狐テルミ×ハクメン

□狐テルミ×ハクメン〈参〉
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苦しくて、苦しくて。
無意識のうちに辿り着いた先が、『彼』のところだった。

その事実に、冷静になってから気付いたハクメンは暗闇の中で苦笑する。
『彼』をこんな姿にしたのは自分なのに、弱った時に縋り付くとはなんて身勝手なのだろう。

……だが、まだ自分は死ねない。
正確には随分と前に死んでいる身だが、背負った使命を果たさなければ、この世から消滅することも許されない。

黙したまま、既に何も語ることもなくなった『彼』――黒い岩の塊を見つめながら、ハクメンは抜き身の鳴神を握り締めた。









「……?」

昇る朝日の光を見て、倉の中から出て来たハクメンは、何かが扉に引っ掛かるのを感じた。

扉の前に何かある。
ハクメンは出来た隙間に身を滑らせ、外へと出た。
そして扉が開くのを妨げていたものの正体を改めて見、仮面の下の顔を僅かに歪めた。

「狐か……」

倉の分厚い扉の前には、小さな狐の姿が。
くるりと丸まって、金色の尾を枕にして寝こけるテルミを見下ろし、思わず呆れのような溜息が洩れる。
人を殺しかけておいてまだここを去らないとは、ある意味相当図太い神経だ。

外へ放り出してやろうかと逡巡したハクメンだったが、テルミのすぐ側に穀物の束があることに気付いた。
寒い時期だけに痩せた芋と萎れた稲穂の束だったが、それだけでも集めてくるのに手間はかかっただろう。
外は雪か雨が降っていたのか、包帯の巻かれたテルミの足は濡れて汚れていた。

「……」

しばし見下ろしていたハクメンは、スースー眠ったままのテルミを静かに抱き上げた。













ぱちりと火が爆ぜる音と、食欲をそそる香りに、テルミの意識がゆっくりと浮上する。
思わず寝ぼけ眼のまま、くんくんと空中を嗅いだところで、目の前に何かを置かれた。

「……あれ?」

ぼんやりしたまま呟いたテルミは顔を上げ、茶碗と囲炉裏、そして奥に座り直すハクメンの姿を見つめる。
体を起こすと、肩に掛かっていた羽織りが少しずれた。ハクメンの物なのか、それは尻尾まですっぽり覆い隠している。

「冷めぬうちに食せ。貴様が持って来た芋粥だ」

相変わらずの白い面から、呼気とともに低い声が発せられた。
促されるままに、テルミは添えられたレンゲを取って、湯気を立てる粥を口に運ぶ。

「……美味い」
「そうか」
「ハクメンちゃん、料理上手」
「私は塩しか振っていない」
「でも、美味い」

熱々の芋粥を口に運びながら、そんな会話をした。
結構それなりに本気の褒め言葉を口にしているのだが、相手にされていないようで淡々と返されてしまう。

やはり昨晩のことで警戒されているのだろうなと思いつつも、怒鳴られることもなく追い出されることもないので、なんだか調子が狂う。

「なぁ…、なんで怒らねェの?」

重苦しい空気に耐え切れず、テルミはハクメンの顔を窺いながら聞いた。表情のない面を見たところで読み取れるわけでもないが、何となく雰囲気は察せられる。

しかし胡坐で座ったまま微動だにしないハクメンは、感情自体が削げ落ちたように物静かだった。
相手に食事は出しても自分は食べる様子がないハクメンは、動かないと益々人間味が薄れる。

そもそも人間かというと、違うのだろうが。
恐らくは生身の体に大掛かりな術式を施して、無理矢理動かしている状態だ。肉体だけでは生命活動が維持できないのだろう。
それでも、仮面の下に隠れていたハクメンの素顔は、鮮やかに脳裏に焼き付いていた。

「……今更怒る気は無いが、許す気も無い。其れを食べ終えたら、立ち去れ」

空気に溶け込むような、緩やかな口調でハクメンがそう言った。

言葉の内容は確かに厳しいはずなのに、そこには憎しみや怒りといった感情は見られない。
呆れた、諦めたという感じでもなく、本当にどうでも良さそうな、関心のない事務的な命令だった。

大したお咎めもなく済んだ。
それを本来なら、してやったりと喜ぶのがテルミだったが、今回は苛立ちがふつふつと沸き上がる。

何故、怒らないのかと。
殺されかけたのに、腹は立たないのかと。

温かい芋粥でほぐれた気分は、急速に下降していった。

「……イヤだ」
「何……?」
「イ・ヤ・だ、つってんの。俺、ここに居座ってやるもんね」
「貴様、斬るぞ」
「おう、やれるもんならやってみろよ」

売り言葉に買い言葉、不機嫌ついでにポンポンと言葉が飛び出す。
何をそんなにムキになっているのだと自分でも思うが、ここで放り出されるのはどうも釈然としなかった。

尖った耳をピンと立て、下から睨むテルミにハクメンは傍らの刀を見せ付ける。

「之が欲しいのだろうが、決して譲れぬぞ」
「いらねーよ。どんなもんかなって思っただけだし」

ちょっと興味があっただけだとうそぶいて、テルミは首を振った。
本当は今もあの刀は面白いとは思うが、それより興味深いものが出来たので、関心が薄れているのは事実だ。

蘇生させる為に触れた時の、ハクメンの術式。
複雑すぎて、ほとんど仕組みが分からなかった。かなり高度な術式の集合体なのだろう。
あれを調べれば、テルミの持つ『碧の魔道書』をよりレベルの高いものに改良出来るかもしれない。
探究心旺盛で貪欲なテルミは、そんなことを思っていた。

