●怖い噺 四


□髪被喪
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僕の母の実家は長野の山奥、信州新町ってとこから奥に入ってったとこなんですけど、僕がまだ小学校3、4年だったかな? その夏休みに母の実家へ遊びに行ったんです

そこは山と田んぼと畑しかなく民家も数軒
交通も、村営のバスが朝と夕方の2回しか通らないようなとこです。そんな何もないとこ、例年だったら行かないんですがその年に限って仲のいい友達が家族旅行でいなくて両親について行きました

行ってはみたものの…案の定何もありません。デパートやお店に連れて行ってとねだっても、一番近いスーパーでも車で1時間近くかかるため父は「せっかくのんびりしに来たんだから」と連れて行ってくれません

唯一救いだったのは隣の家に僕と同じ年くらいの男の子が遊びにきていたことでした。あの年頃は不思議とすぐに仲良くなれるもので僕とKは一緒に遊ぶようになりました。遊ぶといってもそんな田舎でやることは冒険ごっこ近所の探検くらいしかありません

確か3日目の夕方くらいだったと思います
午後3時を過ぎて日が落ち始めるころ。夏とはいえ西に山を背負っていることもあるのでしょうか。田舎の日暮れっていうのは早いもんです

僕とKは今まで入ったことのない山に入っていってみました。はじめは人の通るような道を登っていたのですが気がつくと獣道のような細い道に入っていました「あれ、なんだろ?」Kが指差す方を見ると石碑が建っていました。里で見る道祖神ののような感じで50センチくらいだったでしょうか

僕とKは良く見ようと、手や落ちていた枝で苔や泥を取り除いてみました。やはり道祖神のような感じでしたが何か感じが違いました
普通の道祖神って男女2人が仲良く寄り添って彫ってあるものですよね?
でもその石碑は4人の人物が立ったまま絡み合い顔は苦悶の表情そんな感じでした

ぼくとKは薄気味悪くなり「行こう!」と立ち上がりました。あたりも大分薄暗く僕は早く帰りたくなっていました「なんかある!」
僕がKの手を引いて歩き出そうとするとKが石碑の足下に何かあるのを見つけました

古びた4センチ四方くらいの木の箱です。半分地中に埋まって斜め半分が出ていました「なんだろう?」僕は嫌な感じがしたのですがKはかまわずに木の箱を掘り出してしまいました

取り出した木の箱はこれまた古くあちこち腐ってボロボロになっていました。表面には何か布のようなものを巻いた後があり墨か何かで文字が書いてありました。当然読めはしませんでしたが何かお経のような難しい漢字がいっぱい書いてありました

「なんか入ってる!」Kは箱の壊れた部分から何かが覗いているのを見つけると引っ張り出してみました

なんて言うんですかね。ビロードっていうんでしょうか?黒くて艶々とした縄紐みたいなので結われた腕輪のようなものでした。直径10センチくらいだったかな?輪になっていて5ヶ所石のような物で止められていました。石のような物はまん丸でそこにもわけのわからん漢字が彫り付けてありました

それはとても土の中に埋まっていたとは思えないほど艶々と光っていて気味悪いながらもとても綺麗に見えました

「これ、俺が先に見つけたから俺んの!」Kはそう言うとその腕輪をなんと腕にはめようとしました「やめなよ!」僕はとてもいやな感じがして半泣きになりながら止めたのですがKはやめようとはしませんでした
「ケーーーーー!!!」Kが腕輪をはめた瞬間に奇妙な鳥?サル? 妙な鳴き声がし山の中にこだましました。気が付くとあたりは真っ暗で僕とKは気味悪くなり慌てて飛んで帰りました

家の近くまで来ると僕とKは手を振ってそれぞれの家に入っていきましたもうその時には気味の悪い腕輪のことなど忘れていてのですが…


電話が鳴ったのは夜も遅くでした。10時を過ぎてもまだだらだらと起きていて母に「早く寝なさい!」としかられていると「ジリリリーーン!」けたたましく昔ながらの黒電話が鳴り響きました

「誰やこんな夜更けに…」爺ちゃんがぶつぶつ言いながら電話に出ました。電話の相手はどおやらKの父ちゃんのようでした。はたから見ても晩酌で赤く染まった爺ちゃんの顔がサアっと青ざめていくのがわかりました

電話を切ったあと爺ちゃんがえらい勢いで寝転がっている僕のところに飛んできました
僕を無理やりひき起こすと、「A!!おま、今日どこぞいきおった!! 裏行きおったんか!?山登りよったんか!?」爺ちゃんの剣幕にびっくりしながらも僕は今日あったことを話しました

騒ぎを聞きつけて台所や風呂から飛んできた母とばあちゃんも話しを聞くと真っ青になっていました
婆「あああ、まさか」
爺「…かもしれん」
母「迷信じゃなかったの…?」
僕は何がなんだかわからずただ呆然としていました。父もよくわけのわからない様子でしたが爺、婆ちゃん母の様子に聞くに聞けないようでした

とりあえず僕と爺ちゃん、婆ちゃんで隣のKの家に行くことになりました。爺ちゃんは出かける前にどこかに電話していました。何かあってはと父も行こうとしましたが母と一緒に留守番となりました

