狐テルミ×ハクメン

□狐テルミ×ハクメン〈伍〉
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悲鳴をあげて走ってくる猫達に直ぐ様反応したのは、ハクメンだった。
紅い複数の眼を街の入口の方へ固定し、ハクメンは抱えていたテルミを近くのカカ族の少女(?)の手に、咄嗟に渡した。

「魔素の気配が濃い。私が往こう」

身丈ほどもある野太刀を振り抜き、ハクメンは歩き出す。
本来ならばこの集落を統べているのは獣兵衛という猫なのだが、留守がちで今日も不在だ。彼が居ればわざわざ出るまでもないが、今は自分が様子を見に行った方が良いだろう。

だが、ハクメンが一歩目を踏み出したところで、後ろ髪に重みがかかった。

「……狐、離れろ」
「俺も行くっての。つーかクソ猫なんかに、ホイホイ渡すんじゃねェ!」
「刀を振るうには、貴様が邪魔だ」
「邪魔とか、マジあッりえねェーわ。俺がデカくなれんの、忘れてねぇ?」
「猫は疎か、狐如きの手を借りる気は毛頭無い」

長い髪にぶら下がるテルミを捕まえようと後ろ手に腕を伸ばすが、自分以上に髪を触っていたテルミは巧みに髪を操り、ちょろちょろ移動して全く掴ませようとしない。
思わず呆れた溜め息をついたハクメンは捕まえるのを諦め、再び歩き出した。今はくだらない小競り合いをしている場合ではない。

「振り落とされても、恨むなよ」
「俺様、そんな間抜けじゃねェし。いいから、さっさと行けっつの」

一応忠告するが、テルミは怯む様子もなくハクメンの肩へと飛び移ってきた。命綱代わりにハクメンの髪を一房掴んでいるので、とりあえず滑り落ちても地面に激突することはないだろう。
……何故こんな狐を、気に掛けなければならないのかと、ふと胸中で思いもするが。

「長老よ、猫共を街の奥へと誘導しろ」
「了解じゃ。すまぬが、頼むぞ。今は獣兵衛もタオカカも居らん、戦える者が少ないんじゃ」
「構わぬ。日頃から世話に成っているからな」

背中を向けたまま長老にそう言い残したハクメンは、逃げてくる猫達の横を一足飛びにすり抜けていく。
十六個の鎧の目を眇め、ハクメンが黒い影を視界に捉えると、一気に地を蹴った。

「掴まっていろ、狐!」

叫ぶと同時に巨体が舞い上がり、制限されていた動きが解放される。
ハクメンは空を引き裂く弾丸のように、逃げ惑う猫達の上を飛び越えた。
藤色の髪をなびかせながら鳴神を振り上げ、黒い影へと飛び込む。

「ズェィアァーッ!」
「ギ、 ィャアッ !?」

広範囲を覆い尽くす黒に、白が波紋のように広がる。鳴神から発せられる衝撃波が、黒い物体と地を吹き飛ばした。
突然飛び込んできたハクメンに、黒い物体は液体のように体を波打たせて、耳障りな雄叫びをあげる。

「お れ、貴  だ、邪魔 す なァァ ァッ!」
「……成れの果て、か」

顔と思しき白い面が震え、のた打つ様を見て、ハクメンは冷めた眼差しを向けた。
ただ魔素に浸食されただけでは、こうはならない。魔素に染まった動物は通常、思考することもなく目に留まるものすべてを破壊していくだけだ。
不明瞭ながらも言葉を発し、激昂するということは、理性を持ったまま触れてはならない領域に触れてしまったからだろう。

かつてハクメン自身も堕ち、スサノヲユニットを手に入れた異空間『境界』に。

恐らくは人間であったであろう黒い物体を見上げ、ハクメンは眼を眇めた。

「うげー……めっちゃ振り回されて、すげー気持ち悪ィんだけどォ〜」
「居たのか、狐」
「うわ、ひっで! 落っこちてるとでも思ったか? お生憎さまァ!」

髪にぶら下がっていたテルミが背中をよじ登ってくるのを、後ろの眼で見つつも、ハクメンは他の視線を黒い物体から外さない。
猫達は避難を終えたようで一応周囲にはいないが、蠢く黒い物体の中に既に何匹か取り込まれてしまった後のようだった。古いオイルのような、粘着質な黒い液体が広がる中にちらほらと黄色いフードや毛が覗いている。
例え事切れていようとも回収したいところだが、この黒い物体の本体を正確に突かなければ、活動を停止させることは出来ない。
最初に斬られた箇所もすぐさま再生したのか、ちょうど真ん中に立つハクメンを呑み込もうと、液状の体を膨れ上がらせて迫ってきた。

「生ゴミ臭がスゲェわ。マジ勘弁!」
「舌を噛まぬ様、気を付けろ」

今更ぶーぶー文句を言うテルミに忠告し、ハクメンは白刃の野太刀を構える。
ドーム状に伸び、頭上を覆い尽くそうとするのに目掛けて、ハクメンは地を蹴った。

「ハァァッ!」

振り上げた刃が閃き、黒い液体を吹き飛ばす。
しかし空中に躍り出たハクメンに向かって、液状の触手やでたらめに継ぎ接ぎしたような長い骨が、捕らえようと伸びてきた。
自分と同じく白い面を付けた本体がケタケタと笑う。ぽっかり空いた三つの黒い穴は、何の表情も表さず、ただ不明瞭な言葉を発するだけだった。