ここに居座りさえすれば、きっとまたハクメンの術式に触れらる機会は巡ってくるはず。

「去ね、狐」
「ヤダ。……昨日は流石に、ちーっとやり過ぎたかなァって、俺だって思ってんよ? だから、あんなこと二度と絶対ェしねェって誓うから。な?」
「貴様の言の葉、如何に信用ならぬ物かは身に染みた。在るべき場所へ還れ」

ごめんな?などと軽く謝りながらのテルミに、ハクメンの対応は冷たい。
自分にしては珍しく非を認めているのになんで許してくれないんだと、傲慢な苛立ちを覚えながらも、ハクメンが力ずくで追い出そうとしないことに希望を見出だす。
ハクメンがなんと言おうと、ここに住んでしまえばこちらの勝ちなのだから。

目的が定まると、テルミのフットワークは軽い。
鎧に付いた赤い目を光らせるハクメンに、テルミは小さな手で茶碗を持ち上げてみせた。

「残り半分、やる。ハクメンちゃんも食べろよ」
「要らぬ。貴様が食せば良い」
「あーのーなー。そもそもコレ、自分で食うために探してきたんじゃねぇんだぜ? お前が弱ってたから、何か食わしてやろうと思って持って来たのによォ……」

ヒトの好意を無にするなんてサイテー、などと口を尖らせて言うテルミに、ハクメンは押し黙る。
根がお人良しなこの男は、善意だと言われると弱いようだ。
図体に似合わずカワイイ、と感想を抱きつつテルミがじっと見つめていると、根負けしたようにハクメンが囲炉裏の鍋に手を伸ばした。

「此処にまだ少し粥が残っている。此方を頂こう」
「そうそう、素直が一番♪」

渋々といった様子で粥を掬い、茶碗によそうハクメンにテルミは楽しげに笑う。
実際、芋も米もハクメンに渡すつもりで持って来たのだから、食べてもらわないと浮かばれない。

しかし芋粥を入れた茶碗を持ったまま、ハクメンは何かに迷うように動きを止めた。

「そのお面、外せよ。どうせ俺は知ってんだし、今更恥ずかしがる必要なんてねェーじゃん?」
「……別に、恥じている訳では無い」

仮面を外すことに躊躇っていると気づいたテルミが、茶化すような口調でそう言うと、ハクメンは少しムッとした様子で否定した。
そして、ゆっくりと爪の長い手を仮面にかける。

白い面が除けられると、後ろへ押しやられていた長い前髪がさらりと前へ垂れてきて、露になった顔に影を落とした。
自分の姿に頓着しないのか、伸び放題の髪は折角の端正な顔を幾らか隠してしまっているが、それでも合間から覗く滑らかな肌や緋色の瞳が目を惹く。

どこか物憂げな表情と、雪うさぎのような儚げな色彩を持つハクメンの顔を、テルミは無遠慮にまじまじと見つめた。

「やっぱ美人だよなァ、お前」
「……戯れ言を。男に使う形容に非ず」
「綺麗なもんを綺麗って言ってるだけじゃん? 照れんなよ」

にやけながら穴が空くほど見つめるテルミから逃れるように、ハクメンは仮面を横に置いて、茶碗を手に取った。

淀みなく芋粥を口にするハクメンだったが、それを見ていたテルミは違和感に気付く。
両眼は前方の囲炉裏辺りを見つめたままで、手元を見ようと眼球が動くことが一切なかったのだ。

「その眼、見えてねェの? お前」
「……」

テルミはそう質問してみるが、ハクメンは答えない。
だが恐らく指摘は当たっているのだろう。鎧に付いた赤い眼が、代わりに役目を果たしているようだ。

心臓も止まり、失明している肉体。
それを健康体と変わらずコントロールする術式の性能は、相当高いに違いない。

昨晩、もう少し探りを入れてから蘇生させてやれば良かっただろうかと考えるも、失明したままの眼が回復しないところをみるに、恐らく死滅した細胞は再生できないのだろう。
術式が停止していた時間がもっと長かったなら、ハクメンは更に機能障害を負っていたはずだ。

一晩中倉に篭って回復したようだが、一体あの中には何があったのか?
ハクメンが施したのか、強固な結界が張られていた。

「……あの倉、何かあンの?」
「何も無い」

黙々と食べるハクメンに質問をすると、素っ気なく返された。
だが即答されたことで、テルミは確信する。
あそこには何かあると。

「何れにせよ、倉には入れぬぞ」

釘を刺すハクメンに、テルミは粥を啜る音で応えた。






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