BBハザジン小説

□G斑鳩のしらべ
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自分でも久し振りに見るなと思いながら、ジンは奥から着物を引っ張り出してきた。深緑色の縞と吉原つなぎの模様が、ハザマの髪色に合いそうだと思って選んだ一枚をテーブルの上に広げる。
洋服とは異なる直線的形状の着物を、ハザマが興味津々で見つめた。
「なんだかよく分かりませんが、変わった服ですね〜。……どうやって着るんです? これ」
「男の場合は、さほど難しくはない。袖を通して帯を締めれば、それなりに見える」
肌着や腰紐などが一式揃っていることを確かめてから、ジンは後ろから覗き込むハザマの方に振り返った。
仕事上での変装の為だと言われれば、ジンに断る理由はない。特に自分は役職がある立場であり、形の上ではハザマの上司にあたる。部隊は違えど協力出来るのならば、任務遂行の為にそうするのが当然のことだとも思った。
しかし、イカルガ文化について教えを乞う為にジンの元へ…というのは、恐らく普通は思い付かない。
「僕でなくとも、イカルガの文化に詳しい人間はいるだろう。専門学者もいたはずだが」
「ええまあ、いるにはいるんですが……こんな時間には、連絡がつかなかったもので」
ジンの指摘に、ハザマが苦笑いを浮かべて答えた。
なるほど、確かにこんな早朝に学者へ協力を呼び掛けても、あまり色良い返事はもらえないだろう。一般的に考えても業務開始前の時間帯だ。
急に言い渡された任務だったんで、仕方なかったんですとハザマは弁解するが、ジンは軽く鼻を鳴らして着物に視線を戻した。
「それで、多少は知識があって融通が利く僕にお鉢が回ったわけか。……全く、迷惑なことだな」
お陰で、休みが台無しだ。
これみよがしに文句を呟き、ジンは着物のシワを伸ばした。どうせ、イカルガのことはイカルガの英雄に聞いてはどうかと、嘲り混じりに上官から言われたに違いない。イカルガ内戦への出撃については自分の意思だが、途中からまた記憶があやふやになっており、ジンとしてはその呼び名は不愉快でしかなかった。
「あ……そんなつもりじゃないですよ? うちの上司はキサラギ少佐の作戦を評価してましたし、実際に潜入が成功した例ですから適任だろうと」
不機嫌をあらわにするジンに、ハザマが慌てたように付け足す。悪い意味じゃないんですよ、と微笑まれるが、ジンはうろんげな眼で見るだけだった。

「でも、凄いですよね〜。イカルガ文化を調べ上げて、内部に入り込もうなんて」
「兵法の基本だ。服装や習慣を真似て溶け込み、内部から不意を突く。如何な要塞とて構造が分かってしまえば、侵入も容易い。……というか、そういうことは貴様ら諜報部の専門分野だろう」
何を今更と、ジンは称賛するハザマを横目で見上げる。情報が兵力と同じく戦況を左右するからこそ、諜報部が設けられているのだろうに。
ジンの指摘に、ハザマは苦笑いを浮かべて軽く肩を竦める。
「ま、それはそうなんですがねェ。……しかし、少佐みたいに服まで持ってるのは、珍しいと思いますよ?」
「……」
不思議そうにそう言うハザマから顔を逸らし、ジンは着物を広げた。
ハザマの正面から当てて、肩幅や裾の具合を見る。体格差があまりないので、サイズは特に問題なさそうだった。
「……少佐?」
無言で作業するジンに違和感を覚えてか、ハザマが訝しげに呼び掛けてきた。普段は人の話など聞かないくせに、こういうときだけ聡いのが何だか腹立たしい。
じっと見つめてくる視線を振り払うように、ジンは着物をはたいた。引き結んでいた重い唇を、溜め息混じりに開く。
「元々イカルガの文化には興味があって、色々収集していた。……滅ぼした本人が言うのも、あれだがな」
自嘲気味に笑い、ジンは広がった着物を投げるように椅子に掛けた。告げた事実が意外だったのか、ハザマの細い眼が驚きに開いて、琥珀色の瞳を覗かせる。
実は、士官学校にいる時からジンはイカルガを研究していた。当時は戦争真っ只中だったこともあり、情勢を把握する程度のつもりだったのだが、いつの間にかその独特な文化に惹かれて、一般知識では留まらない範囲まで調べるようになっていた。
そして知り尽くしてしまっていたからこそ、イカルガ内戦へ出陣した時に弱点が見抜けてしまった。実に、皮肉なことだ。
それからは喪に服すように、あるいは罪の証として、ジンは戦闘用の制服にイカルガの着物を取り込んで身に着けている。自分が汚したものの重みを忘れてはならないと思ってのことだが、イカルガの難民からすれば冒涜だと思われていることだろう。
……何にしろ、既に過ぎてしまったことだ。
今はそんな話をしている場合ではないと、ジンは感傷を振り払うようにテーブルの方へ向いて、肌着を手に取った。