「貴 、蒼 持  ない。だが 同 ニオイ  る。 う、喰う 喰 」
「其うだな、貴様と私に差したる違いは無い。だが現世に害を成す以上、捨て置く訳には往かぬ!」

ハクメンは太刀を薙ぎ払い、それにより生み出された衝撃波で空中を飛んだ。
追い縋る触手を払いのけながら、本体へと迫る。
だが、黒い粘ついた触手が、後ろでなびく藤色の髪に絡み付き、強靱な力で引き寄せられた。

「ッ、グ……!」
「きッたねェ手で触んじゃ、ねェっつの!」

思わず失速したところで、髪にくっついていたテルミが怒りも顕わに、なにやら術式を展開する。
テルミの小さい体が触手と触れた瞬間、あの魔導書の力が解放されて、見る間に青年の姿へと変わっていった。
同時に髪を捕らえていた触手は塵のように消えていく。
境界で高濃度の魔素と融合した肉体は、魔素の割合が多い。テルミの持つ魔導書で魔素を吸収すれば、この黒い物体は動く術すら失うのだろう。

「あら、よっとッ!」

鮮やかな緑の髪をなびかせ、テルミが次の術式を展開した。
紋章と共に、何もない空中から黒と深緑をまとった鎖が飛び出す。
これは初めて見る術だと冷静に考えていると、後ろからテルミに腰を抱き寄せられた。

「空中移動は俺の得意分野だからな。運んでってやんよ」
「! ……其うか、では頼む」

にやっと笑うテルミは、言葉通りにその鎖を操り、何もない空中を飛び渡る。
二本同時には出せないようだが、その鎖は迫り来る黒い触手を器用に避けながら二人の体を軽々と運んだ。

眼下には、汚泥のような黒い海が広がっている。一度足を着こうものなら黒い触手に絡み取られ、呑み込まれるのが目に見えていた。
空中で停滞する術を持たないハクメンには、確かにテルミの術は有り難かったのだ。
しかし、背中に密着するテルミは切れ長の眼を光らせて、人の悪い笑みを浮かべていた。

「貸し1つ、な」
「……貴様」

どこまでも性根の悪い男だ。いつか借りを返せということだろう。
ハクメンは内心呆れつつも、テルミの移動に身を任せた。
油断も隙もない狡賢い狐だが、やると言ったことはやり通す、プライドのある性格だということも理解している。
足代わりになってくれるというなら、存分に使わせてもらおう。

あらゆる物を呑み込み、肥大した体を広げて蠢く白い面に、ハクメンとテルミは切迫した。

ぽっかり空いた口が、耳障りな嗤い声をあげる。

「境 、ス ノヲ  ット、欲 い全 欲し  て喰 ーッッ!」
「潔く、消え去れ!」

触手や発生する虫を打ち払いながら近付いたハクメンは、伸び上がった白い面に目掛けて、鳴神を閃かせた。



だが刃が触れるその瞬間、思わぬ方向から悲痛な叫びが割って入った。

「やめてェーッ! その人を殺さないでッ!!」

「――ッ!?」




女の声。
『その人』がこの黒い物体だと気付いた瞬間に、ハクメンの刃が迷った。

脳裏にフラッシュバックしたのは、赤い獣の眼。





「アホかっ、何やってんだッッ!」

突然の背後からの恫喝で、ハクメンの意識は現実に戻された。
そして、攻撃が外れたことに気付く。
薙ぎ払ったのは黒い物体の一部にすぎず、本体は僅かに横へ逃げていた。

マズい。
この距離で仕留め損なえば、反撃は確定だ。

懸念すると同時に、それは現実となった。
四方から伸びてきた黒い触手に、あっという間に四肢を捉えられてしまう。

「…ッグゥ…ォオオオーッ!」
「え、オイッ、ハクメ――」

拘束の緩かった左腕を渾身の力で伸ばし、ハクメンは背後のテルミの腕を掴んだ。
ハクメンと同じく触手に捕らえられかけていたテルミの体を引っ張り、全力で遠くへ投げる。
青年の姿といえど、ハクメンに比べれば遙かに軽い体だ。
黒い汚泥の広がる範囲外まで投げ飛ばすのは容易い。
自分のミスで、テルミまで巻き添えにするのは忍びなかった。

「ざけんなッ、アホが……!!」

意図を理解したテルミが、空中へ投げ出されながら悪態をつく。
面倒事を嫌いそうなテルミにしては意外な反応だと、胸中でちらりと思ったハクメンだったが、絡み付く触手に引きずり落とされ、それどころではなくなった。



捕らえた獲物に群がるように、触手に体中を締め上げられながら、ハクメンは真下に待ち構えていた巨大な漆黒の穴に呑み込まれた。











〈伍〉END





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