番外編
□望んでいたもの
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それは突然のことだった。
「ユキの母親が来た!?」
「あぁ、本人かどうかはユキに会わせてみないと分からないが、そう名乗る人物が来ている」
エルヴィンから話を聞けば、その女性は壁外調査の凱旋時にユキの姿を見て、昔自分が手放した娘だと確信したという。
昔エルヴィンがユキに聞いた出生地と手放された年齢、場所などとその人物が語る話は一致していたという。それにあの珍しい濡れたような黒髪の持ち主でもある。
「じゃ、じゃぁ本当に!?本当にユキのお母さんなの!?」
「その可能性はある」
「ユキ呼んでくる!!」
私はそう言ってエルヴィンの部屋を飛び出した。
エルヴィンだけが聞いていたユキの話と一致する、ということは本物である可能性が高い。どうしてユキを手放してしまったのかは分からないが、今こうして我が娘を迎えに来たのだ。感動の再開だ…!
これまで天涯孤独で寄り添う人間すらいなかったユキに家族が会いに来た。それは彼女自身、絶対に口にはしなくとも常に願っていたことだろう。
いつも気高く凛としているユキでも、家族が恋しくないはずがない。どんなものかもわからないと言っていた時の、あの寂し気な瞳を思い出したらすぐに知らせなきゃという思いに駆られてユキの部屋の戸を叩いた。
――ドンドンドンッ!!
「ユキ!ユキいる!?」
ユキの自室の前に着くなり扉を叩けば、ガチャリと開いた扉の向こうからは如何にも迷惑そうに顔を顰めたユキが出てきた。
『…うるさいなぁ、何?そんな急いで。どうせ大した用でもないんだろうけど』
「大した用だよ!ユキ!君のお母さんかもしれない人が来たんだ!!」
そう言うとユキは一瞬目を開いたが、すぐに元に戻し『そう』と言ってくるりと背中を向けた。
「…あ、あれ?もっと喜ぶかと思ったのに…それだけ??ずっと会ってなかった母親かもしれないんだよ??」
『かもしれない、でしょ。着替えたら行くから待ってて』
着替えるから入ってくるな、と言って閉められた扉。向こう側からは着替えているのかごそごそと音が聞こえてくる。
「でも、でもさぁ!ユキがエルヴィンに話したっていう昔の話と同じこと言ってるんだって!本当に君のお母さんなんじゃない!?」
返事はないまま、数分後にユキが出てきた。兵服に着替え、髪も結っている。
『お前は黙って待つこともできないのか』
「だって一大事じゃないか!ずーっと会ってなかったのに、凱旋時のユキの姿を見て自分の子だ!って思ったってことでしょ!?感動の再会じゃない!」
ねぇ?と言えば、ユキは「そうだね」とだけ答える。その横顔はやはりいつもと変わらない。凛と澄ました表情のままだ。
エルヴィンに話したというユキの出生の話なんかは、もちろん私たちも知らない。恐らくリヴァイすらも知らないだろう。そんな話と一致した話をし、更にはユキと同じ年齢の子を産んだ記録もある。
それはもう殆ど確信を得ているんじゃないか?と思うが、ユキは何故いつもと変わらない態度のままなんだろうか。
確かに、ただの勘違いだった場合のぬか喜びは彼女にとってとてつもなく落胆する結果になるだろう。だが、少しくらい期待してもいいんじゃないか?と思う。
もしかして緊張してる?それとも私にそういう表情を見られるのが恥ずかしいのかな?
