BBハザジン小説

□狐達のとある休日(後編)
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着替えと精算が一通り終わり、テルミが長椅子に座ってハクメンの長い髪を三つ編みしていると、紙袋を下げたハザマとジンが近づいてきた。
「待ってなくても良かったんですよ?」
「どっちにしろ、これやってたし」
座っている二人を見下ろし、ハザマが不思議そうにそう言うので、テルミは長い三つ編みを軽く持ち上げる。
折角こんなにも豊かな髪があるのだから、一つ括りでは勿体ないと、テルミが一本の三つ編みに変えているところだった。
毛先をゴムで留め、首から胸に渡って前に垂らす形で整える。少し女性っぽさが漂うが、ハクメンの体格ならそうも見えず、しなやかな印象を与えた。
「随分、イメージが変わったな」
「そうか。……可笑しくは無いか?」
「ああ、着物より自然だと思う」
ジンはハクメンを見ながら、感想を述べる。ハクメン自身は自分の姿が見えていないのだから、不安になるのも仕方がないだろう。
よくも悪くもジンはハクメンに対して何ら興味がないせいか、率直な意見が飛び出す。その中立な感想を求めて、ハクメンはジンに話しかけることが増えていた。
お膳立てしてやってんのは俺なのに、なんで俺の意見は聞かねェかなァ…。
少し面白くない気分で口をへの字に曲げていると、見えていないはずのハクメンがこちらを振り返った。
「手間を割いて貰って、済まなかったな。……此れで、奇異の目で見られる事は無いか?」
「あ? ああ、ま…大丈夫だぜ」
微かに首を傾げ、そう尋ねるハクメンに少し内心どきりとしながら頷くと、緋色の双眸がやわらかく細まった。
「良かった。私のせいで、貴様に恥を掛かす訳には往かぬからな」
本当に安堵したように、ハクメンがそう言う。
恥も何も、その顔で言うことじゃない。天然たらしか、コイツは。
思わず頬が紅潮しそうになり、テルミは顔を背けた。
「そうだ、ジン君。これどうぞ」
「……え?」
唐突に、ハザマが下げていた紙袋をジンに差し出す。てっきり自分用に買ったものかと思っていたが、どうやらジンの為に買っていたらしい。
同じくそんな事など思いもしなかったジンは、訳が分からないとばかりにハザマと紙袋を交互に見比べた。
「さっき、ブルーのブランドシャツを眺めてたでしょう」
「! なんでそれを……て、まさか買ったのか!?」
「ええ。諦めてしまわれたようだったので」
「当たり前だっ、あんな高いもの……!」
細い目でニコニコ笑いながら言うハザマに、ジンがぎょっとする。
宗家の跡継ぎ候補だからと、生活援助に特別扱いを受けているわけではないらしいジンは、高額のシャツを断念していたようだ。
それをハザマがお祝いのプレゼントだと押し付けるものだから、ジンは思い切り首を横に振る。
「待て、それは貰えない……!」
「何でです? 欲しかったんでしょう?」
「そうだが、……プレゼントというには値段の桁が違うだろうっ。ダメだ、受け取れない」
頑なに拒むジンに、ハザマは眉を八の字にし大きく落胆の息をついた。
「そうですかァ、残念です。折角ジン君に着てもらおうと思ったのに……仕方ないですね、捨てますか」
言うなり、くるりと踵を返すハザマにジンは慌てた。
「待てっ、何も捨てることないだろう! 返品すれば……」
「プレゼント用にタグを切っちゃったから、ダメなんですよねェ。あ〜あ、喜んでもらえると思ったんですが」
残念です、と繰り返しながらフロアの端にあるゴミ箱を目指して歩き出すものだから、ジンは思わずスーツの端を掴んで引き止める。
「分かった、分かったから……! そんなことするくらいなら、もらう!」
「本当ですか? いやァ、よかったよかった〜」
ジンがそう叫んで引き止めると、ハザマは待ってましたと言わんばかりに、くるりと向き直り満面の笑みを浮かべた。
完全に乗せられている。
ジンもすぐにしまったという顔をするが、言葉を翻したところで結局ゴミ箱行きにされてしまうのだから、それが躊躇われるジンに選択の余地などなかった。
にっこり笑ってシャツの入った紙袋を渡され、ジンは何とも言えない顔で一応礼を言い、受け取る。
「良かったじゃんよ。それが欲しかったんだろ、ジンちゃん」
テルミがハザマ同様にニヤニヤ笑いながらそう言うと、ジンは渋い表情でこちらを睨めつけてきた。
人の好意に対して素直になれないところが、ハクメンとどこか似ていて面白い。
「……僕なんかに貢いでも、いい事なんてないぞ」
「貢ぐだなんて、そんなつもりはありませんよ。ただ私があげたかっただけです。お気になさらず」
「……変な奴だ」
紙袋に視線を落とし、手持ち部分の紐を細い指でカリカリと無意味に引っ掻きながら、ジンが拗ねたようにそう言う。
