BBハザジン小説

□狐達のとある休日(後編)
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激痛に耐えきれず気を失ったらしいテルミを車外へ運び出し、ハクメンは周囲の気配を探った。
レイチェル得意の転移で、どうやら車ごと迦具土へと移されたようだ。
目覚めないテルミの脈を取り、問題ないことを確認したハクメンは横抱きに抱えて、首を巡らせる。鼻腔を擽る薔薇の香りに、直接レイチェルの屋敷へ呼び込まれたのだと察した。
「こっちだ、ハクメン」
「……ヴァルケンハインか」
掛けられた男の声に、ハクメンは微かに安堵の色を浮かべる。レイチェルの執事である、ヴァルケンハインという名の人狼だ。
「ここならば、レイチェル様とお前の結界で二重の加護が得られよう。とはいえ、その小僧が心臓を抑えられている限り、気休め程度でしかないがな」
「そうだな……」
ぐったりと動かなくなっているテルミに視線を下ろし、ハクメンは頷く。
まさかテルミが直接、帝に生命を握られているとは少し予想外だった。そして、道具のように扱う帝の態度もまた同様に。
ハザマは帝の部下としてそれらしい振る舞いをしているが、考えてみればテルミは帝を敬うような言動を見せたことがない。命令を一応は聞くものの、好き勝手に行動しているせいで、もしかすると反感を買っているのかもしれない。
ハクメンは顔を上げ、ヴァルケンハインに問い掛けた。
「何処か、此の男を休ませられる場所は有るか?」
「ハクメン。まさかその汚らわしい狐を、屋敷の中へ入れる気か」
「既に此処まで招き入れた後だ。今更さして変わりは有るまい」
あからさまに嫌悪の気配を漂わせるヴァルケンハインを、ハクメンは宥める。
如何なる状態であろうと、確かに敵を敷地内に入れるのは得策ではない。しかし帝の目が届かないのはここくらいのものだ。
テルミを抱えたままハクメンがじっと見つめると、ヴァルケンハインがやれやれと息を吐いた。
「その辺りに転がしておけば良いものを」
「弱っているのだ。然ういう訳にも往くまい」
「その甘さ、いつか命取りにならぬ事を祈るが……まあいい。中に入れ」
「済まぬな」
渋々と了承したヴァルケンハインが、屋敷の方へと歩いて行く。彼の懸念ももっともだと思いながらも、ハクメンはしっかりとテルミを抱えてその後ろについて行った。
薔薇の庭園に囲まれた門を通り、屋敷の重厚な扉を潜る。
ここの薔薇は、そういえばどこか蠱惑的で陰鬱な香りを放っていると、ハクメンはテルミと訪れたバラ園と比べて思った。人間に手入れされて日の光を浴びたバラ園は、香りが拡散してしまい薄くなっていたが、代わりに青々と茂る瑞々しい香りがしていた。
レイチェルが作ったこの亜空間の屋敷は、まるで主人の気分を反映したように、常闇に包まれている。だからか、甘いが健康的な香りはしない。
ハクメンは屋敷の中に入り、いつもと同様にあてがわれた自室へ足を向けた。
テルミはハクメンが学校のどこか、恐らくは宿直室や事務室辺りで寝泊まりしているものと思っているようだが、実際はレイチェルの屋敷の一室で夜を過ごしている。亜空間への入口にそういった部屋を介しているので、傍から見ればそう思えるだろうが……。
迷わず自室へと向かいかけたハクメンの肩を、ヴァルケンハインが唐突に押し留めた。
「待て。其奴と貴様を二人きりにするのは危険だ。先の談話室に連れて行け」
足を止め、ハクメンは言われたことに首を傾げる。
「寝かせるだけだ、何処の部屋でも変わるまい」
「その小僧だけならば、大して警戒はせぬ。だが……例えば其奴を媒介にして、帝が何か仕掛けてくる可能性はあるだろう」
「……」
ヴァルケンハインの鋭い指摘に、ハクメンは反論の術を持たなかった。
