BBテルハク短文・メモ

□テルミ誕生日
1ページ/1ページ





本来は休みの日に、何故か仕事を押し付けられて夜遅くに帰ってきたテルミは、目の前の光景を見て思わず呟いた。
「ハクメンちゃん……据え膳って言葉、知ってるか?」
「? 其れは、如何な理由による問いだ……?」
訳が分からないとばかりに、ぴこんと大きな白い耳を動かしてハクメンが目を瞬く。
帰宅して扉を開けた姿勢のまま、テルミはガリガリと痒くもない頭を掻いた。
リビングにあるローテーブルに、所狭しと並べられた料理の前で、待ち構えるようにハクメンは座っていた。
しかも近くのソファには座らず、ベージュのカーペットの上に正座しているものだから、ほどけた長い藤色の髪が扇状に広がっていてどこか艶やかさが漂う。
さらに、先に風呂へ入ったのか、緩く纏った着物の合間から覗く胸元はしっとりと濡れ、白陶の肌はほのかに上気していた。
高低差により、上目遣いでこちらを見つめる緋色の瞳に、テルミはゴクリと喉を鳴らす。
この状況、据え膳以外に……一体何だと言うんだ?
仕事の疲れも吹っ飛び、脳裏に邪な欲望が駆け巡る。
このしなやかな体躯を組み敷いて、着物を引き剥がしながら噛み付くようなキスを仕掛ける。そして驚きに戸惑う手をいなし、胸の敏感な箇所を吸い上げてやれば、きっと耐えるように眉をよせて悲鳴を噛み殺すのだろう。
……やべェ。妄想だけで勃っちまいそう。
思わず吸い寄せられるようにハクメンの方へ近付きながら、テルミは内心で自分を諫める。
本当は期待したって、無駄だ。それは自分が一番よく知っている。
これは、見え透いた罠だ。デカイ釣り針だ。
テルミは胸中で、必死に自身へ言い聞かせつつも、藤色の頭を見下ろす位置に立っていた。
狐耳と九尾をさらけ出したハクメンが、何の疑いもなくこちらを見上げて至極真面目に告げる。
「テルミよ、約束していた誕生日祝いだ。所望通りの卵料理と、ケーキを用意した。此処に座って食すが良い」
「ああ、マジでありがとうよ。でもな、一つ聞いていいか?」
想定通りに出てきたハクメンの言葉を遮るように、テルミはやや早口で問い返した。ハクメンは何を問われるのか全く分からないらしく、不思議そうに切れ長の眼を僅かに丸くする。
質問を待つようにゆらゆらと揺らぐ白い九本の尾に心惹かれながらも、テルミは表情を引き締めて口を開いた。
「このセッティング、誰が考えた?」
「せってぃんぐ……?」
「こういう風に出迎えろって、入れ知恵したのは誰だ?って聞いてんの」
横文字に弱いハクメンに噛み砕いた言葉で言い直すと、指摘が的中したらしく端正な顔が驚きの表情を浮かべる。
「何故、分かった……? 提案者は確かに、レイチェル=アルカードだが」
「やっぱクソ吸血鬼かよッ!」
悪い予感が当たり、テルミは叫びながらソファに持っていたカバンを投げ付けた。バン!と小気味良く部屋に響いたその音に、柔らかく揺れていた九尾がぶわりと立ち上がる。
不機嫌全開の反応に不安を覚えたのか、ハクメンが眉尻を下げてこちらの様子を伺うように見つめてきた。
「……直ぐ床に就けるよう身を清めて、膝を付いて迎えるのが誕生日の祝い方だと聞いたのだが……違うのか?」
「なんだそりゃァ!? 信じンなよ、そんな嘘八百ッ! くっそ〜、ハクメンちゃんが何も知らねェからって遊んでやがるなアイツら!」
ハクメンの口から聞かされた余計な入れ知恵の内容に、テルミは悪態をつく。大方、現代はそうやってお祝いするのよ、そんな事も知らないの?などとレイチェルに言われて、すんなり信じてしまったのだろう。
ハクメンの色気に慌てふためくテルミの様子を眺めて、肴にでもしようとしていたのが伺える。
アルカード家の面々がニヤニヤ笑う様を脳裏に描き、思わず大きく溜め息を吐き出すと、狼狽したハクメンが狐耳を寝かせて頭を下げた。
