山獄
□二度と君を忘れぬように
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とある病院の、静かな病室。
窓からはいつもと変わらない、薄ピンク色をした桜の花びら達が風にゆられて舞っているのが見える。
「武、腹減ってないか?」
「いや、大丈夫だぜ。…ありがとな、親父。忙しいのに」
「なーに言ってんだい!親子にそんな気遣いはいらねぇよ!」
「ハハッ、そうだよな」
この人は、俺の親父らしい。名前は『山本剛』。
そして、俺の名は−−−『山本武』。
今の俺は、ほぼ全ての記憶が無くなっている。
部活の遠征試合の帰り、自転車を漕ぎながら野球部の仲間達と話すのに夢中になっていた俺は、信号の無い横断歩道を渡る時、大型トラックが向かって来ているのに気付かずにそのまま直進、そして仲間達の目の前で撥ねられたらしい。親父から聞いた。
なんとか一命を取り留めたが、それが後に繋がるものかどうかはわからない、と担当医師に言われた。でも、特に実感がわかなかった俺は、静かに涙を流しながら担当医師の話を聞いている親父をただ見つめているしかなかった。
そして、一番ショックを受けたのは、記憶喪失をしているということだった。
日常品とか、花の名前とか、そういう事はすぐに思い出せたのに、人の名前とか顔とか、俺が大好きだったという野球のことがどうしても思い出せない。
そんな風に考えている今日、この瞬間にも意識が薄れてゆく。
ガラガラッ−−−
「山本!」
突如病室の扉が開いたと同時に、誰かが俺の名前を叫びながら中へ駆け込んだ。
「おう、獄寺君」
「親父さん…コ、コイツは、大丈夫なんスか!?」
「……残念だが、わかんねーらしい」
「ッ!!」
「じゃあな、武、獄寺君。また来るからな」と言って親父が部屋を出ていった。
扉の前には、絶望した表情のまま俺の顔を見つめる、“獄寺君”。
「や、山本………ッ!何やってん……」
「……お前………誰?」
「ッ!?」
本当にわからないから正直に聞いただけなのに、途端に“獄寺君”の顔が真っ赤になって、今にも泣き出しそうな表情になる。
「てめぇ………ッ…………それ本気で言ってんのか…………?」
「うん。………俺、ほとんど思い出せなくてさ」
「!」
とうとう“獄寺君”が泣き出した。声は出さずに、両目から涙をボロボロと。
「……目、キレイなのな、お前…………外人さん?」
「は、はぁっ!?そっ、そんな白々しい言い方、すんじゃねぇ………!」
でも、本当にこいつの目、キレイなのな。今日までに会った人達に、こんな不思議な目の色をした人、いなかったもん。
そうやって言いたかったのに、こいつの泣き顔を見たら、何故か言えなかった。
「………お前も、野球部?」
「はぁ!?ち…違ぇし」
「ふーん……じゃあ、なんでわざわざ見舞いなんか来てくれたの?俺の……親友、とか?」
「ッ!!!………も……………もう、それ以上なんも言うな!!」
そう叫んだ“獄寺君”が、ズカズカと俺の横たわるベットに歩み寄り、脇にあった椅子に座った。
そして、布団からはみ出ていた俺の手を“獄寺君”が握った。
「お、お前…」
「…………ッ…………や、山本……………ッ」
力強く俺の手を握る“獄寺君”の手に、涙が零れ落ちる。
「………」
止めどなく流れ出す涙に濡れた瞳が、何かを語っていた。
でも、俺はそれを読み取ることができなかった。
「山本………、早く…………早く元に戻れよ……………ッ!!」
「…………うん、ありがとな………獄寺君」
「ッ!」
何故か俺が“獄寺君”と言った途端、もっと涙をボロボロと流し始めたから、頭をぽんぽん、と撫でてやった。
「やっ、山本………?」
「………そんなに泣くなよ」
「っざけんな…!お前のせいなんだろーが…!」
そして俺は、何故だかわからないけど、そのまま頭を抱き寄せた。
「や、やま、もと………!?」
「………なんか、お前の匂い………懐かしいような気がするのな」
「ッッ……ッハ、ハハッ…………何が“気がする”だ…………笑わせんな………ッ」
「…………でも泣いてんじゃん」
「るせぇッ!」
顔は見えないけど、笑ってなんかない、大泣きしてることぐらい声でわかる。
「…………見舞い、来てくれてありがとな」
「…………おう」
それは、小さい小さい返事だったけど、ちゃんと俺の耳に届いてくれた。