BBハザジン小説

□狐達のとある休日(後編)
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じっと、処刑を待つ心地でテルミがハクメンの端正な顔を見つめていると、その無表情の顔がふと口端を歪めた。
「ようやっと、謂ったな」
「……え」
ククッと喉奥で笑い、ハクメンが緋色の眼を細める。
その反応にテルミがよく意味が分からずに惚けていると、ハクメンは笑いを収めてふっと息を吐いた。
「謝罪の言葉を、待っていた。……貴様が口にする事は最早無いやもしれぬ、とも思っていたが」
意外にも早かった様だ、と呟くハクメンに優しい眼差しを向けられ、テルミの心臓が跳ね上がる。
……そっか。もっと早くに謝っときゃよかった。
うやむやにしたまま、ずっとあの事件について正面から触れてはこなかった。反応が怖くて、無意識に逃げていたのだ。
ハクメンが恨んでいないと言ったのは、本当だろう。ただ、謝罪がほしかった。悪かったと認めてほしかった。そういうことだ。
少し肩の荷が軽くなったような気がして、テルミは微かに笑った。
「ハクメンちゃん、お人好しすぎだろ。俺のこと、マジで恨んでねェのな」
「そうだな、恨んではい無い。軽蔑はしていたが」
「……あれ。なんか地味にグサッとくんだけど」
さらりと返答するハクメンに、テルミは顔を引きつらせる。最低なやつだと軽蔑されるのは、下手に憎まれるより何だかタチが悪い気がした。
まあ……自分がやったことは実際に最低だったから、そう思われて当然なんだろうが。
少しは自分の株が上がったかなと思っていたが、どうやら今でやっとスタートラインに立ったとこらしい。今までの評価が、マイナスにめり込んでいたわけだ。
嬉しいのか悲しいのか微妙な気分でいると、押し黙ったテルミの様子に気付いてハクメンがフォローするように付け足した。
「しかし近頃は……特に今日は、本当に助かった。私では知る事が出来ない物、感じられない物を多く体験させて貰った」
「……そっか? なら、よかったけどよ」
大したことはしていないが、そう感謝するハクメンの表情に好意的な色を見て、テルミは少し気分が良くなる。自分でも現金な奴だと思うが、この男に惹かれているのだから仕方がない。
「……っと。早く帰らなきゃ晩飯にありつけねェな」
車を止めたままなのを思い出し、テルミはシートベルトを探った。運転したまま真剣に話していたら事故でも起きそうで止めたのだが、これではいつまで経っても家には着かない。
暗闇の中、シートベルトを探すテルミの手にビニール袋が当たり、かさりと音を立てた。そういえば、バラ園で花束を買ったんだった。
真っ白な色に惹かれて、ガラにもなく買ってしまった薔薇。
きっとこの薔薇はハクメンに似合うに違いない。テルミはそう思い、シートベルトではなく袋に入った花束を手に取った。
ガサガサと音を立てるテルミに、ハクメンが不審げな視線を向ける。しかし構わず薔薇を一本手折ろうとして、小さな反撃に遭った。
「……痛っ」
「如何した」
「あ〜、薔薇にトゲが残ってたみてェだな」
普通は花束にする時にトゲを処理するはずだが、たまたまその一箇所だけ取り忘れていたらしい。
ぷくりと血玉が出来た中指を見、テルミは舌打ちした。そう言えば、あの忌々しい吸血鬼は薔薇を好んで理事長室に飾っていたなと、つられて嫌なことも思い出してしまった。
だが、テルミが一人ふつふつと苛立ちを溜めていたところで、するりと近付いた白い手にテルミの手が掴まれる。
「血の匂いがする」
低い声がそう呟いたかと思うと、ハクメンがテルミの手を口元に運んだ。
そして驚く間もなく、控えめに開いた唇に食まれる。
「ちょ……、ハク…メン……?」
思わず動揺しながらテルミはハクメンを呼ぶが、彼は気にした様子もなくテルミの中指に吸い付いた。
傷口を舐められた僅かな痛みと、それを消し飛ばす高揚と劣情にぞわりと項に痺れが走る。
……文字通りの、すげぇリップサービスだなオイ。
そんな冗談が脳裏を掠めるが、テルミの視線はハクメンの唇に釘付けだった。
薄いが整った唇から、ちろりと覗くほの赤い舌と濡れた感触が心地良い。
テルミが食い入るようにその様を眺めていると、浮き出た血を舐め取ったハクメンが、細めていた眼をこちらへ向けた。
「未だ痛むか?」
「……。いや…なんつーか、別ンとこがダイレクトに痛ェわ」
他意も悪意もないのは分かっているが、下半身が暴走しかけるからそういう不意打ちはマジで勘弁してほしい。
興奮と諦めを綯い交ぜにしながら答えたテルミに、ハクメンは真面目よろしく言葉をそのまま受け取って、気遣わしげな眼差しを向けてきた。
「他の所が痛むのか? 私で良ければ手当て為るぞ」
「うッわ、マジで? お願いしま……てアホかッ、ダメだっつの!」
願ってもない申し出に、欲望のまま二つ返事しかけて我に返る。完全に不埒な妄想しか浮かばなかった。危ない。
調子に乗って、じゃあ下半身のものを舐めて治してくれよ、などとこのハクメンに言おうものなら、意味を理解した瞬間に斬り落とされかねない。
取られていた手を取り戻して大きな溜め息をついたテルミは、煩悩を打ち消すことに努めた。
「一体、如何した。何処が痛むと謂うのだ?」
「何でもねェ。……マジで何でもねェよ」