「す……済まぬ。無礼を働いてしまった様だな……私は席を外そう」
「えっ」
気まずそうにそう言い、そそくさと立ち上がったハクメンにテルミは驚きの声をあげる。
しかし制止の言葉も待たず、玄関へと向かおうと横を素通りしたハクメンの腕を、咄嗟に強く掴んで引き止めた。
力加減を誤り、引き倒さんばかりのその勢いにハクメンがたたらを踏む。尾を引くように靡く艶やかな髪と、驚愕をもってこちらを見つめ返す澄んだ紅玉に目を奪われた。
吐息の触れる近さで顔を寄せ、テルミは精悍な顔を見据える。
「待て待て、早まんな。お前がいなくちゃ、祝ってもらう意味ねェんだよ」
「しかし……私は、正しい祝い方を知らぬ」
「あのな〜、たかが誕生日祝いに正しいだの間違ってるだの、そんな御大層なもんはハナっからねェの! クソ吸血鬼が言ったのは嘘だ、ウ・ソ。別に好きにやりゃあいいんだよ、ンなもん。……お前のそれだって、別に間違ってるわけじゃねェし」
「……そう、なのか?」
息をつきながら説明すると、ハクメンが怪訝そうにこちらを見つめ返した。
騙されていた自覚が薄いハクメンの、形のいい顎を摘んで引き寄せる。
それに抵抗もしないことに苛立ちながら、テルミは鋭い眼で凄んだ。
「ただし、普通じゃねェからな? お前は言われたままやっただけだから分かってねェんだろうけどな、それは『どうぞ私を食べてください』っつってるようなもんなんだよ。男の前で……ましてやお前を好きだっつってるヤツの前でそういう事すンな。ぐちゃぐちゃに犯すぞ」
「……な」
半ば本気まじりに脅すと、ハクメンが絶句する。
欲望の滲み出た気配にあながち冗談ではないと伝わったのか、紅い瞳が揺れ動き耐え兼ねたように横へ逸らされる。
焦点の合わない目は頼りなげに彷徨い、躊躇いがちにこちらの手を払った。
「貴様は……莫迦げた事ばかり謂う」
「あ〜の〜なァ〜? テメェはいい加減、俺が本気だって分かりやがれッ! 実力行使に出ンぞゴラァッッ!!」
まだ冗談で済まそうとするハクメンに、テルミは怒りが先立つ。
思わずテルミが着物の衿を鷲掴んで、ぶつけるようにキスを仕掛けた――のだが、思い切り顔面を掴まれて阻まれた。
流石は大妖怪。テルミの腕力などものともせず、そのまま横へと払われてしまう。
なんか前にもこんなぞんざいな扱いを受けたなと思いながら、テルミはよろけた体勢を立て直してハクメンを睨んだ。
しかしそこには、どこか困ったように表情を浮かべる端正な顔があった。
「本気では無いとは……想っていない。だが、貴様の其の怒りの理由が良く分からぬ。此の様な……恰好や状況は、今までにも遭っただろう? 珍しい事では有るまい」
着物の合わせ目を、手慰みのように長い指で手繰り寄せながらハクメンが疑問を口にする。
確かに……ある意味もっともな質問だ。日数は限られているものの、今まで日常生活を共にしていた中で、似たシチュエーションはあった。
同衾する際はシャワーを浴びていたし、寝巻きの浴衣姿も見慣れたものだ。
だが、夕飯とセットで見るのは初めてだった。さあ召し上がれとばかりに、旨そうな料理と本人が一緒に出てきては、勘違いで興奮もしようものだ。
「こんな明るいとこで、ンな鎖骨も胸の谷間も丸出し状態って珍しいじゃねェか。着物のくせして、普段めっちゃ堅っ苦しい着方してっし」
「丸、出し……。きちんと着なければ見苦しいうえに、着物も傷むであろう。……そも、男の上半身の一体何処が珍しいと謂うのだ」
いつもより緩くまとわれた浴衣を指して、身も蓋もない表現をするテルミの言葉に動揺しながらも、ハクメンは律儀に反論してきた。
成る程。普通の男なら、このハクメンの姿を見て欲情したりはしないだろう。
しかし恋とは盲目だ。テルミはそれを自覚していながらも、脳裏で展開される妄想に抗えなかった。