Kの家に入ると今までかいだことのない嫌なにおいがしました。埃っぽいようなすっぱいような。今思うとあれが死臭というやつなんでしょうか

「おい!K!!しっかりしろ!」奥の今からはKの父の怒鳴り声が聞こえていました。爺ちゃんは断りもせずにずかずかとKの家に入っていきました。婆ちゃんと僕も続きました

居間に入るとさらにあの匂いが強くなりました。そこにKが横たわっていました。そしてその脇でKの父ちゃん母ちゃん婆ちゃんが必死に何かをしていました

Kは意識があるのかないのか目は開けていましたが焦点が定まらず口は半開きで泡で白っぽいよだれをだらだらと垂らしていました

よくよく見るとみんなはKの右腕から何かを外そうとしているようでした。それはまぎれもなくあの腕輪でしたがさっき見たときとは様子が違っていました

綺麗な紐はほどけてよく見るとほどけた1本1本がKの腕に刺さっているようでした

Kの手は腕輪から先が黒くなっていました。その黒いのは見ていると動いているようでまるで腕輪から刺さった糸がKの手の中で動いているようでした

「かんひもじゃ!」爺ちゃんは大きな声で叫ぶと何を思ったかKの家の台所に走っていきました。僕はKの手から目が離せません。まるで皮膚の下で無数の虫が這いまわっているようでした

すぐに爺ちゃんが戻ってきました。なんと手には柳葉包丁を持っていました。「何するんですか!?」止めようとするKの父ちゃん母ちゃんを振り払って爺ちゃんはKの婆ちゃんに叫びました「腕はもうダメじゃ!まだ頭まではいっちょらん!!」

Kの婆ちゃんは泣きながら頷きました。爺ちゃんは少し躊躇した後包丁をKの腕につきたてました!悲鳴を上げたのはKの両親だけでKはなんの反応も示しませんでした

あの光景を僕は忘れられません。Kの腕からは血が一滴も出ませんでした。代わりに無数の髪の毛がぞわぞわと傷口から外にこぼれ出てきました。もう手の中の黒いのも動いていませんでした

しばらくすると近くの寺から、坊様が駆けつけて来ました。爺ちゃんが電話したのはこの寺のようでした

坊様はKを寝室に移すと一晩中読経をあげていました。僕もKの前に読経を上げてもらいその日は家に帰って眠れない夜を過ごしました

次の日Kは顔も見せずに朝早くから両親と一緒に帰って行きました。地元の大きな病院に行くとのことでした

爺ちゃんが言うには腕はもうだめだということでした「頭まで行かずに良かった」と何度も言っていました。僕は「かんひも」について爺ちゃんに聞いてみましたが教えてはくれませんでした

ただ「髪被喪」と書いて「かんひも」と読むことあの道祖神は「阿苦(あく)」という名前だということだけは婆ちゃんから教えてもらいました

古くから伝わるまじないのようなものなんでしょうか?それ以来、爺ちゃんたちに会っても聞くに聞けずにいます

結論から言うとどうやら「かんひも」はまじない系のようです。それもあまり良くない系統の昔まだ村が集落だけで生活していて、他との関わりがあまりない頃です。僕はあまり歴史とかに明るくないので何時代とかはわかりませんでした

その頃は集落内での婚姻が主だったようでやはり「血が濃くなる」ということがあったようです。良く聞くように「血が濃くなる」と
障害を持った子供が生まれて来ることが多くありました。今のように科学や医学が発達していない時代。そのような子たちは「凶子(まがご)」と呼ばれて忌まれていたようです。そして凶子を産んだ女性も「凶女(まがつめ)」と呼ばれていました

しかしやはり昔のことで凶子が生まれても生まれてすぐには分からずにある程度成長してから凶子と分かる例が多かったようです。そういう子たちはその奇行からやはりキツネ憑きなど禍々しいものと考えられていました

そしてその親子共々、集落内に災いを呼ぶとして殺されたそうです。しかもその殺され方が凶女にわが子をその手で殺させさらにその凶女もとてもひどい方法で殺すといういやな内容でした

しかし凶女は殺された後も集落に災いを及ぼすと考えられました。そこで例の「かんひも」の登場です

「かんひも」は前にも書いたように「髪被喪」と書きます。つまり「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事です。どうやら凶女の髪の束を使い凶子の骨で作った珠で留め特殊なまじないにしたようです

そしてそれを隣村の地に埋めて災いを他村に被せようとしたのです。腕輪の形状をしていたのもとはそういった呪詛的な意味の方が大きかったようです。また今回の物は腕輪でしたが首輪などいろいろな形状があるようです

しかし呪いには必ず呪い返しが付き物です
仕掛けられた「かんひも」に気がつくと掘り返してこちらの村に仕掛け返したそうです
それを防ぐために生まれたのが道祖神「阿苦」です

村人は埋められた「かんひも」に気づくとその上に「阿苦」を置いて封じました。「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのではないでしょうか

そしてその隣村への道がちょうど裏山から続いていたそうです。時の流れの中で「かんひも」は穢れを失って風化していったようですが例の「かんひも」はまだ効力の残っていたものなのでしょうか

最後に婆ちゃんに気になっていたものの聞けなかったKのその後を聞きました。Kはあれから地元の大きな病院に連れて行かれました

坊様の力かそのころにはすでに髪は1本も残ってなく刃物の切り口と中身がスカスカの腕の皮だけになっていたそうです

なんとか一命は取り留めたもののKは一生寝たきりとなってしまってい医者の話では脳に細かい「髪の細さほどの無数の穴」が開いていたと…

−終わり−

今回は長く歴史風習を交えた少し難しい話になりました…
この噺…呪いってのも怖いけど、憑き物の憑いた人を殺し親までもを殺すと言うその風習が怖くない?
皆さんも「かんひも」を見つけても決して腕にはめたりしない様にお気を付けを

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