不思議そうに聞くハクメンに、テルミは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
不審な態度に訳を聞くハクメンに、テルミは何でもねェと念を押しながら、気を取り直して薔薇を適当な長さに千切り、ハクメンの三つ編みに差し込んだ。
藤色の髪に白い薔薇はよく映える。
「やっぱ似合うな」
これだけガタイがいいのに薔薇が似合うなど、奇妙なことではあるが、全体的に色素が薄いせいか違和感があまりない。
ついでとばかりに、さらに四本ほど薔薇を差すと香りと重みの増したそれに、ハクメンが怪訝な顔をした。
「本当に、如何したと謂うのだ、テルミよ。今日の貴様は、可笑しな態度ばかり取る。……何処か具合が悪いのか」
検討外れな心配をするハクメンに、テルミは思わず脱力する。
何故この男は、自分が好かれていると察してくれないのだろうか。やはり、はっきり言うしかないのか? このままでは、良くてもオトモダチで終わりそうだ。
……言うか。言うしか、ないか。
テルミは胸中で自問自答しながら、腹を括った。
邪魔が入らないことを祈りつつ、テルミは座席から乗り出すように近付く。そしてカチンと音を立てて、ハクメンのシートベルトを外した。
何事かとこちらを見るハクメンの三つ編みを些か乱暴に引っ張り、テルミは強引にその長身を引き寄せた。その勢いに、髪に刺さっていた薔薇が一輪抜け落ちる。
「テ……っ……!?」
名を呼ぼうとしたその声を封じ込めるように、テルミはハクメンの唇を自分のそれで塞ぐ。驚きで緩んだ唇に舌を差し込むと、ハクメンの肩がびくりと跳ねた。
昼の神社でしたような、触れ合うだけの可愛いものではない。貪るような勢いで舌を絡ませる。
反射的に逃げようとするハクメンの滑らかな顎を、テルミは空いていた方の手で掴んだ。
強引に口を開けさせ、戸惑う舌を絡め取って吸い上げる。濡れた感触にハクメンの柳眉がきゅっと寄った。
「……ッ、ン…ゥ…!」
押さえつけるテルミの手を引き剥がそうと、ハクメンが長い爪を立てて抵抗する。だが、まだ事態が理解できていないようで、戸惑いを多く占めたその抵抗はあまり意味をなさなかった。
手首に食い込む爪の痛みは無視して、テルミはその舌の感触を堪能しようとより深く口付ける。長い舌を絡ませて、舌の根や歯茎をくすぐると鋭い目元に朱が差した。
気配と手探りでしかこちらの動きが掴めないハクメンは、こちらの胸を押して遠ざけようと試みるが、テルミが三つ編みを手放して代わりに腰を引き寄せると、驚いて反射的にテルミのシャツを掴んだ。
縋り付くような態勢に気を良くしたテルミは、吸いついた舌を解放し、今度は啄むように下唇を食む。
しかしその感触にぶるりと震えたハクメンが、我に返ったように赤い双眸で睨んできた。本来の強い意思を宿したその眼差しに、あ…ヤバイと思った矢先、鞭で叩かれたような痛みが左頬に走る。
「ン…ッ……ハァ! き、貴様…っ、如何謂う心算だ…!」
ドンと勢いよく突き飛ばされ、テルミは座席の上で上半身をよろめかせながら身を離した。流石に本気で拒まれると力で適うべくもなく、退くしかなくなる。
些か上擦った声音で叫ぶハクメンに、少し新鮮な気分を味わいながらも、テルミは張られた頬の痛みに顔をしかめた。どうやら平手打ちに遭ったらしく、当たった爪跡からじわりと血が滲み出る。
掴んでいた手は呆気なく払われ、テルミは空中に漂っていた手を引き寄せて自分の頬をゆるく撫でた。
「痛ェ〜、顔かよ。目立つな……」
「……あ……。…す、済まぬ。大丈夫か」
思わず、見た瞬間に指差して笑い出すハザマを思い描いてしまったテルミがそう呟くと、途端にハクメンが気遣わしげに声をかける。
自分を襲った相手を心配するなんて、とんだ甘ちゃんだ。……だが、そんなだからこそ、いつの間にかほだされてしまったのだろう。
空を漂うハクメンの手を取り、テルミはぎゅっと握り込んだ。
「なァ、ハクメンちゃん。俺、こういう意味でお前のこと、好きなんだけど」
まだキスの余韻に戸惑うハクメンに、テルミは出し抜けにそう言う。
真剣に言っているのだと伝えたくて、掴んだ手に指を絡ませると、微かに息を乱したハクメンが緋色の眼を瞠る。
「……何を、謂っている……?」
「お前が好きだっつってんだよ。キスして、押し倒して、犯してェ。そういう好き、な」
「――な……!?」
明け透けな物言いに、ハクメンが絶句した。
だがテルミが正直に気持ちを吐露していると分かったのか、ハクメンにしては珍しく長い逡巡をしてから、さ迷っていた緋色の目をこちらへ定め、不可解そうな表情をする。
「何故……、何故然う為るのだ……。貴様は私を殺したかったのではなかったか」
「昔は、な。でも今は、お前に惚れてる――」
今でも腹立つところはあるが、好きになったところなんて、そんなの軽く越えている。気が付いてしまえば、好きにならない訳がない。
だが、テルミがそれを言い募ろうとした瞬間、唐突に強烈な痛みが胸を襲った。
「ぐ、ァッ!!」
「! テルミ……!?」
胸部に直接手を突っ込まれ、心臓を鷲掴みされたような痛みに、息が詰まる。
思わず心臓の上を掻き毟り、テルミが身を折ると、ハクメンが驚きの声を上げた。
ヤバイ。見つかった……!
