狐テルミ×ハクメン

□狐テルミ×ハクメン〈壱〉
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狐テルミ×ハクメン







「ッくっそ! なんでこんなとこに、穴空いてんだよっ」

不意に苛立ったような叫びが響き、ハクメンは周囲を見渡した。
声の主の姿は、見えない。耳を済ませたハクメンは、再び聞こえてきた悪態に、そちらへと歩を進めた。

ほどなくして見つけたのは、亀裂のように地面に走った穴と、その中で騒ぎ立てる小さな狐。

「……其処で何をしている」
「はぁ!? 見りゃ分かんだろっ、こんなとこに穴空いてっから落ち――ぬおッ!? なんだテメェ気持ち悪ィな、顔が白……ん? 面?? なんでそんなん被ってんのお前。前見えねぇじゃん。アホか?」

ハクメンが声を掛けた途端、狐は驚くほど矢継ぎ早に喋り出す。思わずそのマシンガントークに押し黙ってしまったハクメンは、ばたばた尻尾を振りながらこちらを見上げる狐を見下ろした。

緑の逆立った髪に、ぴょこんと生えた黄金色の尖った耳。先の白い、分厚くふさふさの尻尾。
これらのパーツは確かに愛らしいと言えるが、こちらを睨む鋭く釣り上がった眼や口元から覗く牙は、何か凶悪さを醸し出していた。

穴の深さ自体は成人男性の身長程度だが、体の小さいこの狐には絶壁に等しいだろう。このまま放置すれば、いずれ命を落としかねない。

放っておくわけにもいかず、ハクメンは足場を確かめつつ、穴の底へと滑り降りた。

「お? 助けてくれんのか? のっぺらぼう」
「……我が名はハクメン。其の様な名に非ず」

狐の体を掬い上げ、ハクメンは煩雑に地上へと投げた。
さほど勢いはつけていないが、驚いたのだろう。尻餅を付いた狐が、非難がましく叫ぶ。

「痛ってーじゃねぇか! 投げんなよ!」
「受け身くらい、取れぬのか」
「……うっせぇな。足、くじいてんだよ」

呆れたようにハクメンが言うと、狐の語気が弱まった。
穴に落ちた時に、足を怪我していたのか。あまりに口煩かったので、てっきり元気なのだと思っていた。

気づかなかったこちらも悪かったかと思い直し、ハクメンは難無く穴から出て、狐へと近付く。

「済まなかったな。手当てくらいはしよう」
「……!」

小さな体を再び掬い上げ、ハクメンは徐に歩き出した。
今日はふもとまで降りて魔物を狩る予定だったが、一度家へと帰った方が良さそうだ。

鋭く伸びた爪で傷付けぬよう、柔らかく胸元で抱えたハクメンを、狐は意外そうに見上げてきた。

「なになに、お前ゴッツイ見た目の割には優しいんじゃん?」
「騒がれるのが面倒なだけだ」

にまにまと気味の悪い笑みを浮かべながら、こちらを見つめてくる金色の瞳から目を逸らす。
捨て置くのは寝覚めが悪い気がしただけの話だ。優しさでもなんでもない。

腕の中で色々話し掛けてくる煩い狐に、適当に相槌を打ちながら、ハクメンは今来たばかりの道を戻り始めた。












山中に放置されていた民家を手直しして、そこに住み始めたのは九十年ほど前からだろうか。
特殊な鎧と術式により、永劫変わらない肉体を持つハクメンは、古びた日本家屋を拠点としていた。

連れ帰った狐の足に応急措置を施し、ハクメンは再び刀を取る。

「此処で休むのも、住み処へ帰るのも貴様の自由だ」
「お〜、有難うよ! つーか、どっか行くのかお前?」
「……我が使命を果たしに往く。日が落ちてから、戻る事と為ろう」

奥の土間に食糧も有る、好きに食せ、と付け加えてハクメンは家を出る。
その背に、おう!と小気味良い返事が投げ掛けられた。
















魔物を、魔素を、この世から塵も残さず消し去る。
それがハクメンの背負う宿命であり、この世に留める呪縛だった。
昔に比べれば随分と魔素の濃度は薄くなったとはいえ、未だに魔素に浸食されて狂う動物も後を絶たない。

今日も魔素を払ってきたハクメンは、いつものように日が暮れてから住み処に帰った。
人里離れた山の中、当然ながら周囲には一片の明かりもない。空に浮かぶ満月だけが、古びた日本家屋を宵闇に浮かび上がらせていた。

いつもと同じ、真っ暗な家を視界に入れていた為、ハクメンは何の疑問もなく家の中へと踏み入る。
だが、不意に声が掛かった。

「よォ、おかえり〜」
「! 貴様……」

誰かいるとは思っていなかったので、ハクメンは驚く。
間延びした声をかけられて、そちらに目を向けた。……と言っても、ハクメンの本来の眼は光を失っており、鎧に施された代用の眼だ。
紅い複数の眼を向けた先には、暗闇に立つ影があった。

すらりと伸びた身体に、着崩した着物を纏った男が、畳の上に立っていた。
重力に逆らう髪は鮮やかな緑、頭から生えているのは尖ったフサフサの動物の耳、後ろでゆらゆら揺れるのは分厚い尻尾……。

