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□冬空
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真っ暗な公園でゆらゆらとブランコを揺らしながら空を見上げていた瑛子を見付けたのは、彼女が部屋を出て行ってから二時間後のことだ。追いかけて来たとは言っても時間が経ちすぎていて、そんな俺に気付いた瑛子は一瞬驚いて、そしてすぐまた泣きそうな顔をした。
「……来るとは思わなかった。」
本音かどうかは分からない。隣のブランコに座った俺を見ようともしない。
「……何で来たの?」
「彼氏だから。」
「…………。」
「すぐ戻ってくると思ったんだけど。財布も携帯も置いてったし。だけど中々帰ってこないからさ。」
「別に追い掛けてきて欲しかった訳じゃ無いから。面倒くさい女とか思われんの嫌だし。……って、こう言ってる時点で充分面倒くさい女か、私。」
「そんなん言わなくていいよ。」
「……何が。」
「面倒くさいなんて思ってないし。じゃなきゃこうして来たりしないでしょ。」
「面倒くさかったから二時間放置だったんでしょ。」
「ちーがーうっての。探してたの、ちゃんと。」
「携帯は?かけたら良かったじゃん。」
「はぁ?お前バカ?携帯部屋に放置して出てったの誰。」
「…………。」
何故彼女が俺の部屋を出て行ったかと言うと、平たく言ったら「喧嘩」だ。付き合ってれば多かれ少なかれ、誰にでもある話。
きっかけなんて些細なものだった。けど、以前から少々不安定気味だった瑛子が相手じゃどんどんその論点がずれていって、俺が正論を言えば言う程に瑛子は泣いて、そして出て行った。
「出て行くのはいいけど後先考えて。何かあったらどうすんの。」
「………ごめんなさい。」
最後の一言が効いたらしい。涙声での謝罪が聞こえて、
「まぁ、分かってくれたならいいけど。」
とりあえず彼女が無事だったことに安堵した。
ブランコが揺れる度に軋んだ音がする。冬の空間にはその微かなキィキィという音さえ響いて、俺にももう少し言い様ややり様があったのかも知れないとその音の中で思った。少なからず、こんな寒空の下、携帯や財布も持たずに出ていく程に彼女が感情的にならないようには、出来たんじゃないかって。
もう少しの思いやり、それをさっきの自分は忘れていたような気がする。それを口にするのは何となく気が引けて、まだ夜空を見上げたままの瑛子に聞いてみた。
「何見てたの?」
「え?」
「空。見上げてたじゃん。」
「あぁ……星。」
「星?」
瑛子はまた空を見上げた。
「綺麗なもんってさ……消えそうなくらいに儚いから綺麗に見えんのかもね。」
「……いきなり何。」
「別に。何となくそう思っただけ。」
「あ、そう……。」
「……ねぇ、好きだよ。」
「……だからいきなり何って。」
「伝えておかないと後悔しそうだったから。解ってないかもしれないけど、アンタが考えてる以上に、私、アンタのこと好きだよ。」
だからいきなり出ていったりしてごめん、嫌いにならないで。
俺が言うのも変な話だけど、瑛子は普段は気が強い方だと思う。俺は彼女が普段どんな彼女自身を周囲に見せているのかとか、周囲が彼女自身をどんな風に見ているのかを、全くと言っていい程知らないし知る状況にも無い。けど、雰囲気やら会話の端々やらで察する限りは、そうなんだと思う。
嫌いにならないで。本当は、そんなことを押し付けがましく言われるのは嫌いだけど、普段は気が強いと思われる彼女が溢したそれを、彼氏である俺は掬い上げてやらないと。
「瑛子。」
こちらを向いた彼女に手を伸ばす。しばらくした後、彼女は伸ばした俺の手の人差し指と中指の先だけを遠慮がちに掴んだ。あまりに儚くてすぐに離れてしまいそうに俺の指を掴む瑛子の指先は、それはそれは冷たくて、堪らず彼女の手をギュッと握り直す。隣同士に座ったブランコの間で繋がった手。照れ臭さは全く無かった。
「瑛子。」
「…………。」
「俺たちさ、まだ始まったばっかりじゃん。なのに嫌いになったりなんかしないよ。だって俺、お前のことまだ全然知らないし。」
「……うん。」
「互いに色々知っていく過程の中で起こる喧嘩とか言い合いみたいなのって、俺は良いと思ってんの。最後にこうやってさ、ちゃんと仲直り出来るなら。だから俺は、仲直り出来なくなって瑛子に離れて行かれることが怖いよ。」
「………怖い?」
「うん、怖い。」
彼女が意外そうな顔をしていたので、思わず笑ってしまった。今この空気で笑うのは変だったかもしれないけど、やっぱり俺たちはまだまだこれからなんだと思うと、何だか嬉しくて仕方なかった。
「……笑うとこじゃないでしょ。」
「だってあまりに意外そうな顔してるから。」
「意外だもん。」
「そんなに?」
「怖いものとか、アンタには無いと思ってた。」
「そりゃあるよ。俺だって人間なんだから。」
例えば、出て行った瑛子が帰って来ないこと。名前を呼んでも振り向いてくれないこと。伸ばした手を掴んでくれないこと。俺の為に泣いてくれないこと。まぁ、今回は俺が泣かせたんだけど。その他沢山、数え切れないくらいある。
そしてそれが、瑛子にとっても同じだったらいいなと心底思う。だから同じ分、同じだけを、隠さずに教えてくれたら。
「……ごめんね。」
「うん、俺もごめん。泣かせたりしてごめん。」
互いの「らしさ」なんてイメージが無くなる程に、俺は瑛子と一緒にいたいよ。儚くて綺麗な言葉かもしれないけど、今俺が彼女に言える、飾らない言葉だよ。