみ締めながら呟くナナバの言葉に頷き私たちは再び馬で駆ける。あの様子では助かったものはいないだろう。

それに、この市街地という状況では建物に隠れた巨人を早期発見することは難しい。援護班の援護が望める場所までまだ少し距離がある。

助けに行ったら間違いなく喰われる。
それだけは絶対に阻止しなければいけないことだと分かっていても、こういう決断を下さなければならない立場にある人間の精神的負担は計り知れないと思った。

生きているかもしれない仲間を見捨てて自分たちが生き残るか、危険を顧みず希望を胸に仲間を助けに行くか。

しかし後者の場合、命を危険に晒すのは自分だけではない。班員の命もかかっている。そうなればやはり、このまま市街地を駆け壁内に戻るというのが懸命な判断だ。


――…巨人に遭遇しなければ。


「ぎゃぁぁあああ!」


爆発するように響き渡る叫び声に振り返れば、建物の隙間から伸ばされた腕に班員が掴まれた瞬間の光景だった。


「!」

『私が行く』


ナナバは残りの班員を連れて先に行って、と告げアンカーを射出し愛馬を足場に飛び上がる。

掴まれた勢いそのまま別の建物の隙間に入り込んだのか姿は見えない。建物の壁にアンカーを刺し、屋根の上に飛び上がって路地裏を見下ろせば、巨人の指先に摘まれたグンタが今まさにぱっかりと大きく開けられた粘着質の糸を引く口の中に放り込まれるところだった。

上を向いた巨人の項を狙うより先に腕を切り落としたほうがいい。グンタに当たらないよう標準を絞って額にアンカーを刺し、重力を乗せ刃を横なぎに振り払えばあっけなく巨人の腕は宙を舞う。

不気味な叫び声が響き渡ると同時に拘束されていたグンタは地面に叩きつけられたものの、自力で起き上がって立体起動で屋根の上へ飛び上がった。

振り返る隙も与えないまま空中で一回転し項の肉を削ぎ落とす。そうすれば血飛沫と蒸気が同時に噴出し、巨体は地面を揺らすように倒れこんだ。


まわりに他の巨人がいる様子はない。屋根の上に飛び上がれば、グンタの表情は青ざめていた。あとほんの数秒遅れていたら自分の命はあの巨人の口の中に消えていたのだ。

どれだけ経験を積んだ優秀な兵士と言えども死角から襲われたのでは逃げる術もない。心臓を捧げる覚悟をしているとは言っても、やはり死が怖くない人間はいない。


『大丈夫?』

「…あぁ、本当に助かった。感謝する」

『間に合ってよかった。周りに巨人はいないみたいだし、今のうちに班に合流しよう』


馬を呼び戻すため指笛を吹こうとしたが、さすが私の愛馬というべきか兵長は建物の下で大人しく待ってくれていた。やはり私の相棒はあの子に他ならないと実感させられる。

しかし、グンタの馬は先ほど巨人の急襲を受けたときに下敷きになってしまったらしく走れそうにもなかった。


『後ろにのって』

「悪いな」

『予備の馬を牽引してる兵士が近くにいるはずだから運良く合流できればいいけど』


巨人の足音や呼吸音に最新の注意を払いながら屋根を飛び降り愛馬の元まで走る。喉を鳴らしながら擦り寄せてくる頬を軽く撫でて逞しい身体に跨ると、後ろからついてきていたはずのグンタの姿が無かった。


『…グンタ?』


背中に冷や汗が伝う。一瞬再び巨人の手中に落ちたのかと思い焦ったが、グンタは角を曲がった路地裏にいた。


『何をしているの?まだ巨人が隠れているかもしれない』

「…あぁ、分かってる…」


地面に膝をつき何かを覗き込んでいるグンタに愛馬を降りて歩み寄れば、彼が覗き込んでいたのは負傷した兵士だった。

巨人に襲われたのか腹部から流れ出した血液が地面に溜まりを形成し、手足もそれぞれ片方ずつ失われている。呼吸も浅くまさに虫の息だった。

羽織っていたマントを脱ぎ患部にあてて止血しようと試みるが、マントが赤く染まっていくだけで出血が収まる様子はない。これだけの重傷を負っていては手の施しようもない…グンタの表情が歪んだ。


「…もう…いい。…もう、行ってくれ…」


虚ろな瞳と視線が交わると彼は消え入るような声で言葉を零した。もう助からないと自分でも自覚しているのだろう。

事切れる前の生涯最後の言葉を選ぶように、血で濡れた唇は続ける。


「…ただ、あいつらに伝えてほしいことがあるんだ。…俺はお前らのことなんか待っちゃいねぇから、絶対にすぐ追いかけてくんなよって。やり残しがねぇように精一杯生きろ、って…」