テルミも詳しくは知らないが、ハザマから聞いた話では、ジンは幼少の頃から孤児院であまり構ってもらえず、劣等感を抱いていたらしい。
……なるほど。普段の冷たい態度は、寂しさの裏返しか。
テルミは二人のやり取りを見て、ハザマがジンを構う理由がなんとなく分かった気がした。
これは嗜虐心と独占欲を同時に満たしてくれる格好の獲物だ。
甘えさせて、雁字搦めにして、自分だけの物にして苛めたくなる。
若さゆえか、冷徹になり切れないそのジンの足元は、甘い言葉ですぐにぐらつきかけるのだろう。
……ハクメンちゃんも、もうちょっとなびいてくれりゃァなー。
思わず、クソ真面目で頑固なハクメンをちらりと見ると、ハクメンは慣れない服に違和感があるのか、上着の形を整えていた。
何百年もの歳月を経た妖怪なのだから当然と言えば当然だが、ハクメンは自立心が強く、実際にほとんどのことは自力で出来てしまうので、所謂「いいところを見せる」ということが出来ない。
暫く大人しくしていたことで、それなりの信頼は得ているとは思うが、なかなかそれ以上には思ってもらえないのが辛いところだ。
ーーやはり、はっきり口にしなければ伝わらないだろうか。それを実行するには、大きなリスクを伴うのだが……。
どうしたものかと悩んでいると、ジンが気恥ずかしさを誤魔化すように、本来の目的を口にした。
「家具、買いに行くんだろう。寄り道してる場合じゃない」
「……ああ、そうでしたね。本棚がいるんでしたっけ」
ジンに言われて気づいたように、ハザマが頷く。
それを聞いて、テルミはふといいことを思いついて笑みを深くした。
「そういや俺達も家具、買わなきゃダメなんじゃね?」
「……? 何故だ」
テルミがそう話を振ると、不思議そうにハクメンが赤い瞳を瞬く。
テルミは金色の目を意味深に細めて、言った。
「なんでって、今のベッドじゃ狭いじゃん。二人で寝るには」
「……!?」
後半をわざと強調して言ったテルミに、面白いほどハザマとジンが過剰反応してこちらを振り返る。
しかしその視線の意味を取り違えたらしいハクメンが「狭くは無いぞ」と見当違いなフォローを入れて、見事に事実を肯定してしまった。
鳩が豆鉄砲を食らったように沈黙する二人の様子に、テルミが思わず噴き出すと、一人理解していないハクメンが怪訝な顔をした。








それからテルミとハクメンは、ハザマとジンについて家具をなんとはなしに見て回った。
目の見えないハクメンだが、木の質感やソファの弾力を楽しんでいたようで、テルミが引っ張って展示用のベッドに座らせると微かに苦笑を浮かべていた。
目的のものを注文したジンとハザマとはそこで別れ、テルミはハクメンを今度はバラ園に連れて行く。
以前に誘いをかけた時のように、映画館や遊園地なども考えたが、盲目のハクメンにはあまり楽しめる場所だとは思えなかった。
匂いがして、自然がある場所。そして触れられて、出来れば静かなところと考えて、テルミは普段の自分では近寄りもしないであろう場所を選んだ。
故に案内などは全くできなかったが、ハクメンはそろりと薔薇の花びらを撫でてたり、香りの違いを楽しんでいるようだった。
テルミには薔薇の良し悪しどころか興味さえなかったが、土産用に売られていた白い薔薇の花束を買った。
昼に思わぬ二人と会ったことや、バラ園をゆっくり見ていたせいか、何時の間にやら車に戻った頃には夕方に差し掛かっていた。今のうちに高速道路に入っておかないと、帰宅が随分と遅くなってしまうだろう。
いつも家事を手伝いに来るハクメンは、テルミの夕飯だけを作ると学校へと戻ってしまう。子供でもないのに門限があるらしく、晩の九時には帰って行くのだ。……もしかすると、レイチェルはテルミへの牽制の意味を込めてそう厳命しているのかもしれないが。
どうせなら、夜はやはり自宅でハクメンの美味い料理にあり付きたい。テルミはそう思って車を走らせた。
「晩飯は作ってくれんだろ?」
「ああ。何が食べたいのだ」
「んー、別に何でもいいぜ。ゆで卵がついてりゃ」
「……卵ばかり食していては其の内、病気に為るぞ」
テルミの返答に、ハクメンがやや呆れたような眼差しを向ける。しかしそう言う割には、ちゃんと美味しいゆで卵を出してくれるし、偏った栄養を補完しようと色々メニューを考えてくれるのだ。本当に面倒見がいい。
これだけ我儘いい放題なら、普通は呆れて相手にしないものだが、ハクメンはそういうところが不思議と寛容だった。自分の視力を奪った敵に、こんなにも世話を焼くなど可笑しな話だが……。
「なあ、ハクメンちゃん」
「……? 何用だ」
日が落ちてきたので走行途中に車のライトを付け、テルミはちらりと隣の助手席のハクメンを見遣る。いつもと変わらず背筋をぴんと伸ばしたハクメンが前を向いたまま問い返した。