握り潰されるような痛みに脂汗を浮かべたテルミは、体調が急変した理由を察する。自分が想定していた通りの、最悪の事態。
そしてその元凶が、近付いてくる気配にテルミは総毛立った。背中に氷の塊を押し付けられたような冷たさと不快感が、素肌を這う。
同じく気付いたハクメンが、鋭い眼差しをテルミの背後――車外に向けた。
「……つくづく、妾の意思に反する愚かな狐だ」
突如、背後から響いた冷え冷えとした抑揚のない声。
拙い少女のそれにしか聞こえない声音に、テルミは顔を引きつらせた。胸部は灼熱の痛みを発するのに、頭は恐怖に凍えていく。
「貴様は……帝、か」
あまりの痛みに変化が解けて狐耳が現れたテルミを庇うように、ハクメンが背に腕を回して、車の外に立つ人物に言葉を向けた。テルミから見えないが、現れた帝がハクメンとテルミに冷ややかな眼差しを向けて、そこに立っているのが分かる。
前触れもなく陽炎のように現れたその少女の正体に気付き、ハクメンの妖気が一気に増した。ぶわりと、雄々しい九尾と狐の耳が現れる。
だが、帝はまるでハクメンの存在など無視して、激痛に耐えるテルミの背に視線を突き刺した。
「のう、テルミよ。其方は己が役目を忘れたか? 其れ程までに愚かであったか?」
「う、…ぐ…がぁっ!」
心臓に巻き付けられた針金をギリギリと絞るような痛みに、テルミの体が跳ね上がる。
堪らず、血が滲むほど胸に爪を突き立てて悲鳴を上げるテルミを、ハクメンは抱き寄せて妖気の障壁を練り上げた。
「貴様、如何なる心算だ!」
「何、獣を躾ている迄。其方の方こそ、何故に其の狐を庇う」
ハクメンの結界で幾らか痛みが緩和するが、根本的に力の発生方向が違う為に、テルミへの戒めは緩まない。
歯を食いしばるテルミを腕に抱え、ハクメンが白い耳を立てて帝を睨み据えた。
「同朋をも尊厳無く扱う、貴様の遣り方が私には許し難い」
はっきりと嫌悪をのせて、ハクメンが見えない赤い双眸を帝へ向ける。しかし、帝はその侮蔑を鼻で笑うだけだった。
「ふ……くだらぬな。もとより、その狐は妾の同朋ではない。かつて死に至った双子の狐を蘇らせ、この世に生かしたのは妾だ。故に所有物同然、生かすも殺すも妾の意思一つ」
「ぎ、ァッ!!」
「テルミ……!」
心臓を握りつぶされる寸前の激痛に、テルミは叫びかけて歯を食いしばる。誤って噛みちぎった唇から、鉄臭い味が流れた。
悶え苦しむテルミが帝に直接心臓を握られているのだと察したハクメンが、珍しく舌打ちし天を仰ぐ。
「見ているのだろう、吸血鬼! 其方へ回収しろ!」
この場ではテルミを庇いきれないと判断したのか、レイチェルに助けを乞うた。ハクメンは迦具土の土地ならばヌシとしての強い力を行使できるが、別の土地では全力を発揮できない。
不利だと悟ったハクメンの迅速な判断に呼応するように、異質な力が周辺に発した。レイチェルの転移の力だ。
『私に命令するなんて、高くつくわよ。英雄さん』
帝とは異なる、少し不機嫌そうな少女の声が脳裏に響いた。レイチェルの声にテルミは反射的に苛立つも、今回ばかりは感謝する他ない。
ぐにゃりと歪む空間に呑み込まれながら、メンドくさい主人にこき使われてばっかだな俺ら、と自分とハクメンの境遇を憐れんだ。





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