簡単に殺されかけるテルミを目の当たりにしたのだ。可能性を否定しきれない。
ここは素直に従うべきだと判断し、ハクメンはヴァルケンハインの先導で談話室へと足を向けた。
装飾が施された扉の向こうには、既にレイチェルがソファに腰掛けていた。
「お帰りなさい、英雄さん」
優雅にティーカップを口元に運び、少女が冷ややかな眼差しをこちらへ向ける。口調はいつもと変わらず抑揚のない穏やかなものだが、機嫌が悪いのは明白だった。
「済まなかった」
「ええ、そうね。そんなぼうやの為に私がわざわざ力を割いたのだから、それ相応のお礼はしてもらうわよ」
先に謝っておこうと謝罪を口にすると、レイチェルが矢継ぎ早に注文をつける。
相変わらずの不遜な態度にもはや苛立ちも湧かず、ハクメンは何を為れば良いかと聞き返した。
「明日は、貴方が食事を作りなさい。ついでだから、掃除もしてもらおうかしら。ヴァルケンハインにも、たまには休みが必要でしょう」
「お気遣い頂き有難うございます、レイチェル様」
恭しく頭を下げるヴァルケンハインにレイチェルは柔らかい笑みを向け、美しい主従関係を披露する。
だがハクメンはもとより興味はなく、素っ気なく「承知した」の一言だけ言い、近くの空いているソファにテルミを横たえた。
実際の目は見えないが、ふと視線と気配を察してハクメンがテルミの顔を覗き込むのと同時に、おさげ髪を引っ張られる。
「膝枕してくれよ、ハクメンちゃん」
「……気が付いて、第一声が其れか」
下ろした振動で目が覚めたのか、笑いながらそう言うテルミに、ハクメンは呆れの眼差しを向けた。
この期に及んで馬鹿なことを言うテルミにため息が出るが、苦痛を抑えながら言っているのは、微かに乱れた息遣いで察せられる。
ハクメンは弱々しく掴むテルミの手を、容易く払いのけた。
「……退け」
低い声でそう告げ、テルミの肩を掴んで強引に上半身を起こさせる。煩雑な扱いに、途端にテルミが悲鳴をあげた。
「痛ててッ! ちょ、何す…っ」
呪縛を受けた体も痛むのか、反射的に暴れかけるテルミをいなし、ハクメンは空いた空間に腰を下ろしてから、喚いてうるさい逆立った頭を元の位置に引き戻した。
「あれ……?」
筋肉で盛り上がった太腿の上に頭を乗せられ、テルミがキョトンとする。
自分が望んだことだろうに、意外そうなテルミにハクメンはため息をついた。
「居心地は悪いだろうが、我慢するのだな」
「えっ、膝枕してくれんの!? ハクメンちゃんマジ天使!」
「ヴァルケンハイン、その煩いぼうやをつまみ出してちょうだい」
「御意」
テルミが歓声をあげるや否や、レイチェルの冷たい命令が飛んでくる。承諾したヴァルケンハインが大股で近付いてくる気配に、テルミは途端に慌てた。
「オイオイやめろってッ、暴力反対! 俺、今病人……痛ェッ、離せやオッサン!」
ヴァルケンハインに無言で頭を鷲掴まれ、テルミが喚き立てる。
思わずハクメンがその腕を更に掴んで抑えると、ヴァルケンハインの衰えを感じさせない鋭い眼光が突き刺さった。
「貴様は甘過ぎるぞ、ハクメン」
「やっぱ頼りになるわー。あンがとよ!」
「……安心するのは些か早いぞ、テルミ。良い機会だ、必要な事を色々と吐いて貰おう」
「げ。マジで? あらら怖〜い」
能天気な物言いにハクメンが目を細めて見下ろすと、テルミが引き攣った笑いを浮かべる。
ヴァルケンハインを抑えていた手を離し、ハクメンがテルミの喉を抑えると、こくりと唾を飲み込む振動が伝わった。
「貴様を自由に出来るのだと謂う事、斎め忘れぬな」
「……そんな熱〜い視線でンなこと言われたら、興奮しちまうだけだっつの」
「巫山戯るな」
「ふざけてねェって。だって俺、とっくに帝に命握られてんだから、今更そんな脅しは効かねェよ」
大体お前、殺気なんて全然ねェじゃん?
