山獄

□視線の先
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裏返しに掛かったのれんをくぐり、引き戸に手をかける。ガラガラと木製ドアが奏でる心地良い音の向こうから「まだ準備中だぜ!」と威勢の良い声が響いた。

「呼んだの誰だよ」
「あっ、獄寺か!来てくれたのな」

ニッと笑う山本につられて笑いそうになるのを堪えた。
ボンゴレファミリーの一員として裏舞台で暗躍する傍ら、各々が“副業”として何かしらの職に就いたり、学業に励んでいる。
獄寺はピアノ講師になるため入学した音大を首席で卒業し、国内最大手の音楽教室を経営する企業に就職した。一方で山本は、父親が大切に守ってきたこの『竹寿司』を継ぐため、高校を卒業して間も無く修行の道へ進んだ。

「もう握らせてもらえんの?」
「おう。寿司に関してはかなり厳しい親父が……認めてくれた」
「5年って早い方だよな。野球バカのくせに」
「これからは寿司バカだな!」
「自分で言うんじゃねーよ」

カウンターを挟んで行われるたわいない会話が、ふと止まる。きれいに磨かれたネタケースから、いかにも新鮮なマグロの大きな切り身を取り出して、照明を反射して眩しいほどに輝く柳刃包丁の刀身を当てる。一挙一動に魂を込めるその真剣な様子に、獄寺は視線を外さずにはいられなかった。
手元に向けられた山本の鋭い眼差しは、戦闘時におけるそれとあまり変わらないものに見える。

(いつもはただのバカのくせに)

山本が真剣な表情をする時は限られているが、それだけ本気である証でもあった。

(お前が真剣になる時、俺は置いてけぼりだ)

「……獄寺?」

いつの間にか酢飯を握る工程に入ろうとしていた山本が、その手を止めて獄寺の顔を覗き込んだ。その表情は、笑顔で溢れる見慣れた山本だった。

「あっ!?んだよ、早くやれよ」
「ぼーっとしてたからさ」

再び手元に視線を移し、ほどよい緊張感を漂わせながらシャリを握り始めた山本を、見れない。頬がじんわりと熱くなっているのを自覚しているからだ。

(よそ見すんじゃねーよ)

本気で何かをする時に、他人の行動なんか気にならないし、気にするんじゃねえ。その時点で本気じゃねーだろ。
そう思う一方で、日に日に剣士としての強さも増していく山本の視界から、自分が消えてしまうのが怖くもあった。
言葉にできない思いを胸に秘め、悶々と思考を巡らせる獄寺をよそに、山本は完成した寿司を獄寺の目の前に差し出した。

「ヘイお待ち!」
「……うっス。いただきます」

程よく握られたシャリと、適度な分厚さに切り落とされたマグロの切り身が口内で踊る。幼い頃から姉の殺人的な料理をよく食べていたせいで、獄寺の味覚や食へのこだわりはそこまで高くない。それでも、ひよっこの寿司職人にしてはなかなかの出来だと思わず瞠目した。

「うめぇ」
「おおっ、よかった!ひとまず安心だなっ」

得意げに腕を組んで照れ笑いをする山本を一瞥すると、「ケッ」と睨みつける。けれども、それは獄寺の照れ隠しであって、長くファミリーとして共に過ごしてきた山本もそれはよくわかっていることだった。

「いつから店頭に立ってんだよ」
「ん?今日この後からだぜ」
「……はっ!?」

思わず口に入れかけた寿司を落としそうになり、獄寺は慌てて手のひらで口元を押さえた。

「だから獄寺のこと呼んだんだけど」
「……は?なんで?」
「いや……だからさ……」

丁寧に咀嚼した後“竹寿司”と書かれた湯呑みを傾ける。程よい熱さの緑茶が口いっぱいに広がり、微かな苦味を残して消えた。

「獄寺に一番に食べてほしいと思ったから!」
「…………」

言葉の真意はわからないが、山本を直視できない。心臓がうるさいほどドクンドクンと高鳴って、今しがた胃袋に収められた寿司が再び元来た道を戻ろうとするほど、全身が強張る。

「なんで俺なんだよ」
「……獄寺、今日夜空いてる?店閉めた後明日の仕込み作業もするから早くて10時過ぎるんだけど」
「質問に答えろよ」
「今は言わない」

頭上から注がれた少し印象の違う声に思わず顔を上げると、そこには真剣な眼差しをこちらに向ける山本の姿があった。それはまるで、山本が剣と剣を交えようとする1秒前のような___鋭く相手を突き刺すような目線だった。

