和5題-3

□微睡み
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「とっとと下手人をしょっ引きやがれ!」
威勢の良い声が、奉行所に響き渡った。
桐嶋を始め、同心たちが「まぁまぁ」と男を諌める。
だが男の剣幕はまるで収まる様子がなかった。

奉行所に殴り込んできたのは、娼館の主、井坂だった。
先日の火災で、娼館は焼け落ちてしまった。
そのことで井坂は奉行所に怒鳴り込んだのだ。
桐嶋の娘、日和をかばった律が斬り付けられたり、木佐が襲われて横澤は怪我をしたりした。
だがその下手人を捕まえらず、ついに娼館が全焼するに至った。
火元は裏庭の辺りで、火の気などない場所。
つまり付け火の可能性が高いのだ。

「テメーら奉行所が何もしねーから、こんなことになったんだ!」
井坂は鼻息荒く、そう叫んだ。
朗々とよく通る声は、外にもよく聞こえることだろう。
普通の町人ならば、つまみ出してしまうところだ。
だが曲がりなりにも井坂は武家の血を引いている。
迂闊に無礼なことはできなかった。

「それにうちの者が1人、行方がわからないんです。早く何とかしてください。」
影のように付き従う朝比奈が、井坂とは対照的な冷静さで要求する。
幸いなことに火事で死人は出なかった。
だが男娼が1人、行方が分からなくなっているという。
付け火の下手人が連れ去ったに違いないと、井坂たちは訴えている。

「とにかくさっさとしろ!」
「そうだな。さすがに付け火はただではすませられんな。」
井坂の訴えに、桐嶋は頷いていた。
先日、横澤を斬った男たちは判明していたが、召し捕るのを止められていた。
彼らは武家などの裏の仕事を請け負っていたので、圧力がかかったのだ。

だがさすがに今回はそうはいかないだろう。
付け火は重罪だ。
今回、焼け落ちたのは娼館だけで済んだが、下手をすれば関係ない家まで巻き沿いを食らう。

「俺からもお奉行には頼んでおく。このままにはしない。」
桐嶋はきっぱりと断言した。
井坂も朝比奈も完全に疑う表情で、桐嶋と居合わせた同心たちを見回している。
桐嶋は深々とため息をついた。
信用されないのは仕方ないが、とにかくこれ以上騒がれたくない。
井坂のよく通る声は、奉行所の外にまで響き渡っており、訴えの内容はまる聞こえだ。
奉行所がさぼっているようなことを吹聴されるのは、いいことではない。

「絶対に下手人を捕える。俺の意地にかけてもだ。」
桐嶋はさらに強い口調で、宣言した。
横澤のことだけではない。
いなくなった律という男娼には、以前日和をかばってもらった恩もある。
それに桐嶋はあの娼館の面々が好きだった。
話をするのは主に男娼たちだったが、気のいい者たちばかりだ。
何としても下手人を捕えて、彼らを安心させたい。

「わかった。あんたを信用する。」
井坂はようやく納得したようで、くるりと背を向け、去っていく。
桐嶋は井坂と朝比奈の後姿を見送りながら、ホッと胸をなで下ろした。
だが信用してもらったからには、なんとしてもこの一件を解決させなくてはならない。

桐嶋は知らなかった。
井坂と朝比奈が桐嶋に背を向けた途端、口元を緩ませたことを。
もしもそのことに気付いていたら、この件の調べはかなり違うものになったかもしれない。
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