恐らくいつも一緒にいた二人の兵士に向けた言葉だろう。確か三人は同郷だと言っていた。

わかったと強く頷いて見せると、負傷した兵士…リチャードは「もう俺は助からないのか…」と再び自分の置かれた状況を理解し悔しそうに呟いた。

もう、助からない。
再び壁内に戻ることは叶わない。

仲間と共に語り合うことも笑い合うことも、家族の元へ戻ることさへもできない。

生きている間には実感できない恐怖や絶望感を味わった時、人が浮かべる表情は同じだ。

二度と訪れることのない日常を思い浮かべ、憂いたようにどこか遠くを見つめる。その先に見えているものはその人間が生涯をかけて手に入れた幸せなのかもしれないと私は思う。


「頼みついでにもう一つ俺の願いをきいちゃくれねぇか」


遠くを見つめていた瞳はゆっくりとグンタに向けられた。グンタは涙を堪えるように「なんだ」と柔らかい声色で尋ねる。


「お前の手で、俺を終わらせてくれ」


グンタは大きく目を見開く。息を詰まらせたように言葉を失い、呆然とした表情を浮かべるグンタにリチャードは続けた。


「…俺がこんなことを頼んだって、他の奴等には言わないでくれよ…」

「リチャード、…っお前、な…にを言って…」

「奴らに喰われて終わるのは御免だ。奴等に喰われるのをただ待つだけは怖いんだ…今更何を言ってるんだって話だけどな…」

「…ユキ!?…お、お前まさか…」

『私がやる、グンタは離れてて』


青ざめた表情を浮かべるグンタを押しのけ彼の前に膝をつけば、グンタは私の肩を掴み「どういうつもりだ」と問い詰めてくる。

そんなグンタを払いのけ、困惑した表情を浮かべる瞳を睨み付けて黙らせた。


連れて帰っても助からないのは明白…このまま放っていけば絶命するまでの間に巨人に襲われる可能性は十分にある。

遺体を運んでいる荷台は奇しくも私たちの班から離れているし、馬も一頭しかおらず私たち二人以上に乗せられるスペースはない。つまり、リチャードの遺体を回収することもできない状況。

一度巨人に襲われた彼をこのまま餌として放っておくのはあまりにも残酷すぎる…なら、いっそここで…それが本人の願いなら尚更断ることはできなかった。

いつ巨人が来るかわかない状況ですぐに撤退しなければ自分の命が危ういという状況でも…最期の願いだからと伸ばされた手を振り払うことはできなかった。

グンタは何も言わずに唇を噛み締め、馬の方へと歩き出す。それを確認した私は腰に装備していた携帯ナイフを取り出した。


「…悪いなぁ、余計なもん背負わせちまって」

『気にしないで。私があなたにしてあげられるのはもうこのくらいしかないから』

「あんたに最期を看取ってもらえるなら、この人生も悪くなかったかもな…」


まともに視力が機能しているのかも分からないができるだけ恐怖心を抱かせたくはない。本人に見えない様、ナイフを手のひらで隠して首元へもっていく。


「あぁ、いい人生だった。娘の成長を見届けてやりたかった…、必ず帰るって約束したのになぁ…」


ごめんな、と零されるか細い声が、
次第に掠れて小さくなっていく。


「…こんなところで死にたくなかった、…またあいつらの元に帰り、…たかった」


−−…生きてぇよ。


そう呟かれた瞬間、
私は一気にナイフを引いた。

迷いなく頚動脈を切断する。…少しでも躊躇すればその分彼は苦むことになる。

血飛沫が吹き上げる音と共に私の耳が拾ったのは「ありがとう」という言葉だった。驚き、呆然とした表情を浮かべていたであろう私を見ながら、彼は最後に笑っていた。


『…』


静寂が落ちる。
リチャードは絶命していたが、
その表情は穏やかに瞳を閉じていた。

手元を見れば斬り裂いた部分から噴き出した血が自身の手を染め上げている。

ねっとりとした独特の質感と暖かさ。自分が殺した人間にありがとうなんて言われたのは初めてだった。あんな時でも動揺せず手元を狂わせなかった自分の神経のず太さに感謝する。

最後に血で濡れたマントを被せグンタのところへ向かえば、赤く染まる私の手を見て複雑な表情を浮かべた。

助けてあげることができなかった。あと少し早く馬を走らせていればもしかしたら彼は助かったかもしれない。

きっとそう考えて悔やんでいるのだろう。…私も同じだった。


「…悪い、ユキ。…俺はどうしても、っ…できなかった」

『例え助からない命だと分かっていても自分が手を下すのは怖い。特に仲間なら尚更…』


だから気にするなと言うと、グンタはもう一度消え入るような声で「悪い」と言った。

私自身、仲間の命を奪うことに何も感じないわけじゃない。…ただ、今更そんな弱音を吐くことは許されない事くらいは自覚していた。

ただ、それだけのことだ。


『グンタ、このことは私達だけの秘密にしよう』


馬に乗り壁内へと駆けながら言った言葉に、グンタはただ頷いた。その背後で巨人の足音が響く。

振り返ると建物の隙間から現れた巨人が不気味な笑みを浮かべながらこちらに向かって駆け出すところだった。手綱を引いて速力をあげながら振り返ったとき、巨人の足はリチャードの遺体に影を作った。


ドシンと、地面が揺れる。



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