BBハザジン小説

□C3mの距離
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動物を飼うのは初めてだったが、意外に何とかなるものだなと思いながら、ジンは猫の背を撫でていた。
職場であからさまに猫を放し飼いにするのは体裁が悪いので、執務室の片隅にケージを作って中に入れているのだが、休憩がてらに猫を構ってやるのが癖になりつつある。子猫自身も大人しい性格のようで、ケージの中にいる時もジンに撫でられている時も暴れることがなかった。今のところ餌とトイレの始末だけで世話は済んでいるので、扱いやすい猫で正直助かったと思う。
仕事と立場上、生活が不規則でいつ呼び出されるか分からない身だ。不在の間に何かあっても気付いてやれないかもしれない。
そんな一抹の不安はあるものの、膝の上でころころ身をよじる子猫と指で遊んでやるジンの表情は穏やかだった。
別に猫など、好きでも嫌いでもない。今まで興味もなかったし、これからも特別好きだとは思わないだろう。
けれど自分の手にじゃれてくるこの子猫は、確かに可愛いと思う。
「に〜っ」
「……痛いぞ。少しは加減しろ」
前足をばたつかせる猫に、ジンは苦笑しながら文句を言った。まだ引っ込められないらしい爪がグローブに引っ掛かるので素手で触っているのだが、肌には細かい傷が幾つか付いてしまっている。とはいえ、血が出るほどでもないので好きにさせていた。
つぶらな瞳を向ける子猫は、親猫とはぐれたのか少しやせ細っているが、餌もちゃんと食べて今のところ元気なようだ。
そんな平和な休憩時間を壊すように、またもやあの男が顔を出す。
「……少佐〜」
「なんだ、疫病神」
「ヒ、ヒドイですよそんな言い方〜!」
扉を僅かに開け、顔を覗かせたハザマに、ジンはにべもない言葉を放つ。情けない声をあげるハザマは、やはり猫に近付けないらしく中に入ろうとはしなかった。
いい気味だ。ジンは優越感に浸りながら、ハザマを流し見た。
「で、諜報部のハザマ大尉がこんなところまで何の用だろうか?」
「報告書をお持ちしたんですよ。第七機関からの」
嫌味を気にした風もなく、ハザマは懐からぴらりと封筒を取り出す。なるほど、第七機関へ送り込んだスパイからの定期報告なら、確かに諜報部の活動範囲だ。
ふむ…とジンは頷き、立ち上がって入口へと向かった。ハザマが扉の向こうから出てこようとしないので、仕方なくこちらから近付く。
しかし慌てたようにハザマは口元を引き攣らせた。

「それっ、その猫は置いて来て下さいよ!」
「僕の勝手だ。嫌なら報告書を置いて貴様が立ち去ればいい」
猫を片手に抱いたまま近付くジンに、ハザマが非難の声をあげた。予想通りの反応に、内心愉快で堪らない。
しかしあくまで表面上は興味なさそうに、ジンは空いている方の手を差し出す。
「早くそれを貸せ」
「少佐ってホント、サディストですね……。分かりましたよ、ちゃんと渡しま……っくし!」
ぶつぶつ文句を言いながら封筒を差し出してきたハザマがまたくしゃみをする。余程だな、と思いながらも、ジンはしがみつく子猫を抱いたまま封筒を受け取った。
「ご苦労様。帰っていいぞ」
「えー、わざわざ来たんですから、何かご褒美くださ……」
「この猫とキスさせてやろうか?」
「いや、いいです。帰ります!」
ジンがずいっと猫を差し出すと、ハザマが後ずさって首を横に振った。眉が八の字になっており、情けない顔に拍車が掛かっている。
面白いくらいテキメンな猫の魔除け効果にジンは胸がすく思いで、爽やかな笑みを浮かべた。
「これからは、僕にあまり関わらないことだな」
「そんなァ〜、待ってくださいよ少佐……」
縋るように呼ぶハザマの声を締め出すように、ジンは執務室の扉を閉めた。
こんな奴、本来は係わり合いにさえならなかった相手だ。これで静かに過ごせる。
ジンが口角を上げるのを見て、手元の猫がニャーと寂しげに鳴いた。






猫が来てから、一週間が経った。細く弱々しかった体も少ししっかりし始め、隙を見つけては部屋を駆け回ったりと、活発さも見せるようになっていた。
そして天敵であるハザマが執務室に訪れなくなるのと入れ代わるように、別の人間が執務室に多数やって来るようになった。
「キサラギ少佐」
「……なんだ」
廊下で女性の衛士に呼び止められ、ジンはまたかと思いつつも振り返る。予想通り、女性は眼を輝かせながらこちらを見ていた。
「あ、あの……猫ちゃん、見に行ってもいいですか!?」
勢い込んで尋ねるその言葉に、内心うんざりしつつも、ジンは頷いて了承を示した。その返答に女性は黄色い歓声をあげ、では昼休みにお邪魔します!と告げて去って行った。
スキップしそうなその後ろ姿を見送りながら、ジンは盛大に溜息をつく。少し前から『キサラギ少佐の執務室には可愛い猫がいる』という噂が広まり、今ではこんな風に訪問の予約が絶えないのだ。

正直鬱陶しくてくて仕方がないのだが、一応保護という名目で執務室に置いているので、断ることは出来ない。あわよくば里親が決まって引き取り手が出来ればとも思っている。
最初は本気で飼おうかとも思っていたが、やはり自分では四六時中ついていてやることは出来ず、また独り身同然では猫の方も寂しいだろうと思った。家族で可愛がってもらえるようなところの方が、幸せに違いない。
ペットなんて、と今まで軽く見ていたが、いざ自分の手の中に命が委ねられていると思うと意外に難しいものだ。傷付け、命を刈り取る側である自分では責任が持ちきれないと思った。
そして、執務室に戻ると顔を見せる猫に和むのと同時に、物足りなさを感じていることにジンは気付いてしまった。
可愛いですねと声をあげるのは、よく知らない女性衛士ばかり。以前より他人の気配が色濃い執務室は、何だか自分の仕事場ではないようだった。人が集まる休憩時間は、自分が入ることすら気を遣う。
どうせならば……アイツが来て、馬鹿な冗談を言い合っている方が楽だ。そんなことをちらりと思った自分に愕然とする。
あの胡散臭い奴を遠ざけたくて、猫を飼ったのではないのか。纏わり付かれて嫌だったから、こんな仕返しをしてみたのではなかったか。
執務室に戻ったジンは、苛立ちを抑えるようにサプリメントに手を伸ばした。しつこく昼食に誘う存在がなくなり、いつの間にかすっかり元の生活に戻っていたのだ。
前の状態に戻っただけ、今まで通り。そう頭では認識するのだが、ジンの気分は何故か晴れないままだった。
顔見知りになってからは、ほぼ毎日のように現れていたアイツの顔を全然見ていない。猫を連れていない時ですら、姿を見ることがなくなった。まるでそんな存在などなかったかのように、消えていた。
「にゃ〜」
サプリメントを紅茶で流し込むジンを見上げて、子猫が控え目に鳴く。愛らしい姿に吸い寄せられるように、手を伸ばして喉を撫でると、気持ち良さそうに眼を細めて擦り寄ってきた。
じゃれる猫を見つめながら、ジンは微かに溜め息を吐いた。





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