●怖い噺 九


□空を見上げる少年
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当時俺はまだ高校2年生

ちょっとした理由で所属していた陸上部を辞め、どうせならいい大学を目指そうとスポーツから勉強に乗り換えようかと考えていた矢先の出来事だった

部活をしていた頃は朝は六時半から夜は七時過ぎまで練習があり、俺の生活はほとんど学校と家の往復に費やされていたのだが部活を辞めてからは特に何に縛られるでもなく遅刻しない位に登校し学校が終われば友達とだべりながら帰る

そんな自由を突然与えられ俺は正直自由な時間を持て余していた

幼少時から陸上を始め他にも水泳や剣道など習い事を数多くこなし自分の時間というものが極端に少なかったせいで、その時の俺にとってはどうやって時間を使えばいいのか分からずある意味贅沢な悩みを抱えていたのだ

少年に会ったのはそんなある日のことだった

友達の買い物に付き合い少し遠回りして自宅に向かっていた帰り道
いつもはあまり通らない団地の前を通った時にふと目に入ったのが彼だった
真夏なのに長袖のシャツと膝のすれたジャージを履き、片手におにぎりを持ったままボーっと空を見上げていたのだ

「こんなクソ暑いのに、変な奴」

それが俺の少年に対する第一印象だった

それから二週間ほど友達と遊んだり、買い物に行ったりするなかで、どうしてもその団地の前を通ることがあったのだが、その少年はいつも似たような格好でおにぎりを片手に空を眺めていた

さすがに俺もその少年の事が気になって遭遇から3週間目ぐらいに俺は始めて少年に声をかけた

「おい、お前。これでも食うか?」

少年に向かって唐揚げ串をさし出す
いつもおにぎりだけじゃ飽きてしまうだろうと俺なりの配慮をしたつもりだったのだ

「………………」
「おーい?」

しかし少年はボーっと空を見上げたまま動こうとしない
ちょっとムキになって少年の目の前で手をヒラヒラさせると少年はそこで初めて俺に気付いた様子でビクッと跳ね上がった

「…………!!」そしておびえたような表情で俺を見つめる

そりゃそーだ
いきなり顔も知らない高校生が唐揚げ串をさし出してくるなんて不審者以外の何者でもない

「…………いいの?」しかし、その少年は俺の顔をジッと見た後そんな風に呟いた
「あぁ、食わないなら俺が食おうと思ってたから」

俺がそう答えると少年は俺の手から串を受け取り一心不乱に唐揚げをほおばり始めた
その必死とも言える食事の光景に当時の俺は「やっぱ腹減ってたのか」とただ無邪気に思ったのだった

その後も少年と俺の交流は続いた

しばらくは俺に対して警戒していた少年も一週間近くお土産(唐揚げ君とか牛肉コロッケとか)を持って通い詰めているうちに大分打ち解け、俺の事を“兄さん”と呼んでくれるようになった

そして両親とも共働きで兄弟のいない俺からしてみても少年はまるで弟のように感じたものだった

少年と話していると色々と驚かされることが多かった

見た目から少年は小学2〜3年生位かと思っていたのだが実際には小学5年生だったこと

少年が「兄さん。もうすぐ雨が降るからすぐに帰った方が良いよ」と言うとその時どんなに晴天であっても後で必ず雨が降ること

まるで占い師のように俺の怪我を言い当て、それが原因で部活を辞めて少し腐っている事をズバリ的中させたこと等々

元から少し不思議な雰囲気を持った少年だったがここまで来ると俺は素直に感嘆してしまった

その事を少年に伝えると少年は照れたような顔をして「別に、ただ何となく分るんだ」とはにかむのだった

少年が居なくなったのはそれからさらに一週間
初めて遭遇した時から一カ月ほど経った頃だった

それまで俺が団地を訪れるといつも同じ場所で空を見上げていたはずの少年が忽然と姿を消してしまったのだ

時期的にはまだ夏休み
「引っ越しでもしてしまったのかな?」と思い、せっかく仲良くなった弟のような少年がいなくなった寂しさと、一言も言わずに行ってしまったことに対する不満があったのだが

その日の夜から俺は悪夢にうなされることとなる

俺は狭い箱の中に閉じ込められていて、息苦しくて、喉が渇いて、お腹がすいて、身体が痛くて動かせない

どうにかしてここから出ようとしても体を動かす事はおろか声すら出ない

気付いてしまえば瞬きすら出来ないのだ

箱の外は綺麗な世界があると分っているのに、俺は動くことが出来ず、箱の中の真っ暗な闇にただ怯え、いっそのこと発狂してしまえば楽になれるのにと思うのに苦しくて、苦しくて