……さて、この感覚を鈍感男にどう説明したものか。
「あー…。まあ、そうだな。普通っちゃ普通だわ。上半身裸だったとしても男は別に構わねェもんな。お前に限ったら、俺には毒ってだけだ、うん。変態で悪かったな、頭オカシイんだよ俺。迷惑野郎でスミマセンー」
「い、否……其処まで謂っておらぬ」
大仰にため息をつきながら拗ねた口調でそう言ってやると、ハクメンが焦ったように否定する。
押して駄目なら引いてみろとばかりにテルミがハクメンから離れようとすると、お人好しな男は反射的にこちらの腕を掴んだ。
見上げると、自分でもその行動に驚いたらしいハクメンが一瞬目を瞠り、すまなさそうに眉尻を下げる。
「……貴様が、嫌いだと云う訳では無い」
「マジっ? じゃあ好き?」
「其れは有り得ぬ」
「チッ、即答かよ」
流されて頷いてくれればいいものを、ハクメンはきっちりとそこは否定した。思わず行儀悪く舌打つと、それに笑いを誘われたらしいハクメンが、口端を上げる。
……ま。今はこうして笑顔が見れれば、それでいいかな。
帝に命令されている不愉快極まりない内容を思い返せば、今ここで何かハクメンにしでかすのは得策ではないし、どこからか見ているであろう吸血鬼共の思惑通りに動くのも癪だ。
テルミは肩を竦めて、ハクメンの緋色の眼を見上げた。
「なァ、今日は俺の誕生日なんだし祝ってってくれよ。飯、一緒に喰おうぜ。……別に何もしねぇしさ?」
降参を示すように両手を上げて、テルミは少し情けなく笑う。せっかく美味しい料理を用意してくれたのに、1人で食べるなんて味気なかった。
悪意のない気配を感じ取ったのか、ハクメンは逡巡の後、こくりと頷く。
「茶を淹れて来よう。其処に座って待つが良い」
「あンがと、ハクメンちゃん」
そう言って、甲斐甲斐しく世話を焼くハクメンをテルミは見送りかけて……ふと思い直して、腕を捕まえた。
九尾をふわりと揺らめかせて、ハクメンがこちらを怪訝そうに振り返る。
「何だ。他に何か……」
「これくらいは貰っても、バチは当たらねェよな」
テルミは独り言のように呟き、ハクメンの言葉を遮って唇を押し付けた。
やわらかい唇に音を立てて吸い付き、ペロリと舐め上げてから離れると、固まったままこちらを茫然と見るハクメンの紅い瞳とかち合う。
「やっぱハクメンちゃんの唇、やわら……ぐへっ!?」
奪ったキスの感触を口にしかけたテルミは、無言で飛んできた拳に沈められた。
今日の主役なのにヒデェ扱いだと嘆きながら、殴られた鳩尾を庇って身を折り曲げる。
「此の、莫迦者が…っ」
何もしないと言った矢先の不埒な行いに、ハクメンが吐息まじりに詰った。
しかし、くるりと背を向けてキッチンへ行ってしまったハクメンの藤色の頭に生えた狐耳が、ほの赤く染まっていることに気付いてテルミは口元をにやけさせる。
「かっわいい〜。素直じゃねぇなぁ」
誕生日なんて子供じゃあるまいし、とは常々思っていたが、なかなか悪くないイベントかもしれないとテルミは思った。




「あら……黒焦げにし損ねたわね」
常闇の城で優雅にカップを傾けていたレイチェルが、ぽつりと呟く。
金の装飾が施された大きな鏡に映し出された、テルミとハクメンの様子を眺めていたのだが、テルミは予想に反してハクメンに軽いキス程度でそれ以上をすることもなく、振舞われた料理を嬉しそうに平らげていた。
和やかなその雰囲気に面白くないものを感じて、レイチェルは鏡の映像を消し、ヴァルケンハインにスコーンを強請る。
「添えるジャムはどのお味が宜しいでしょうか?」
「いえ、要らないわ。……だってもう、十分甘ったるいんですもの」
くすりと、少女は妖艶に笑んだ。



END




[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