BBハザジン小説

□@子猫とワルツ
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子猫とワルツ



『なーに泣いてんだァ? チビスケ』
「! ひ…っ!?」
突然、座り込んでいた木の上から声が降ってきて、ジンはびくりと肩を揺らした。
涙に濡れていた大粒の碧眼を見開き、声の主を探すように木の枝を見上げる。思わず驚いてしまったが、もしかすると気のせいかもしれないと期待を抱きながら目を向けた。
しかし残念ながら、そこにははっきりと声の主が存在していた。普通では考えられないことだが、黒い服を纏った痩身の少年が高い枝の上に乗っかり、器用にしゃがみこんでこちらを見下ろしていたのだ。
『よォー』
「ッ!!」
街中で友人に会ったような気安い呼び掛けに、ジンはその場で凍り付いた。今日は麗らかな晴天のはずなのに、枝に乗るその少年の周りだけ少し暗く見える。
空気が澱んでいるような、そんなまがまがしさを纏った異様な少年は、枝葉の陰の中で金色に光る眼をこちらに向けていた。
『どーしたァー? 俺様が怖いかぁ?』
ニィッと薄い唇を吊り上げ、少年はわざとらしく首を傾げて見せる。動きといい、表情といい、とても普通の子供には見えないそれを、ジンは魔物か悪魔だと思った。
兄にもシスターにも構って貰えない自分を、とうとう地獄へ落としに来たのではないかと。
『ヒャハ! そんな怖がんないでくれよ〜、悲しいじゃねぇか〜』
涙も止めて凍り付くジンの様子に、言葉とは裏腹に満足げな笑みを浮かべた少年が、ひょいと枝から飛び降りた。猿が地面に降りるような身軽さで、ジンの前に降り立った少年だったが――、予想外にも足を滑らせてひっくり返ってしまった。
「…ぇ…っ!?」
『ぁ痛ててッ! やーっぱ、まだ早かったか』
青々とした草に足を取られたのだろう。着地に失敗した少年は何やらよく判らない文句をブツブツと言いながら、打ち付けたお尻をさすった。
怖い、と思ったその少年の意外な姿に、ジンは呆気に取られる。しかし、少年の手から血が滲んでいることに気付いて目を見開いた。非現実的な雰囲気に惑わされて夢か幻のように感じていたが、少年は見たままの、ただの少年に過ぎなかったのだ。
色の白い手に映える、赤い血が痛々しい。
「ケガ、してる……!」
『あァ?』
反射的に、ジンはハンカチを取り出して少年に近寄っていた。転んだりして血が出るのは良くないと、体の弱いサヤに構う兄がいつも言っていたのを思い出したのだ。
気の弱いジンが見知らぬ相手に近付いたのは、その頼れる兄の姿が目に焼き付いていたからだろう。少年の手を取ったジンの碧眼に、もう涙の気配はなかった。
泥を払い、草で切ったらしい赤い直線の傷を、ハンカチで柔らかく抑える。自分がする前に兄が殆ど応急処置をしていたので、ジンがやった経験はほぼ皆無に等しかったが、見る機会は多かったので間違った処置ではないだろう。
しかしそう思った矢先に、忘れていたことを思い出した。
「……あ!」
『ハ?』
「ちゃんと水で洗わないと、菌が入っちゃうんだ。あっちの川でハンカチ濡らしてくるから、ちょっと待ってて!」
『え…、おいッ』
急に沸き上がった使命感につき動かされ、ジンはハンカチを握り締めて駆け出した。弱い者、傷付いた者を放って置けない兄を見ているので、今は自分がしっかりせねばと、条件反射的にそう思ったのだ。
少年の制止の声も耳に入らず、いつも水汲みをする川へとジンは急いだ。



『……あーあ、行っちまった』
遠くへ走って行ってしまった小さい背をぼんやり見ながら、少年は呟いた。正直こんな展開は予想していなかっただけに、不思議な心地だ。
忌ま忌ましい封印が弱まり、表に出られるようになって、手頃な憑依先が決まったまでは良かった。まだ意思の弱かったハザマという少年を体ごと乗っ取るのは容易だったが、自分自身が久し振りの現実世界で体の動かし方に慣れていなかったのは迂闊だった。
しかしなんだ、あの少年のお人よし振りは。
魔女ナインの妹であるシスターがついていながら、この教会に住む子供は随分と平和ボケしているらしい。しかも、術式適性が高い少女からは片時も離れないくせに、それには劣るものの充分逸材である先程の少年は野放しだというのだから間抜けている。
このままさらって行ってもいいのか? クソババア。
緑の逆立った髪を揺らし、少年は子供らしからぬ顔でクックッと笑った。絶望に歪む女の顔が容易に想像できて、胸が踊る。
……いや、待て。どうせなら、もっと徹底的に地獄へ落としてやろう。
更に楽しいことを思い付いた少年は、先程の少年が川から戻ってくるまでの間、ひとしきり不気味な笑い声をあげていた。




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