●怖い噺 六


□まだ生きている
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若いうちに癌になると、細胞の分裂が早いから腫瘍がすぐに大きくなる

2週間前に1mmだった影が3pまで大きくなるとかもある

患者さんは、30台の女性だった脳腫瘍。脳の癌

見つかったときには患者さんは意識不明の状態だった

その人は夫も息子もいて最悪なことに妊娠3ヶ月の状態だった。入院して一月経たないで亡くなったんだけど

意識不明で2週間ぐらい経ったときだったかな意識不明でも尿もでるし、毎日清拭をするんだけど「臭い」がしてくるんだ肉が、というか「細胞」が腐っていく臭い

死臭って言うんだと思う。気にしなければさほど匂わないけど、日に日に強くなっていくんだ肉体は目に見えて変化はないけどアラームの鳴る傍でどんどん四肢が腐っていく感じ

夫は毎日病室に泊まっていた
冷静に医者の診断を聞き腹の中の子の安否を聞いて「恐らくは…」と医者が言うと「そうですか…」とひとこと喋っただけ理解して現実を冷静に受け止める強さを持っていたのだと最初はそう思った

死臭がして1週間ぐらいして(もう駄目だろうな…)って感じで俺も処置をしてたんだけど、母体の腹が妙にねちょねちょしているのに気付いた

その時は死に逝く人の肉体の変化かなって思ってたんだけど、そのねちゃねちゃした部分が妙に黒くくすんでた

「いつもすみません」と夫は私に頭を下げた

妙に居たたまれない気持ちになって、何か毎回泣きそうになるんだけど…にっこり笑って「いえいえ」といつも返していた。そうして退室した

暫くして、患者のサーチュレーション(血中の酸素濃度)が90%を気ってアラームが鳴ったから部屋まで向かった

カーテンが閉まって、中の様子は見えなかったけどシルエットで夫が傍に立っているのが分かった。サーチュレーションが下がったとはいえ、吸引ぐらいしかすることがなかったけど準備しようとして気付いた

どうも夫が妻の上にのしかかろうとしているみたいだった。正しくは、お腹に顔を当てて母子の呼吸を聞こうとしてる感じか…部屋の前で少し様子を見ていたんだけど、どうも様子が少しおかしい

夫の顔が左右に揺れていた

窓の反射を見て絶句した
夫が舌を出してチロチロと妻の腹を舐っていた。へその周りを重点的に、何度も何度もモニターの音がピッピッと鳴っている間、夫は無言で腹を舐め回していた

いつも自分が拭いていた腹のネチャネチャは夫の唾液だった

無言で部屋を出て先輩に相談して一緒に行こうとなってあえて大きな足音をさせてその部屋に言ったら夫は何食わぬ顔で本を読んでいた

その日はそれで終わったけど、暫くして自分は休みに入った。それから俺のいない日に奥さんは亡くなった

当日担当だった先輩から聞いたが、医師の臨終確認が終わると旦那さん憑き物が落ちたようにストンと倒れたらしい

母体のお腹にうつぶせて

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

って

聞こえるか聞こえないかって声でぶつぶつ呟いてた。まだ生きてるまだ生きてるって、お腹を摩っていた

本当は、もう数日前に胎児の脈はとれないレベルまで落ちてたんだけど母体の死亡と一緒に児の死亡も告知されたあとだったらか、もう狂ったみたいに冷静なダンナさんが豹変したらしい

その日の夜、葬儀の準備のために遺体を保管していた部屋で、旦那さんが母体の腹に司法解剖で開いた創部をカッターでくりぬいたらしい

暫くしてスタッフが見つけたとき綺麗に血を処理された母体と流し場で洗われた半分溶けた胎児が捨ててあったと

夫のそれからは自分は知らないが、警察に捕まったとだけ聞いた

−終わり−

悲しい噺です
そして悲しいと同時に人間の恐ろしさも出ています

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