□哀しいもんだろう?
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 「…お前、なんで逃げねぇの」

 きっと、俺の声は震えてた。




 生温い温度の中に、二人きり。
 息を吸えば汗の匂いと微かな血の香り
 が鼻をつく。
 薄暗い部屋の中に、二人きり。
 沈黙の中、聞こえるのは目の前の男と
 己の呼吸音だけ。

 「どうして、逃げないんだよ」

 こじゅうろう。

 目の前で服もボロボロになって身体中
 痣まみれになった己の右目に、問う。
 しかしその体は縄で縛られたりしてお
 らず、自由な状態だ。
 そう、いつだって逃げられる。

 それなのに。

 殴られて、蹴られて、罵られて、犯さ
 れて、それでも尚、お前がここにいる
 のは何故だ。



 「まさむねさま」



 返ってきたのは酷く掠れた声だった。
 だが、どこか力強く希望を忘れていな
 いような、しっかりとした声だった。
 こちらを見上げる目が、酷く優しい。

 「小十郎は、貴方から逃げようなど、
 少しも思いませぬ」

 「…なんで」

 「小十郎は貴方の右目に御座います」

 「でも、俺はお前に酷いことを」

 「政宗様」

 スッと伸びてきた小十郎の手が、俺の
 頬を優しく撫でた。
 その手の温度が暖かくて、優しくて。

 「こんな貴方様を置いていけるわけが
 ないでしょう」



 涙が、溢れた。



 「…こじゅろ、」

 「はい、政宗様」

 「ごめんな、小十郎、ごめんな」

 「謝らないでください」

 まるで小さな子供に話しかけるような
 口調で小十郎は泣き止まない俺の濡れ
 た頬を撫で続けた。
 俺は噛み殺せなかった嗚咽を部屋に響
 かせながら唇を噛んだ。

 狡い。
 お前は狡い。
 お前の優しさに俺ばっかりがおかしく
 なっていく。



 …狡い。



 これ以上泣き顔を見られるのも癪で、
 小十郎の厚い胸板に頭を押し付けた。
 頭上でクスクスと笑い声がする。
 畜生、なんか悔しい。
 だが小十郎の心臓が速いことに気付く
 と、そんなことはすっかりどうでもよ
 くなった。

 もう二度と、こんなことはしないと心
 に誓った瞬間だった。









 









(だけど、愛してる)


















 
 

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