こちらを見ない虚ろな赤い眼を見てから、テルミはまた前方に向き直り、運転に意識を傾ける。
別の事をしながらでないと、次の言葉を口に出せる気がしなかった。
「……俺のこと、恨んでるか?」
「……」
エンジン音に溶け込みそうなほど、ごく普通の会話のように、聞く。
平静を装ったその質問に、しかし予想に反して、ハクメンは「何を」と聞き返すことなく沈黙した。
ずっと疑問だったのだ。あれだけ酷い態度を取っていた自分を、普通は許したりするだろうか。
いくらハクメンでも、怒りを覚えて然るべき状態だった。
あの頃はハクメンが学食を任されたばかりの時で、それを邪魔しに現れたテルミは、毎日毎日食堂でマズイだ何だと騒ぎ立てて料理を床にぶちまけた。公衆の面前で怒らせて手を出させようと、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。
しかしそれにこたえた様子を見せなかったハクメンに痺れを切らせて、遂には作り置きのスープに毒物を混ぜるという凶行に至ったのだ。
生徒に食中毒でも起きればハクメンはもとより、この学校の評判も落ちて人が寄り付かなくなるだろうと。そう思った。
だがそれとは知らなかったハクメンが、早朝に味見をして倒れたのは誤算だった。
人間に化ける為に妖怪としての能力を大半封じていたのも災いし、病院に担ぎ込まれる騒ぎにまでに至ったのだ。
「……貴様は、恨んで欲しかったのか?」
後遺症で見えなくなった眼をこちらへ向け、ハクメンは平坦な声音で問う。怒るでも悲しむでもない、ただ事実を確認するような口調だった。
しかしその返答に、テルミは言い淀んだ。
「別に……そういうンじゃねェけど」
「ならば良かったでは無いか。私は恨んで等いない」
「…っ…だから、なんでだよ!? 普通、怒るだろ! ムカついてぶっ殺したくなンだろ!?」
あり得ない返答に、テルミは思わず激昂する。
自分がハクメンの立場なら、絶対に許さないだろう。切り刻んで、自分の受けた苦痛の何倍も味わわせてやろうと思う。
なのに、なんでコイツは全部受け止めんだよ!
腹立ちのまま、勢い余ってアクセルを強く踏んでしまい、ぐんと車が速度を上げた。
驚いたようにこちらを見るハクメンに気付き、テルミは我に返って、悪ィ…と謝る。すぐに苛立つ自分には、とてもじゃないが、ハクメンのような真似は出来ない。
罰が悪くて顔を歪めながらハンドルを握り直すと、ハクメンが微かに喉奥で笑った。
「そうだな…。今も貴様があの時と変わらぬ態度ならば、流石に斬り捨てて居ただろう」
だが、今はそうでは或るまい?
少し意地悪げに、整った唇が弧を描いた。それを横目で見たテルミは、図星に頬が熱くなりそうになり、顔を逸らせて舌打ちする。
この瞳が何も映さなくなった時、己が犯した過ちが取り返しのつかないものだと思い知った。そして最初は命令だったはずが、いつの間にかハクメンの気を引き続けたくて嫌がらせがエスカレートしていたことを自覚した。
もう、この眼が自分を見ることはないのに。その瞳に誰より映りたかったのは自分なのだと、気付いた時には既に遅かった。
「……不味いも何も、あの時ホントはお前の料理ちゃんと食ってなかったんだよな〜」
「そうか」
「絶対、美味かったはずなのによ。勿体ないことしたぜマジで」
「そうか」
「あー…、虫入りとか騒いじまったけど、あれも俺がわざと入れたんだよなァ」
「そうか」
「……」
「……」
当時のことを思い出しながら言い募るテルミに、ハクメンはただ事務的に頷いた。空気が重くなる一方の車内に、テルミは思わず黙り込む。
外がすっかり暗くなったこともあり、ちらりとハクメンの横顔を盗み見てみたが、そこからは何の表情も読み取れなかった。美術室の石膏像のように整った顔だけが、暗闇に浮き立つ。
ガリガリと逆立った頭を掻いたテルミは、近くのサービスエリアへ入るためにハンドルを切った。そして手近な場所に駐車する。
車が止まったことに、ハクメンは見えない眼をこちらへ彷徨わせた。エンジンはそのままに、テルミは乱雑に邪魔なシートベルトを外す。
乗り出すようにハクメンの顔を見つめて、テルミは重い口を開いた。
「だから…さ、マジでごめん。許してくれっつっても、無駄なのは分かってんよ。分かってっけど……ホントごめんな、ハクメン」
今更、何を言ったところでとっくに遅いことは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
滅多に謝らないテルミには、謝り方さえよく分からない。思いつく限りの言葉を言ってみるが、実際に口から出た語彙は極めて乏しいものだった。






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