和5題-3

□野分(のわき)
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「野分ってか。結構な旅立ち日和だ。」
井坂はゴロリと寝転んだまま、ニヤリと笑う。
外では吹き荒れる風と、何かが飛ばされてぶつかる音などが聞こえている。

「何を格好をつけてるんですか。ただの悪天候ですよ。」
朝比奈はそんな主の様子を見ながら、冷静な表情を崩さなかった。
寺に身を寄せていた娼婦や男娼たちは、全員旅立った。
身体を売る生活に別れを告げて、新たな1歩を踏み出したのだ。

それは井坂の地味な努力による部分が大きい。
娼婦たちのほとんどはもう故郷との縁が切れている。
今さら故郷に戻っても、身体を売っていたことは知れ渡っているからだ。
故郷に戻れば、好奇な目を向けられ、無遠慮な噂にさらされてしまう。
それならばと井坂は、希望する者たちに奉公先を捜してやった。

「これならみんな最後に、井坂っていい奴だったと思うだろ?」
「実際に走り回ったのは、私なのですが」
朝比奈は微かに頬と唇を緩ませている。
周りから見ると、これは微笑なのか?と首を捻ってしまう。
だが実はこれが朝比奈の爆笑だったりする。

結局、娼館の火事の下手人は、商売敵の娼館ということになった。
死人が出なかったから、重い刑罰にはならないだろう。
だがそれ以上に世間が騒いだ。
いくら商売敵でも、火をつけるのは言語道断であると。
あれではもう商売は続けられないだろう。
事実もう店は閉じてしまって、今は廃墟となっている。

「まぁ幸せを祈るしかねぇよな。」
井坂は自分に言い聞かせるように、呟いた。
その言葉が向けられた相手は、旅立っていた者たちだけではない。
井坂の唯一の気がかり、引き抜かれて向こうに移った娼婦たちへも向けられてる。
彼女たちは店がなくなると同時に、姿を消してしまったのだ。
できれば何とか身柄を引き取りたかったが、できなかった。

「本当にお優しいことです。」
応じた朝比奈の言葉には、皮肉も含まれている。
最後こそ綺麗な形で終わったが、娼館で大儲けしたのは間違いない。
結局一番得をしたのは、まぎれもなくこの井坂なのだ。

「じゃあ俺たちも行くか」
「この強風の中をですか?風が止むのを待った方が」
ようやく身体を起こした井坂に、朝比奈が意見した。
なにもわざわざこんな天候の日に出なくてもよさそうなものなのに。

「娼婦たちも苦難の道に旅立ったんだ。俺たちもそうしよう。」
「どこまで格好をつけてるんですか。」
朝比奈は文句を言いながらも、歩き出した井坂に従った。

例え野分でも、この主と一緒ならきっと退屈しない。
朝比奈は井坂の背中を見つめながら、そっと頬と唇を緩ませた。
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