番外編
□彼女の中に巣食うもの
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「またここにいたのか」
本から視線を上げれば、資料を抱えたミケがいた。『まぁね』と返せばミケは私の前の席に資料を置いて腰を下ろす。
今私たちがいるのは資料室で、ミケは何か調べ物があるらしい。パラパラと本を捲っては書類に何やら書き込んでいる。
私はと言えば、特に目的もなく本に目を通しているといったところだ。私には一般的な教養がない。それを改めて思い知らされたのは訓練兵のところに行ったとき、キースに「こんな人間が副兵士長なんてやっているのか」と言われたことだ。
今まで教養を問われるようなことはなかったし、生きていく上で最低限の知識があればいいと思っていたが、副兵士長となった今ではそうもいかなくなったのかと考えを改めて今に至る。
もちろん1から全て学んでいくつもりはないが、教養を増やしていく程度に本くらいは読むことにした。本を読むことは昔から嫌いじゃなかったから苦労はない。
親や兄弟などの身寄りのない私が地下で知識を得る方法は他人の行動、会話などや、くすねた書籍から学ぶしかなかった。
…完全に仲間だと思っていたリヴァイも一般的な教養があると聞いたときは「この裏切り者!!」と思ったが、リヴァイの行動を思い返せば本を読んでいる光景が思い浮かんだ。
もしかしたら本を読むことによって教養を身につけたのかと予想した。…つまり、せっせと資料室に足を運んで本に目を通しているのは、リヴァイの受け売りだったりする。
「よく続いているな」
『無理してるわけでもないし、気が向いたときにきてるだけだから』
「俺には存外必死になっているように見えるが。リヴァイの目を盗んで俺達に同行していることと言い、酒を囲んで遊戯を楽しむことを我慢してここに来ていることといいな」
『少しは私にも副兵士長としての自覚が芽生えてきたってこと。どうせやるなら立派な副兵士長になって、誰にでも誇れるような存在になりたいじゃない』
「リヴァイにか?」
ドクッと鼓動が大きく音を立てる。ページを捲ろうとしていた手が無意識に止まっていたことに気づき、咳ばらいを1つして平静を保つ。
『そんなわけないでしょ…、別にリヴァイのためとかじゃなくて調査兵団のためにと思ってやってることだから』
「そうか」
クソッ!人が必死に誤魔化してるのに「そうか」の3文字で終わらせやがって!絶対これ信じてないよ、はいはいわかったわかったくらいの流され方だこれ…ッ!
…まぁ、これ以上何も言うことはないかと諦めて口を閉じる。というよりこれ以上言えばボロが出そうな気がして、口を開く勇気がないだけだ。
「俺はユキのそういう努力家のところは素晴らしいと思う。やろうと思っていても、なかなかできないことだ」
『それはどうも。その努力とやらもちゃんと自分の力となって認められないと意味ないけどね』
「よっぽど好きなんだな」
『…は?』
「努力することだ」
なんだよ本当に…っリヴァイのことかと思ってまたびっくりしただろうが!なんて思いながら何食わぬ顔で資料に視線を落とすミケを意味もなく一度睨みつける。…本当に意味のない行為だ。
『別に好きじゃない。他のみんなが持ってるものを私は持ってない、…だからそれを補わなきゃならないのは当然だと思うからやってるだけ。嫌々やってるんだよ』
「好きなことじゃなきゃ、ここまで続かないと思うが」
『…』
「…?どうした?」
急に黙り込んだ私を不思議に思ったのだろう。ミケが資料から視線を上げ、心配そうに視線を向けてくる。
『いや、なんでもない』
「ならいいんだが…」
(…好きなこと、か。)
そういえば昔もそんなことを言われたな、とぼんやり思い出す。
[よくそこまで人殺しの稼業を続けていられるな。俺なら頭がおかしくなっちまうだろうよ]
地下にいた頃、私に仕事を持ってきていた親父に言われた言葉だ。「私は好きで人を殺してるわけじゃない」と言い返したが、
「好きでもないことは、そんなに続けられるものじゃない」
そう言われて、私は反論できなかった。私は好きで人を殺しているわけじゃない。生きるためにそうするしかないから殺しているだけ。そう思っていたはずなのに、言われて初めて納得してしまった自分がいた。
人を殺すのは悪いこと。
…そんなことわかってる。
だけど、地下街で生き抜くためにはそうするしかない。…本当にそうか?
殺し以外にも盗みや詐欺…どれも犯罪だが他にも道はいくらでもある。だが、私はナイフをとって人を殺すことで金を稼ぐと決めた。
理由は単純で、圧倒的に報酬が良かったからだ。1つの仕事で1月は余裕で暮らせる大金が手に入ったし、時にはそれ以上の報酬も手にいれられた。
人を殺め続けていけばいくほど、どうすれば簡単に事が進められるのかを学んでいった。躊躇ったことはないし、どうすればより苦しめられるのかも、逆に楽に殺せるのかも知っていた。
それは自分がされたことと、してきたこと…どちらの経験からも学んだこと。そうしているうちに私には多くの「依頼」が寄せられるようになり、達成した際の「報酬」もより多くなっていった。
人が最期に見せる表情は実に様々だ。泣いて懇願する者、意識を手放す者、最期まで抗う者。それらを跳ねのけ、私はただ目的を達成するためだけに刃を振り下ろした。
振り絞られる呻き声、肉体が地面に沈み、徐々に赤く染まっていく光景は嫌というほど見てきた。纏わり着く血の温かさとは対照的に冷たくなっていく身体。そこに乗せられた瞳はどこでもない宙へ向けられていて、その全てが時間と共に光を失っていった。
あの血と脂の混じったような独特の匂いはいつまでたっても慣れなかったが、徐々に濁っていく瞳を見下ろして私はいつも笑っていたような気がする。
意識したわけではないあの笑みはどんな感情だったのか?…今でもそれは分からない。考えていなかっただけなのか、それとも「考えることを自ら拒んだ」のかは分からない。
ただ覚えているのは「達成感」。死んでいる目の前の人物に対し、私は達成感を得て歓喜していたのかもしれない。
人を殺し、
この手を血に染めて
私は…
**
***
「…ユキ?」
ミケが名を呼ぶと、ユキは宙に向けていた視線をゆっくりと戻した。
『なに?』
「い、いや…なんでもない」
『そう』
再び本に視線を戻したユキにミケはほっと息をついた。突然静かになったユキに視線を向けてみれば、宙に向けられた瞳は酷く冷たい光を灯していた。
いつも彼女の瞳の中に輝く温かい光は面影すら残さず、どこまでも濁った瞳はここではないどこか遠い景色へと向けられていた。光はないのに鋭さを感じさせるそれは、自分に向けられていなくとも背筋を駆け上がるほどの恐怖心を抱かせた。
正直、声すらでなかった。彼女がまるで別人のように思えてならなかったミケは、呆然とユキの横顔を見つめていた。
やがてユキの口元に小さく笑みが浮かべられた瞬間、ミケは無意識に彼女の名を呼んでいた。
そうしなければユキがどこかへ行ってしまうような気がしてならなかった。自分たちの知らないユキが、今の彼女を乗っ取って二度と元には戻らないのではないかというような危機感がミケを衝動的に動かした。
やがて振り返ったユキはいつもの表情に戻っていたが、よほど緊張していたのか頬を伝う冷や汗にようやく気付いたミケはさりげなくそれを拭う。
あれが自分たちが知らないユキ、…ゴロツキのユキだ。間違いなく彼女の中にはアレが、…あの怪物が眠っている。息を潜めて眠っている。
end