「10時にどこいりゃいいんだよ」
「終わったら獄寺のマンションの前まで行くから部屋で待ってて。着いたら電話する」

再びいつもの調子に戻った山本が、ニコッと笑う。
獄寺は___未だ鳴り止まない心臓の音を悟られないよう、表情を固めることで精一杯だった。


* * *


『もしもし、着いたぜ。悪いけど下まで来て』

風呂上がりの下着姿でソファに寝転びながら、大好きなニュース番組を見ていた時だった。
スマートフォン越しの声にさえどっと汗が噴き出すほど、獄寺は動揺していた。

「……部屋まで来い」
『えっ、いいの?急に悪くねえ?』
「別に……」
『わかった。待ってて』

通話終了画面を確認すると、スマートフォンをテーブルの上に置いた。
まるで呪文のように耳をすり抜けて行くニュースキャスターの言葉を1分間も聞かない内に、エントランスホールへの来客を知らせるインターホンが鳴り響いた。
『あっ、俺』と言ってモニターに映ったのが山本であることを確認してから、無言で解除ボタンを押す。
そして少しの時間を置いて、今度は部屋のインターホンが鳴り響いた。

『獄寺ー』
「おう」

リビングを抜け、玄関の鍵に手を伸ばし、2つ目の鍵を開けたところで自分がパンツにタンクトップという下着姿のままであることを思い出した。

「あっ!待っ……」
「お、風呂上がりだった?悪い急かしちまったかな」
「……いや……着るの忘れてた」
「ハハッ、お茶目さんだな!」

何も気にしない素ぶりで玄関ホールに入り靴を脱ぐ山本を見ながら、さてどうしたものか、何故女でもないのにここまで焦ってしまったのか、と顔を赤くした。自分だけが一方的に山本へ特別な気持ちを抱いているような状況が、気に食わなくもあった。

「てきとーに座れよ。お茶と炭酸水どっち」
「おー、じゃあ炭酸水!サンキューな」

コポコポと炭酸水をコップに注ぎ、テーブルに運んだ。と同時に、「いただきます!」と言って山本はたった今運ばれたばかりの炭酸水を、一気に飲み干してしまった。

「おかわりは10円取るからな」
「いいぜ〜喉乾いててさ……おかわり!」
「嘘に決まってんだろ」

今しがた山本が空にしたコップを持って再びキッチンへ向かおうと身を翻したその刹那、獄寺の腕を山本が掴んでそれを引き止めた。

「んだよ」
「あのさ、獄寺」

腕を掴む手にギリギリと力が込められ、思わず眉を顰める。それに気付いてか気付かずか、山本はゆっくりとその手を離した。

「一番最初に食べてほしいってのに特に理由はなくてさ。その……ふと頭に浮かんだのが獄寺の顔だったのな」
「……へえ。なんで俺の顔が浮かんだんだろうな」

獄寺はわざと意地悪な返事をした。しかし、その挑戦的な言葉とは裏腹に、決して山本に向けられない視線と耳まで赤くなった頬が獄寺の内に秘めた想いを物語っていた。

「あのな、獄寺。俺、獄寺のことが好き」

果たせるかな、恋慕の情を打ち明けた山本であるが、いざこうして言われてみると驚きや喜びや現実味の無さといった様々な感情が押し寄せて、獄寺は思わず一歩後ろへ下がった。

「ごめんな、そりゃ引くよな……ハハ、まあこうなるのわかってたから!言ってきっぱり諦めるつもりで……」
「待て」
「えっ」
「勝手に話進めんな」

ソファに身を沈めたまま僅かに項垂れている山本の側に寄り、しゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。耳には聞こえないけれど、山本がハッと息を飲んだ音が脳に直接響き渡る。

「……もっかい、言え」
「何を?」
「ダァーーーーッ!!!」

やはりこいつはバカだったと言わんばかりに、獄寺は綺麗な顔をしわくちゃにして山本の胸倉を掴んだ。

「す……好き、ってもっかい言えよ」
「えっ、獄寺……あ、うん。……獄寺、好きです」

24歳とは、存外子供っぽさを残しているものである___いや、何歳になろうとも、人は誰しもが恋をすると大人であることを忘れてしまうのかもしれない。
何故か最後のワンフレーズだけ敬語になってしまった可笑しさに、2人して笑い出したけれども、ふと山本は真剣な顔に戻って、目の前の“恋人”に告げた。

「大事にするから、離れないで」

もう、真剣なお前に置いていかれることはないんだな、何故なら真剣なお前の瞳に映るのは___。

「よそ見すんなよ」
「ひでー!俺は獄寺一筋だぜ、覚悟してな」
「おう……俺も、お前のこと好きだから」

ニュースキャスターの無機質な声が響き渡るマンションの一室、炭酸水のようにパチパチと、24歳の恋が始まった。




END
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