凄むハクメンに堪えた様子もなく、テルミはそう言ってケラケラ笑った。
こちらを見透かした言動に苛立つも、話など無視して向けられるテルミの鋭くも熱っぽい視線に困惑する。あまつさえ喉に当てた手をテルミに愛おしげに握られ、思わず手を引きかけた。
「なあ、それよか告白の返事まだ聞いて……痛ッて!!」
唐突に飛んで来た肥満のコウモリが顔面に直撃し、テルミが悲鳴をあげる。直前に察知していたヴァルケンハインは、いつの間にやらテルミから手を離して一歩退いていた。
割り込ませるように従者を投擲に使ったレイチェルをハクメンが驚いて見ると、彼女は不遜げにため息を吐いている。
投げつけられて目を回すコウモリのギィを、テルミは忌々しげにひっ掴み、部屋の奥へと放り投げて眼前から消し去った。
ひどいっス〜!と叫ぶ声が衝突音と共にふっつりと途絶えるのを聞き、ハクメンは大丈夫だろうかと首を巡らせる。
「いい加減にしなさい、ぼうや。帝の元へ直接転送しても良いのよ?」
「あ、それヤバイわ。そっこーで殺されちまう」
レイチェルの脅しに、テルミはあっさり諸手を挙げて降参の意を示す。握られていた手が解放され、ハクメンは内心安堵した。
「……で。何が聞きたいわけ? 俺、大したことしゃべれねェぜ。言った途端に自害させられちまう、禁止ワードもあるしよ」
肩を竦めて、テルミがあっさりとそう言う。
致命的な情報漏洩をした場合、テルミの体そのものにし掛けられた帝の呪いが実行されるのだろう。それは条件付けによるものであり、帝の監視なしで発動してしまうため、この場においても効力を持つ。
学校を含めた迦具土一帯はハクメンの妖力で結界を巡らせており、外部の強力な妖怪が入れないようになっているので、帝はそもそもここへ近付くことは出来ない(逆にテルミやハザマのような戦闘能力の低い妖怪は出入りが出来る)。
その中でレイチェルの吸血鬼としての力で作り出されたこの亜空間は、ほぼ鉄壁と称しても良いほどに外部と隔離されている。
よって、帝はこの中での会話を知ることは出来ない。
……だが、この後にテルミを帝の元へ帰せば、テルミの記憶から帝はこの場の出来事を知ることが出来るだろう。
テルミは帝にとって従者というより、駒であり記録媒体そのものだ。
レイチェルもその危うさを理解してか、テルミの忠告に「最初から期待していないわ」と一笑に付した。
「貴方が二重スパイなのも、分かりきってることだから。答えられないものは黙っていなさい」
「へーい。……つっても、俺がウソつかねェ保証なんてないんじゃねーの?」
ハクメンの太腿を枕にしてソファに横たわったまま、テルミがひらひらと手を振ってそう言う。尤もな指摘だが、テルミの性格を知っていれば言うまでもなく警戒してしかるべきことだった。
熟知しているレイチェルは、ふふ…と妖しげに笑う。
「正直に答えたら、英雄さんを好きにしてもいい権利をあげるわよ」
「よし乗った!」
「……何の話をしている!?」
唐突に出てきた自分の話題に、ハクメンは驚愕した。やおら喜び勇むテルミの頭を押さえつけ、ハクメンがレイチェルを睨むと、少女は実に愉しげに嗤う。
「英雄さんから何かするわけではないのだから、別に構わないでしょう。嫌なら拒めばいいことよ。私は邪魔しない、というだけ」
「貴様……!」
「ラッキ〜、それで十分だわ。邪魔入らなきゃいいだけだし……ぃてッ!」
何を言おうが馬耳東風なレイチェルへの怒りも込めて、ハクメンは歓声をあげるテルミの狐耳を尖った爪で引っ張ると、悲鳴をあげて膝上で藻掻いた。
