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□おひとりさま
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便利な言葉を使って逃げてるだけなんだ。


プニプニ。
柔らかい何かが頬を押す感覚に、夢の世界から呼び戻される。
でもそのプニプニ感が気持ち良くて、再び眠りに落ちようとしたのだけれど。

「ガウッ!」

「ぎゃっ!」

鋭く尖った物がプツリと頬に食い込んで。
オレはその痛みに驚いて跳ね起きた。

「ナッツ〜」

頬を擦りながら枕元にチョコンと座る愛猫のナッツをジロリと睨むが、ナッツはツンと素知らぬ顔。
飼い主の顔に爪を立てておいてその態度!

「お前なぁ、毎朝毎朝いいかげんにしろよ!オレ、寝たの4時だぞ?まだ7時じゃないか・・・」

自由業の気楽さで、あと3時間は余裕で寝られるというのに。
いつもいつもナッツの「朝ごはんちょーだい」攻撃に負けて、これくらいの時間に起きる事になってしまう。

「ぐるる・・・・」

ナッツがスリスリと小さな身体を擦り付けてくる。
今度は甘えんぼ攻撃だ。

「分かったよ・・・起きるから」

オレが渋々ベッドから降りると、ナッツもピョコリとベッドから飛び降りた。
そうして揃って寝室を出ると、階段を降りて1階にあるキッチンへと向かう。

「ナッツ、今日はどれにする?」

ナッツの前にいくつかの猫缶を置いてやると、フンフンとそれらの匂いを嗅ぐ。
まだ蓋を開けていない状態の缶詰が、はたして匂うのかは分からないけれどナッツは念入りに匂いを嗅いで。

「ガウッ」

『グルメ猫ちゃん御用達 舌平目と小エビのカクテル風』と書かれた猫缶を選んだ。

「まったく・・・飼い主のオレだって食べた事無いんだぞ。舌平目なんて」

ブツブツ文句を言いながら、ナッツ専用の皿に缶詰を移してやる。

「ほら」

そうして床に置いてやれば、ナッツはカツカツと美味しそうに餌を食べ始めた。
ナッツは1年ほど前に公園で拾った猫。
珍しいオレンジ色の毛並みに、顔のまわりだけがたてがみみたいにフワフワと長い毛足。
鳴き声も「ニャー」じゃなく、なぜか「ガウッ」。
小さなライオンみたいな変わった猫だ。
けれども性格は臆病。
他の猫が怖くて外になんて出れやしない。
家の中でだけ威張っている内弁慶なんだ。
オレはやれやれと息を吐くと、2度寝でも・・・と思ったのだがすっかり目が覚めてしまった。

「オレも朝ごはん食べちゃおう」

そう呟くと、早速冷蔵庫から卵とハムを取り出してハムエッグの準備。
それから電気ポットのスイッチを入れて、パンをトースターに放り込む。
熱したフライパンにハムを2枚と卵を1つ落とす。
焼けるのを待つ間に、キュウリとトマトをスライス。
皿にキュウリとトマトを盛リ付けて、ハムエッグも乗せる。
焼けたパンにバターを塗って、沸いたお湯でインスタントのコーンスープを作った。
小さい頃から鈍臭くてトロいオレだったけれど。
1人暮らしも5年目ともなると、これくらいササッとこなせるようになる。

「さてと・・・いただきます」

パンの上にハムエッグを乗せてパクリと噛り付く。
今日もいい出来だ。
ニュースを見ながら朝食を食べる。
1人だと無言で食べ進めるしかないからあっという間に食べ終わってしまった。

「そうだ。今日は燃えるゴミの日じゃん」

ゴミの回収車は8時を少し回った頃に来てしまう。
わたわたとゴミを纏めて外に飛び出した。

「よかった〜。まだ来てない」

ゴミを集積所に置いて一安心。
家に戻ろうとくるりと方向転換したその時。

「あら〜、綱吉君!」

ああ・・・うるさいのに見つかってしまった。
2軒先に住む山田さん家のおばさん。
世話好きで悪い人じゃないんだけど・・・とにかくおしゃべり。
一度捕まったら最後、一時間は離してくれない。

「お、おはようございます・・・・」

見つかってしまった以上逃げられなくて、オレはへらりと笑って挨拶した。

「おはよう〜。綱吉君偉いわねぇ。ちゃんとゴミ捨てて」

「へへ・・・まぁ、他に捨ててくれる人もいないし・・・」

「そうねぇ。あれでしょ?なんて言ったかしら。この間テレビで観たんだけど・・・」

いやだわね、年取ると忘れっぽくて。
あははっ、と山田さんは豪快に笑う。
ほとんど1人で喋ってる・・・。まぁ、いつもの事だけど。

「ああ、思い出したわ!『おひとりさま』!綱吉君みたいなのを『おひとりさま』って言うのよね!」

・・・・山田さん。余計なお世話です。


沢田綱吉。それがオレの名前。
29歳。独身。戸籍にバツは無い。
山田さんの言う通り、自由で気楽な『おひとりさま』だ。
そんなオレの職業は――小説家。
自分で言うのもなんですが、そこそこ売れているミステリー作家。
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