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□誰も知らなくていいこと。
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私はロングヘアーが嫌いだった。
嫌いな理由を挙げるとすれば、手入れが大変だとか、不器用だから髪の毛を伸ばしたところで綺麗にまとめ上げたりアレンジしたり出来ないとか、さばさばして可愛げのない自分の性格じゃ髪の毛を伸ばして女度を無理やり上げたところで何の意味もなさないからだとか。その他諸々、もはや言い訳やこじつけにも近い文句を並べればキリがない。
だけど、最大の理由は他にある。
「あっれ!おまっ……どうした!?」
夏休み直前、午前8時すぎ。只でさえ夏の湿っぽい空気のせいで不快指数が上昇気味の私の耳に聞こえてきたのは、私の姿を見て大袈裟なリアクションを見せた清瀬の声だった。
「どうもしないよ。ってかおはようくらい言ったら?」
「どうもしないって、そんな訳ねーじゃん!」
おはようくらい言えと言った私も清瀬におはようをせずに会話を続けている。彼が訳の分からない決め付けをしているその間にも他のクラスメートが登校して来て、そして清瀬と同様、私の姿を見ては驚きやら何やらの声を上げていた。
と言うのも、私は髪の毛を短く切っただけなのだ。昨日は日曜日で、駅前の美容室に行き、「ばっさり切ってください」と担当の人にお願いしたらこうなっただけなのだ。
鋏を入れる直前まで担当の美容師さんは本当にいいのかと心配げに聞いて来たが、もはや伸ばしている理由もないので軽く頷いた。それが昨日の話。
背中の肩甲骨にかかるかかからないか位の長さまで伸ばされていた髪の毛、それが今はない。
「普通に……短ぇな。」
ようやく落ち着いたらしい清瀬が右斜め前の自分の席に鞄を置きながら言う。
「まぁ、ショートですから。」
「ぱっと見た感じ男だな。」
「そこまでじゃないでしょ。」
「……どうしたんだよ、マジで。」
「だから何でもないってば。」
「何かあったろ。お兄さんに話してごらん?」
「…………。」
「シカトすんな。」
「ごめん、あまりにも気色悪かったから。」
「気色悪いって、お前なぁ!」
「だからごめんて。とにかく何も無いし、心配しなくていいから。」
「ならいいけど。」
「けど?」
「てっきり俺は椎名が失恋でもしたのかと思ったからさ。」
失恋。
その単語は私の動作と発声を一瞬だけ止めた。
「今時、失恋して髪の毛切る女なんているかな。」
けど私の口は、その一瞬の間が清瀬にばれないように自然に言葉を紡ぐ。
「いや、わかんねぇよ?わかんねぇけど、俺はそう思っただけ。違ぇならいいんだ。」
「そう。ご心配お掛けしました。」
「いいえ。……でも、」
ふと、清瀬のすらりとした右腕が伸ばされる。半袖の白いシャツから見えるその腕はほんの少し日焼けをしていて、何もしなくても綺麗な筋が見えるそれ。
その腕の先、すなわち彼の掌が、私の額から頭頂部あたりにすとん、と触れた。
その動作はあまりに自然で、何でもないことのようにその事態を甘受していたのだけど、決してそれは私の中で自然な動作ではないことに気づいた途端、私は動揺した。
「えっ、ちょっとなに、」
「似合ってんな。」
「え?」
「短いの。」
喉の奥と胸の奥に何かが詰まったような感覚がした。
そしてそれは“失恋”にも似た感情のせいだと、それも解っていた。
そのとき、自分の視線の端に見えた教室の扉。
「ちょっと清瀬、」
「あ?」
その扉から中へ入ってきた人物に、私は慌てて清瀬の手を頭から払う。その動作に清瀬は一瞬不機嫌そうな声を上げたが、扉から入ってきた人物に気付くと彼は瞬時に笑顔になった。向こうも私達に気付いて、にこっと笑った。
彼女は、清瀬の恋人だ。
「はよ。」
「おはよ、穂香。」
「おはよう。」
3人でそれぞれ挨拶を交わす。そしてすぐ、穂香は私を見ては清瀬と同じリアクションをした。
「結衣子、髪の毛どうしたのっ?」
「どうしたって、切っただけですが。」
「切っただけって!どうしたの?失恋でもした?」
「それ、つい数分前にアンタの彼氏も言ってたから。」
似るもんだねーとわざと呆れた様に付け足したら、清瀬と穂香は目を合わせて微笑んだ。
「結衣子がこんなに短く切ったのって、中学以来じゃない?」
「あー、そうかも。」
「椎名って中学ん時は短かったんだ?」
「そうなの。結衣子ってば本当カッコよかったんだよー!女の子からすっごくモテたんだから!」
「へぇ……椎名がねぇ。女の子からねぇ。」
「穂香、余計なこと言わない。」
それからホームルームが始まるまでの間、諫める私の言うことも聞かずに穂香は中学時代の私の話を清瀬にし続け、清瀬からは馬鹿にされたようなにやり顔を向けられて、机に頬杖をついたまま私は半ば諦めたように苦笑いをし続けた。
「結衣子はやっぱり短いのが似合うね。」
先生が教室に入って来た直後、私の右斜め前の自席に座った穂香はまた清瀬と同じことを言い残した。
髪の毛を伸ばし続けていた自分は周りから滑稽に見られていたのだろうか。似合わないと、思われていたのだろうか。穂香にも清瀬にもそう思われていたのだとしたら、私はなんて馬鹿みたいなことをしていたのだろう。卑屈になるなんて私らしくない。
後ろから見た穂香の髪の毛は、染めたことのない綺麗な艶のある黒い髪。少しだけ高い位置で結わえられたそれからは、「ほのか」という彼女の名前の通り、ほのかに甘い香りがするのを私は知っている。こんなにロングヘアーが似合う女の子を、私は未だかつて他に見たことがない。そう断言出来る程に、穂香は黒くて長い髪が似合っていた。私はそれが、酷く羨ましかった。
中学までは短かった自分の髪。その髪型が自分に一番似合っていると思っていたし、何より気に入っていた。ロングヘアーなんて暑苦しいし手入れが大変だし、女の子にモテるくらいの男染みた性格の私が髪の毛を伸ばすなんてらしくない。
なのに、そんな私が髪の毛を伸ばした理由なんて本当に単純なものだった。
“女の子はやっぱ髪の毛長い方がいいっしょ。”
高校に入学して数ヶ月が経った頃に、何気なく聞こえて来た会話の中の一言。そしてその言葉を口にした張本人は、今は穂香の彼氏として私の側にいる。
「(バカみたい、私……。)」
穂香と同じ髪型にしたって私自身を好きになってくれなきゃ意味なんてないと気付いたのは随分前のこと。だけど、もしかしたらなんていう淡くて浅はかな期待のようなものを胸の奥の奥に潜めていた私は、今まで伸ばした髪の毛に鋏を入れることが出来なかった。
だけど、ついさっき。清瀬が私の頭に手を乗せて「似合う」と言われた時。長かった片想いがやっと終わりを告げたのだ。あれから二年、私にとっては長い長い片想いだった。
頬杖をついたまま窓の外に視線をやった。爽やかに風が吹いてきて、さらさらと短い髪の毛を揺らす。私の視界の端で、綺麗に纏まった穂香の毛先も揺れている。
そんな彼女の姿を清瀬がどんな顔で見つめているのかなんて、私はもう気にしなくていい。
恋をしていたんだ。
確かに私は清瀬に、恋をしていた。