耳、千切れる!と大袈裟に喚いて尻尾をバタつかせるテルミに、レイチェルは何事もなかったように質問する。
「テルミ。貴方の弟……ハザマが現れたのは、何か企みがあってのことよね?」
マイペースに投げかけられる問いに、ハクメンも手を離してそちらを見やった。テルミは硬直したように、不自然に動きを止める。
どう答えるのかとハクメンがテルミに視線を落とすと、テルミは無言のまま腕を動かした。
見えないが、伝わる振動から察するに恐らくは、×を形作ったのだろう。それを見たレイチェルが納得したように頷いた。
「答えられないというのが、まさに答えね。……いいわ、その件についてはこちらで調べるから、これ以上は聞かない」
「……そりゃどーも」
あっさりと引き下がったレイチェルに、テルミは歯切れ悪くそう答える。慎重に言葉を選んでいるらしく、緊張しているのがこちらにも伝わった。
テルミが既に潜入しているのも関わらずハザマを寄越してくるということは、確実に意図があってのことだろう。帝が本腰を入れてきたと認識して良いようだ。
「じゃあ、二つ目の質問。貴方は今、帝から命令を受けてる行動があるかしら?」
対して、気負う様子もなくレイチェルは優雅に紅茶を口に運びながら次の質問を投げかけた。
テルミはその質問に、あー…と呻く。
「テメェとハクメンちゃんの、監視ってとこかねェ」
おざなりな口調でそう言いながら、テルミがジーンズの上から太腿を撫でてきた。それをハクメンは無言で叩き落とす。
レイチェルは呆れたようにため息をつき、鋭く紅い眼差しを向けてきた。
「嘘をつくと、お預けよ」
「いやいやッ、ウソじゃねーよ! ウソは言ってねェってマジで」
「本当の事を全部は言っていない、というわけね」
「さァ〜な」
レイチェルの追及に、テルミはひらりと手を振って曖昧な返事を寄越す。他に何か命令はあるが、それを明かせば身が危うくなる、と解釈すべきか。
……勿体ぶっているだけで、大した意味などない可能性もあるが。
レイチェルはそれ以上突っ込むことはせず、観察するようにこちらを見る。
その眼差しが先程とは少し気配を変えたことに気付き、ハクメンは何も映さない緋色の眼を向けた。
珍しく、少し言い淀むようにレイチェルが一拍空けて口を開く。
「……最後の質問。車での告白は、貴方の意思かしら? それとも帝からの命令かしら?」
「……!」
問われたのはテルミだというのに、ハクメンは思わず息を呑んだ。その質問を耳にして初めて、今更ながら策略の可能性に気付かされたのだ。
思い詰めた様子で好きだというテルミを不思議に感じてはいたが……そうか。
何故、今までその考えに及ばなかったのだろう。
ハクメンはなるほどと胸中で納得するが、同時に僅かながら空虚なものが胸中に広がるのを感じた。
「おい……クソ吸血鬼」
ふと、下の方から地を這うような憤怒の声が響く。
ハクメンがそちらへ反射的に視線を動かすと、テルミがゆっくり膝から起き上がり、ありありと怒りを滲ませながらレイチェルの方を射殺しそうな眼差しで睨み付けた。
「テメェよォ、くッだらねぇこと言ってんじゃねェよ、あぁ? なますにすンぞクソ餓鬼」
「あら、図星をさされて激昂とは醜いわね」
唐突に本気でキレ出したテルミを、レイチェルが冷ややかにこき下ろす。





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