●怖い噺 九
□風呂の蓋
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これはOLとして働きながらひとり暮らしをしていた数年前の夏の夜の話です
私が当時住んでいた1DKはトイレと浴槽が一緒になったユニットバスでした
ある夜、沸いた頃を見計らってお風呂に入ろうと浴槽のフタを開くと人の頭のような影が見えました
頭部の上半分が浴槽の真ん中にポッコリと浮き鼻の付け根から下は沈んでいました
それは女の人でした
見開いた両目は正面の浴槽の壁を見つめ長い髪が海藻のように揺れて広がり浮力でふわりと持ちあげられた白く細い両腕が黒髪の間に見え隠れしてました
どんな姿勢をとっても狭い浴槽にこんなふうに入れるはずがありません
人間でないことはあきらかでした
突然の出来事に私はフタを手にしたまま裸で立ちつくしてしまいました
女の人は呆然とする私に気づいたようでした
目だけを動かして私を見すえるとニタっと笑った口元はお湯の中黒く長い髪の合間で真っ赤に開きました
(あっ、だめだっ!)
次の瞬間、私は浴槽にフタをしました。フタの下からゴボゴボという音に混ざって笑い声が聞こえてきました
と同時に閉じたフタを下から引っ掻くような音が…
私は洗面器やブラシやシャンプーやら、そのあたりにあるものをわざと大きな音を立てながら手当たり次第にフタの上へ乗せ慌てて浴室を飛び出ました
浴室の扉の向こうではフタの下から聞こえる引っ掻く音が掌で叩く音に変わっていました
私は脱いだばかりのTシャツとGパンを身につけ部屋を飛び出るとタクシーを拾い一番近くに住む女友達のところへ逃げ込んだのです
数時間後…深夜十二時を回っていたと思います
カギもかけず、また何も持たず飛び出たこともあり友人に付き添ってもらい部屋へ戻りました
友人は今回のような話を笑い飛ばすタイプで好奇心旺盛な彼女が浴室の扉を開けてくれる事になりました
浴室はとても静かでした。フタの上に載せたいろんなものは全部床に落ちていました。お湯の中からの笑い声もフタを叩く音もしていません
友人が浴槽のフタを開きました。しかし、湯気が立つだけで女の人どころか髪の毛の一本もありません。お湯もキレイなものでした。それでも気味が悪いので友人に頼んでお湯を落としてもらいました
その時、まったく別のところで嫌なものを見つけたのです
私の身体は固まりました
洋式便器の閉じたフタと便座の間から長い髪がゾロリとはみ出ているのです。友人もそれに気付きました
彼女はわたしが止めるのも聞かず便器のフタを開きました
その中には女の人の顔だけが上を向いて入っていました。まるでお面のようなその女の人は目だけを動かすと立ちすくんでいる友人を見、次にわたしを見ました
わたしと視線が合った途端女の人はまた口をぱっくりと開き今度はハッキリと聞こえる甲高い声で笑い始めました
はははははは…ははははははは…
笑い声にあわせて女の人の顔がゼンマイ仕掛けのように小刻みに震えはみ出た黒髪がぞぞぞぞっ…っと便器の中に引き込まれました
顔を引きつらせた友人は叩きつけるように便器のフタを閉じました。そしてそのまま片手でフタを押さえもう片方の手で水洗のレバーをひねりました
耳障りな笑い声が水の流れる音と無理矢理飲み込もうとする吸引音にかき消されました
その後は無我夢中だったせいかよく覚えていません。気が付くと簡単な着替えと貴重品だけを持って私と友人は友人の部屋の前にいました。部屋に入った友人はまず最初にトイレと浴槽のフタを開き「絶対に閉じないでね」と言いました
翌日の早朝、嫌がる友人に頼み込んでもう一度付き添ってもらい自分の部屋へ戻りました
しかしそこにはもう何もありませんでした
それでも私はアパートを引き払い実家に帰ることにしました
通勤時間は長くなるなどと言っていられません
今でもお風呂に入るときは母か妹が入っているタイミングを見計らって入るようにしています
トイレのフタは家族に了解をもらってずっと外したままにしてあります
−終わり−
無理矢理トイレに流した友人は勇者か
と言うか流すのも怖いだろ…この幽霊だって予想外の展開だったかもしれないし…