なんて思いながら団長室に行けば「入れ」というエルヴィンの声。扉を開け、中に入った時、ソファにいた女性が振り返った。
濡れたような黒髪と端正な顔立ちはユキに似ているように見えた。年齢もユキくらいの子がいてもおかしくないくらいだ。
「ユキ…ッ!あなた本当にユキなの!?」
女性はユキを見るなりユキに駆け寄り、彼女の頬を両手で撫で、そのまま抱きしめた。
「…会いたかったわっ!ずっと、…ずっと!!」
女性は涙を流していた。ユキの表情は私からは見えないが、私の瞳からも涙が流れそうだった。
ずっと1人だと思っていたユキが、ついに家族に会えた。同僚として、親友としてこんなに嬉しいことはない。
「よかったね!ユキ…っ!」そう言おうと口を開いたとき、ユキの手が女性を押しのける。
「なんで、…どうしてユキ?私のことが信じられないの?それともあなたを手放したことを恨んでいるの?…本当にごめんなさい、許してほしいなんて思ってないわ…でも…」
『ごめん、エルヴィン。私嘘ついた。』
女性の言葉を遮るようにユキが口を開く。
『私の記憶に残る母親は黒髪じゃなかった。私の黒髪は父親譲りのものなんだと思う』
「…え?」
私は思わず声が出た。ユキは前に「家族の記憶はない」って言っていたのに…。
「何を言っているのユキ?あなたのその髪も瞳も、父さんと母さんのものよ。じゃなきゃそんなに綺麗な黒髪になるはずがないじゃないの」
『いや、違う。私の母は茶髪だった。あなたのような黒髪じゃない』
きっぱりと断言したユキに、女性のほうは言葉を失ったようだった。初めはショックを受けたような表情だったが、それは次第に変化し、手に持っていた帽子を床に叩きつけ声を上げた。
「なんなのよっ!母親の記憶があったなんて聞いてないわ!!」
そう吐き捨てて、女性はそのまま部屋を飛び出していく遠ざかる足音が聞こえなくなったころ、私は無意識に口を開いていた。
「…え?どういうこと?」
自分でも笑ってしまいそうになるほど間抜けな声だった。ユキが床にたたきつけられた帽子を広い、エルヴィンの机に置く。
「すまなかった」
『いいよ、随分私のことを調べてきてたみたいだし、ああやって来られたら誰が見ても私の母親だって勘違いするよ』
「ユキは初めから違うって気づいてたの…?茶髪じゃなかったから…」
「いや、ユキはカマをかけただけだ。私はユキの母親が黒髪だとも茶髪だとも聞いたことはない」
『そういうこと。カマかけて、偽物だって白状させた…ただそれだけ。ごめんねエルヴィン、余計な手間とらせて』
「それを言うのは私のほうだ。本当にすまなかった、今後は注意するよ」
ユキは踵を返し、ひらひらと手を振って扉へ足を進める。
「ちょっと待って!…ユキ、君本当は私が呼びに行った時から偽物だって気づいてたよね!?…どうして?」
ユキが目の前に来た時にそう問いかければ、ユキは足を止めた。ゆっくりと上げられる瞳と視線が交わり、息が止まる。その瞳はどこまでも黒く、濁ったように光を失っていた。
この世の全てを悟ってしまったかのような瞳は、私から言葉を奪うには十分すぎる冷たさを纏っていた。
『期待するのは、もう疲れた』
再び歩みを進めるユキの身体が横をすり抜け、扉の先へと消えていく。
ユキは期待していなかったわけじゃない。家族と会うことを望んでいなかったわけでもない。
望んで望んで、期待して裏切られて…そういうことを今まで何回も繰り返してきたのだろう。さっきの女性のような人間が、彼女を何度も騙そうと訪れたのだろう。
そのたびに裏切られてきたユキは、もう諦めたのだ。
ユキがエルヴィンに話したという出生の話は、地下のある一部の人間は知っているはずだ。ユキの売買を担当していた者、捨てられたユキを預かった者であれば。
そういう者達に情報量を支払ったのか、それとも依頼されたのかは分からないが、あの黒髪の女性はユキを騙し、家族となろうとした。
その目的はわからない。だが、ユキの髪や瞳、容姿に目をつけ商品として扱おうとした…そんなところだろう。騙し、躍らせ、自分たちのところに引きずり込もうとした。
私はなんてことをしてしまったんだろう。意気揚々と、軽はずみにユキを迎えに行った数分前の自分を殴ってやりたい。
ユキにとって家族というものはどういうものなのか、…どんな存在なのか。私は全然理解できていなかった。もうユキのあんな表情なんて、見たくないと思っていたのに。
「…クソッ」
私は今度こそ涙を流した。
end