「とにかく、これを着――」
ろ、と言いかけた瞬間、急に背後から抱きしめられてジンは驚いた。細いが、しなやかなハザマの両腕が腹部の辺りで交差する。
「それは、さぞ辛かったでしょう……よく頑張りましたね」
「……っ」
突然耳元で囁かれたその言葉に、ジンは息を呑んだ。一体何をと、肩越しに振り返ったところで、すべてを見透かしたような両目に射抜かれる。
やわらかく目尻を下げるその表情は初めて見るもので、不覚にもドキリとした。
「なに……」
「軍人だから仕方ないといえばそれまでですが、本当は苦しかったんじゃないですか?」
無理しなくていいですよと、吐息混じりに囁きながら、ハザマが抱きしめる腕に力を込めてくる。背中から温かく包み込まれる感覚に、ジンは戸惑った。
何度も体を繋げているはずなのに、こんな穏やかな抱擁は初めてな気がする。
「……やめろ、同情される謂れはない。僕は人殺しだぞ、この手で何人もの命を奪っている」
悲劇のヒーローを気取るつもりは、毛頭ない。
湧き出た甘い感情を振り払うように、ジンはハザマの腕を引き剥がして押し退ける。スーツに包まれた痩身はそれに一歩下がるが、長い指先は追い縋るようにジンの腰骨に絡んだままだった。
相変わらずの笑顔を浮かべるハザマだが、微かに開いた眼は物悲しげにこちらを見つめている。もしかしてこの作り笑顔は癖になってしまっているのだろうかと、ふと思った。
「それなら、私も同じですよ。何人もの人を陥れて、人生をめちゃくちゃにしました。……でも、それが私の『役目』ですから」
仕事だから仕方がないんだと、諦めるべきだと、そんな風に言う。
しかし、ならばどうしてお前の眉尻は困ったように下がっているのかと、ジンは胸中で思うが、直接問い質す気にはなれなかった。それぞれ事情はあるだろうし、無理矢理聞き出すべきことでもない。
ただ、なんとなく。慰めるように、ジンは綺麗な常磐緑の髪に手を伸ばして一撫でした。
「……仕方がない、で片付けられるほど軽い罪ではないと、僕は思っている。だから、一生かかっても償う」
柔らかな髪から手を滑り落とし、ジンはそう自分の意見を口にした。
こんな自己満足に似た行為を、他人にまで強要する気はない。ただ、ジンにとってはそう心に決めていなければ、自分が生きる理由を肯定できなかっただけだ。
しかしハザマは少し眩しそうに、眼を細めた。

「強いんですねェ。だからでしょうか、白い方の貴方は……」
「……白い方?」
独り言のように小さく呟いたその言葉を拾い、ジンは眉を寄せる。よく分からない表現に対しての純粋な疑問だったが、ハザマはふと口元に綺麗な弧を描き、いいえ何でもありませんと首を振った。
何かを誤魔化したようにも思うが、どうせこの男のことだ、真実を語ることはあるまい。
ジンは早々に問い質すことを諦め、持っていた肌着をハザマの方へと差し出した。
「とりあえず、これを着ろ。それから着物を着付けてやる」
辛気臭い空気を払うように横柄な口調でそう言うと、ハザマはきょとんとして肌着に視線を向けた。
「えーっと、これは普通に着ればいいんですか?」
「前の紐でくくればいいだけ……ああもう、面倒くさい。貴様、脱げ」
手に取りながら不思議そうに首を傾げられ、説明をしようと試みたジンだったが、一秒で放棄した。口で言うより、着せてやった方が断然早い。
だが、ジンの命令にハザマは眼を瞠ってから、にへらと気持ち悪い笑みを浮かべた。
「そんな大胆なこと、おっしゃるとは思いませんでしたよ〜。仕事がなければ、喜んで抱いて差し上げるんですが……」
「誰がそういう意味で言った。着せてやるから、さっさと脱げと言ってるんだ」
花でも飛ばしてきそうなほど上機嫌で勘違いするハザマに、ジンは氷点下の眼差しを向ける。阿呆か、こいつ。
顔をしかめながら、ジンは早く用事を済ませてしまおうとハザマの帽子に手を掛けた。黒い帽子を取って椅子の端に掛けると、目の前の男は実に嬉しそうに頬を緩ませる。
「あ、なんだかこういうシチュエーション萌えま――グヘッ!」
「いい加減にしろ。叩き斬るぞ」
引っ張るように短めの黒いネクタイをギュッと締め上げ、馬鹿なことを言いかけたハザマに制裁を加えた。
げほげほ咳込むのを、半眼で見ながらジンは締めたネクタイを緩ませて引き抜く。ゴミでも捨てるようにテーブルの上へ投げると、ハザマが酷いですよ〜と文句を言いながらジンの腰を撫でてきた。
「あー、でもいいですねェ。ホントにこういうの」
「何の話だ」
しみじみとそう言って、ハザマは満足そうにジンを見つめる。シャツのボタンを外しながら聞き返すと、口元をだらしなく緩ませてハザマが言った。
「まるで新妻に世話を焼いてもらってるみたい――」
ジンは無言のまま、固めた拳を鳩尾に叩き込んだ。





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