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□飛行機
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目の前に座っていた祐輔が、アイスコーヒーを飲み込むタイミングを見計らって切り出した。私が頼んだ冷たいオレンジジュースのグラスは、随分前に空になっていた。


「…あいつ、今夜の便で帰国するってさ。」

「そう。…10年ぶり?」

「だな。今まで見事に一度も帰って来なかったな、あいつ。」

「それだけ充実してたってことでしょ。祐輔の結婚式が終わったらきっとまたすぐに戻るよ、新は。」

「……連絡は?」

「え?」

「全然取ってなかったのか、今まで。」


返事を口に出す代わりに頷いた。祐輔も軽く頷いて、「そっか」と呟くように口にした。

高校三年の夏から10年。画家になるという夢を持った新が学校を辞めてヨーロッパへ向かう飛行機に乗ってから今まで経過した時間、10年。
新は一度も日本に帰って来なかったし、電話やメールは勿論、手紙だって一度も寄越さなかった。元気でやっているという報せは彼のお母さんから年に何回か聞いていたから、彼の生死までを心配する必要はなかったけれど、産まれたときからずっと一緒に育ってきた私に何の便りも寄越さないことは確かに私を傷付けた。
その傷は、季節が過ぎ大人になるにつれ少しずつ薄れてはいったけれど、新が今何処の国で何をしているのか、気に掛けない日は一度だってなかった。
目の前にいる祐輔にも、「今回の結婚のことをどんな方法で新に伝えたのか」なんて、私は未だ聞く気になれなかった。それだけ私は、新のことが好きだったのだ。



「祐輔、今までごめんね。」

「なに、いきなり。」

「新のことがあってから色々気遣わせたりして。大丈夫だよ、もう依存してない。今まで側にいてくれてありがと。」

「……バカ。何言ってんだよ。」

「幸せになってよ。彼女のことも幸せにしてね。」


何故だか祐輔の方が泣きそうになっていた。新がいなくなってから10年間、祐輔を縛りつけていたのは私の方なのに、彼は何かを堪えるように深く頷くと、

「ちゃんと、新と話せよ。」

なんて、まだ私と新への気遣いをする。どこまでも優しい、この人は。


あれから10年。
私は新に会ってもいいような人間になれたのか、今も解らないでいる。








――――――
―――――

暑い夏の日。渇いた空気に照り付ける太陽がそれはそれは明るくて、川沿いを三人並んで歩く私達の背中を焼き付けるように照らしていた。

「なぁなぁ、新は卒業したらどうすんの?」

祐輔がふいに、真ん中を歩いていた新にそう問い掛けた。

「んー……俺は、」

「新は私と一緒に専門行くんだもんね。」

「菫に聞いてねーよ。俺は新に聞いてんの!」

「だって私と新はずっと一緒だもん。市内の同じ専門学校行くって決まってるの。」

「……そうなのかよ、新。」

「だからそうなんだってば。」

「だからお前に聞いてねーって!」

「祐輔ムカつく!」

「ハァ!?」


私と祐輔の間に挟まれた新は困ったように笑いながらそのやり取りを見ていて、

「もう祐輔なんて知らない!」

そう言って私がそっぽを向くと、いつもそこで初めて口を開く。


「菫は絵画よりデザイン得意だろ。洋服のデザインとかしょっちゅう描いてんじゃん。」

「あれは落書きみたいなもんだよ。」

「でも周りの女子から何気に好評だろ。」

「あーもういいの!私は新と一緒に絵画の勉強するって決めたの。デザインより、絵画がやりたいの。」

「………菫、」

「あ、そうだ。コンビニ寄ってっていい?新発売のアイスがあるんだー。」


新が何か言い掛けたけど、私はわざとそれを遮った。彼はまた困ったように笑って、祐輔は眉間に皺を寄せていた。


「やっぱ今年はマンゴーだよね。あ、ご馳走したげよっか。」


そんな空気に耐えられなかった私は、二人の少し前を歩くように数歩だけ駆け出してみる。二人が私に何かを言う前に、なるべく距離が欲しかった。



私は新が大好きだった。小さいころからずっと一緒で、中学も高校も彼と同じ。高校を卒業した後もずっと一緒にいると自分の中で決めていた。きっと新も同じように思ってくれてる、そうずっと思っていたし、そう信じたかった。
学校帰りの夏の空は高く、川沿いの道に咲いている花が小さすぎて見えないくらいで。チクチクと棘のように刺さる祐輔の視線さえ、気付かないふりをしていた。




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