まるで呪いのように、ありったけの罵詈雑言を心の中で言い尽くしたころ
俺の心が弱ったのを見計らったかのように箱が沈むのだ

地面なのか水なのか、もっと深い所へ箱ごと俺が沈んでいく

と、ここで絶叫と共に目を覚ますのだ

全身から気持ち悪い汗をかいて、赤ん坊のように号泣している

俺の声に飛び起きて来た両親は息子のそんな様子を見て「狂ってしまった」と思ったそうだ

そんなことが連日続き、両親は俺を精神・心療内科のある県外の大学病院に連れて行った
大きな機械で脳波測定をしたり様々な問診をした結果俺は特に問題なしとの診断を受けた

落胆と不安から帰りの車内は重苦しい空気に包まれていた
それでも一日中様々な機械に通され疲れの溜まっていた俺はいつの間にか眠りについていた

そこで俺はまたあの夢を見た
真っ暗な箱の中に閉じ込められている夢だ

「また、この夢か」諦めにも似た心境でぐっと恐怖を堪えているといつもとは違う事が起きた

ゴン ゴン、と箱の外から音が聞こえてくるのだ
まるでこの箱の中にいる俺を助けてくれるかのように
俺は必死に「助けて!!」と叫ぼうとするが、声は出ない

やがてそのゴン ゴンという音も小さくなり「あぁ、やっぱり誰も助けてくれなかった」と思った矢先に箱の天井がゆっくりと開いた

目を開くと母親が俺の体を揺さぶっていた

「あ、やっと起きた。ずいぶん長い事寝ていたわね。家に着いたから早く車から出なさい。」

県外の病院から自宅に戻るまでの数時間
俺はずっと眠っていたらしい

寝ぼけたまま母親の指示に従って家に入る

ジュースでも飲んで眠気を払おうと冷蔵庫からサイダーを取り出していると
先にリビングに入ってTVを見ていた父親が
「酷い事をする親もいるものだなぁ」とつぶやいたのが聞こえた

何故かそのつぶやきが異常なほど気になって、冷蔵庫を開けたままリビングに飛び込むと、
案の定TV画面には見覚えのある団地が写されていた

無機質なアナウンサーの声が頭の中で反響し、ぐらぐらと足元がおぼつかなくなる

それに気付いた父親が俺を慌てて支えると
そのニュース番組は山中からブルーシートで隠した何かを運び出すシーンに移り変わった

「遺体は死後一週間ほど経過しており、○○容疑者の供述通り△△市の山中から発見されました
少年の遺体は大型のクーラーボックスに入れられたまま埋められており
警察は○○容疑者の内縁の夫である□□容疑者も事件に何らかの関与をしていたとの見解を強め捜査を続けています
また、少年の体には生前に受けたとされる打撲や擦過傷が数多く残されており
警察は日常的に虐待や少年に対する暴力があったとして取り調べを強化しています」

父親の支えがなければ俺は間違いなくその場に倒れ込んでいただろう

少年の死を受け入れることが出来ず仮にも少年から兄と呼んでもらっていたくせに虐待を見抜けなかった自分の無力さを笑う事すら出来なかった

考えてみれば簡単な事だったのだあの年頃の少年がいつも同じ場所でおにぎりを食べているはずがない

少年がいつも外にいたのは少年の自宅には母親の他に血のつながらない男がいたからだ

長袖を着ていたのは虐待の傷痕を隠すため

体格が同じ年代の子どもと比べて小さいのも、幼いころから満足な食事を与えられていなかったせいだ

だから、俺が差し出したお惣菜にはかぶりつくように反応したし、殴られる心配がないから俺に会うと嬉しそうに駆け寄ってきてくれていたのだ

あの夢についてもそうだ

少年は俺に助けを求めていたのだろう

元から少年は普通ではない力を持っていた

その少年が死の間際親しくしていた俺に助けを求めて、あんな夢を見せたとしてもなんら不思議ではないだろう

彼は人懐っこい少年だった

死んでしまった後も自分を俺に見つけて欲しくてあんな夢を見せたに違いない
どんなに辛く、悲しく、悔しい事だっただろう
少年の事を思うと流れる涙を止めることが出来なかった

あれから数年

あのニュース以降、例の夢を見ることはなくなり、俺は彼のような子どもを虐待から守る職についた
当時は何も知らない子どもだったが今では少しだけ大人になれたと思っている
再び彼のような犠牲者を出さないためにも俺は彼に誓って虐待から子ども達を救ってやりたいと思っている

近年の不況・法令の強化に伴い、虐待件数は増加の一途を辿っている

そのほとんどはネグレクトを代表とするものであるが、そのネグレクトがその他の虐待に結びつくことが非常に多い

だから、これを読んでくれた人・見てくれた人、少しでいいから周りに様子のおかしな子どもがいないか注意して見てくれないだろうか

そして、もし様子のおかしな子どもがいたら、地域の児童相談所でも保健所でも市役所でもいいから相談して下さい

匿名でも勘違いでもかまいません

彼のような犠牲者をこれ以上出さないためにもどうかお願いします

−終わり−

虐待からの怪談噺…
悲しい時代の変化ですね

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