明らかに見覚えのある特徴ばかり持つその男に、ハクメンはあの狐だと確信するが――大きさの違いに戸惑っていた。

目の前に立つ男は、決して片手で抱えられるようなサイズではない。耳と尻尾さえなければ、人間の成人男性と変わらない程の成長を遂げていた。

「如何謂う事だ……?」
「あー、やっと不便な体から解放されたぜ。この山、妙に魔素が薄かったからな。……キヒッ、こんなナリで驚いた?」

探るように見るハクメンに、狐は口端をつり上げて笑う。切れ長の金色の眼が愉快そうに歪んだ。
その口振りに、ハクメンは面の下で眉をひそめる。

この周辺は特に、ハクメンが頻繁に魔素を払っているので、濃度は市街地より遥かに低かった。
そのせいで今の姿を維持できず、小さい狐の姿だったということは……。

ハクメンは静かに背中の太刀を抜き放った。

「貴様、魔物だったか……!」
「何だよ、いきなり物騒じゃねェか。……ん? まさか、お前が……」
「悪は、滅する」

何かに気付いたように目を瞠った狐に構わず、ハクメンは自身の身長ほどもある長い太刀を振りかざした。
土足のまま畳へと上がり、一足飛びに近付くと、狐は焦ったように後ずさる。

「おい、待てよッ! 俺は魔素を利用してるだけで、魔物じゃねぇって!」
「同じ事だ。魔素は本来此乃世界に有らざる物。我が鳴神(おおかみ)の前より消え去れ!」

狐の言い訳も一蹴し、ハクメンは狐に刃を奮った。
見た目は青年の姿だが、足をくじいたままだったらしく、狐は引きずった足で逃げ切れない。思わず頭を庇った狐に、ハクメンは愛刀・鳴神を振り下ろした。

「――!」

白刃が、狐の体を縦に走る。
……が、それはまるで陽炎のように狐の体をすり抜けていった。
ハクメンが刃を引き抜くと同時に、狐の体がぽしゅんと気の抜けた音とともに縮んでしまう。
一体何が起こったのか分からなかった狐が、つり上がった目を瞬いた。

そして、改めて見た自身の手に、狐が悲鳴をあげる。

「あ゛ー!! なんでチビに戻ってんだよ、俺!」
「魔素を払っただけだ」
「テメェ何してくれてんだよ! 人が必死でかき集めた魔素、消してんじゃねぇ!」
「魔素は生物の仕組みを、根本から狂わせる。利用する心算で手を出し、精神に異常をきたした者も多い。危険な物だ」
「知ってんよ、それっくらい! だからちゃんと術式、構築して使ってんじゃねぇか。人間も同じことやってんだろ」

すっかり元通りになってしまった小さい狐が、苛立ったように尻尾で畳を叩きながらまくし立てた。
狐の言い分は確かに最もだと、ハクメンも思う。人間は溢れる魔素を減らすために今の文化を築いたが、その魔素自体が無くなった時にどうするか展望が見えていないのだ。

「……人間にも、何れ魔素の使用を止めさせる。貴様も其乃様な術式を使うのは即刻止めろ」
「えー」

ハクメンの威圧的な忠告に、狐は不満げに唇を尖らせた。
ぱしぱしと分厚い金色の尻尾で畳を叩いて、駄々をこねる仕種をするが、ハクメンは構わずその頭を鷲掴んだ。

「痛ェ! 何す……」
「既に足の応急処置も済んでいる。もう私の前に現れるな」
「あ、ちょ、オイ!」

騒ぎ立てる狐をそのまま外へと持って行き、閉め出した。
途端に、怒った狐が向こうから戸を叩いて入れろと主張してくる。ガタガタと揺れるそれに、ハクメンは閂も掛けた。

「去れ」
「オイこら、こんなナリにしといて放置プレイかよテメェ! 野犬に襲われたらどうすんだ!」
「野犬程度、如何にか出来るだろう」
「出来ねェよ、足痛ェーし! しかも、今日めっちゃ寒ィー! 寝るとこもねぇ! ちょー最悪!」
「……」
「俺が明日ここで死んでたら、テメェのせいだかんな!」

小さいなりに似合わず、馬鹿でかい声量で文句を叫びまくる狐に、ハクメンは盛大に溜息をつく。この狐、口から先に生まれたに違いない。

何故こんな厄介なものを拾ってしまったのだろうと、朝方の自分の行動を恨みながら、ハクメンは戸の閂を外した。

さっそく戸を押し開けて顔を出した狐は、にぱっと笑う。

「俺、ユウキ=テルミっつーの。宜しくな!」








『あの山には、魔素を喰う白い巨人がいる』

そんな噂が、遠い地にいたテルミの耳に届いたのは数日前のことだった。

人間が扱う術式に興味を持っていたテルミは、その噂の真偽を確かめるべくこの山へ踏み入ったのだが……どうやらそれは、ハクメンのことらしい。

(鳴神、か……。是非とも、俺のコレクションに欲しいな)

白い背を見上げて、テルミは嗤った。




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