●怖い噺 八


□悪夢の箱
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今日ここで私が苦しめられつづけている後悔と恐怖の記憶を書かしてもらいます

実際になにかが憑くわけではありませんが、そう記述する事で私自身の記憶の影がほんの少しだけ明るくなるので…

体験、それは私は某保険会社に入社し3年目に突入した矢先のでき事でした

私は係長になり4人の部下が居てその中の3人(I君T君Yさん)は一週に2回欠かさず飲みに行くくらいの中でした
残りの一人はこの物語には関係無いので省略させてもらいます

その日も私達は4人で行き付けの居酒屋で食べた後、割り勘で支払いを済ませ帰る途中でした

いきなりI君がりんご一個がちょうど入るくらいの大きさの見るからにぼろぼろな木箱を取り出して見せました

それは変なしかけのある箱で、以前流行ったルービックキューブのように色(木目)がきちんと合うようにそろえると開くと言う箱でした

彼の言うには父からもらったものでずいぶん昔のものらしいです

なんでも、戦争前からあったそうです

「父はあけれないし、どうせ戦後の焼け跡で拾ったものだからと僕に譲ってくれました」
と言ってました

その箱を彼は二世代隔てた今でもいまだに開けられずにいるそうです

僕はその箱を見たときからなんとなく言いようの無い悪寒を感じていました
僕は霊感があるほうなのでしょうか

時々上半身と下半身のつりあいがとれてない人とか、足の足りない(もしくは無い)小動物等を見かけることがあるのです

なので僕は、T君とYさんがかわりばんこにその木箱の節目をずらしたり、引っ張ってみたりしているのを見ていてなぜかひやひやしていました

開け放ってしまうことを恐れていたんだと思います

結局その日はその木箱はあきませんでした
店を出て帰りのタクシーがつかまるまでの5分間くらいしか時間が無かったのでさすがに無理でした
その後その日は全員何事も無く帰宅しました

次の日、I君が前日私以外の2人に好評だった木箱を会社に持ってきました
昼休みにデスクワークをしていた私の元へ、Yさん、T君を連れてやってきました
私はその途端付き合いが悪いと思われるのを覚悟で彼らに忠告しました

「その箱は、開けないほうがいいと思う」と

彼はいぶかしげな顔をしながら僕に
「兄と同じことを言うんですね」
と返しながらも、得意げに
「きっと近いうちに開けて見せますよ」
と言ってデスクワークをしている私に気を使い、それきり昼休みは話しませんでした

そしてその日の仕事が終わった後4人で桜見をしようと言うことになりました
近くの公園でYさんのお母さんの差し入れで筑紫のお吸い物をすすりながら、桜を堪能していました

そんなときにT君が
「この素晴らしい風景を四人一緒に写真に収めておこう!」
と言ってポラロイドカメラを出しそれでひときわ幹の太い立派な桜をバックに写真を撮りました

見事な写真が撮れました

でも変なのです
夜だから光が入る心配も無し、開けた場所だからフラッシュが反射して変色する心配も無いんですけど…
写真がなんとなく薄い赤色を全体的に帯びているのです

T君は、こういうこともあるさと言って、もう一回全員で写真を撮りました

しかし、またも同じ現象が起こったのです
T君は
「広い範囲で撮るから余計なものが入るのかもしれない。フィルムに余裕はあるし、一人づつ撮ろう」
と言って私、Yさん、I君、T君の順番で撮ることになりました

まず私の撮影です
コレはうまく行きました
つぎのYさん、うまく行きました
問題はそのつぎのI君でした
1度目で撮れた写真は、さっき撮ったのよりなんとなく赤みが強くなっているようにみえる写真でした

そこでもう一回
今度はなんだかI君の周りに赤ではなく、黄色に近い色の薄いビニールのようなものが、なんとなく移っている写真でした
気味悪がりながらもIくんはもう一回撮るようにT君にお願いしました

そして出てきた写真を見てT君は
「なんだあ、なんか変だ!」
といって私達のほうに駆け寄ってきてその写真を見せました

その内容はかなり凄惨なものでI君の手や顔はほとんど隠されるほどに数え切れないほどの黄色い手がI君の体に四方八方から絡んできて

さらにI君の体の黄色の手に絡まれていない部分(下半身)も鮮烈な赤色に染まっていました
I君はこれを見せられた後一つの事実を告白しました

その内容は次のようなものでした

「今日昼休みの後、印刷室でコピー気を回してる間、木箱をいじっていたらついに木箱があいたんですよ。だけど中からはぼろぼろの布袋が出てきてそれに“天皇ノタメ 名誉の死ヲタタエテ”って書いてました。開けてみたら大量に爪と髪の毛の束が出てきて不気味だから焼却炉に捨ててしまいました」

私達はすぐに、それをお寺に持っていって、その話をして写真を供養してもらえるように頼んだんですけどお寺の住職さんは

「あなたのしたことは、とても危険なことです。あなたがたの持ってきたその写真を供養しても霊の怒りは静まりません。その木箱を持っていらっしゃい。それを供養してあげれば中に閉じ込められていた魂も救われます。ぜひ持ってきてください」

と言って寺の住職さんは、ひとまず今日は帰るように促しました

しかし結局、I君と会うのはその日が最後になりました

次の日の朝I君が昨日の帰宅途中、自宅近くで自動車に衝突され、胴体が切断され下半身は炎上する車のタイヤに巻き込まれたままいっしょに焼け焦げ、上半身はそこから20メートルくらい離れたところにあり即死だったとのことです

その日、私とT君とYさんは彼の母親から、木箱を譲ってもらいそれを寺の住職さんのところに持っていきました

しかし寺の住職さんは
「この箱は怨念そのものです。それも、もはや人のものではなくなっています。この霊たちの怒りを静めるのは難しいです。供養して差し上げたいですが時間がかかりますがそれでもよろしいですか?」
といいました

I君が、たったの半日で命を落としたのを見ている私達は、それでは行けないと思い
自分達で読経を覚えることにしました

その年の12月、私達が霊の恐怖を忘れかけていた頃になってYさんが火事で亡くなりました
発火の原因はストーブの不完全燃焼だったらしいです
残された私とT君は気味が悪くなり会社に転勤を希望しました

事が起きたこの地を離れれば霊たちも私達のことを追って来れないのではないかと思ったからです

考えたくありませんがすでにどちらかが憑かれている可能性もあるのでお互いの了解で、別々の場所に転勤させてもらうことにしました

しかしその考えは甘かったとあとから思い知らされることになしました
それから9年が経過しました

まさに悪夢のような9年間でした

T君は転勤後2年目にして結婚
その後一人目の子供が生まれて半月で肺炎で亡くなり、二人目の子供も流産で亡くなりました
それと同じに二度にわたる流産でT君の妻も体を悪くし死に至る重い病気をわずらいました
そして6年目の秋に亡くなったといいます

T君も精神的に参っていたのでしょう
翌年の春に会社の屋上から飛び降りをしてしまいました

それから2年がたち現在に至ります

このごろになって頻繁に激しい動悸に見まわれるようになりました

さらに夢に先に逝った3人が出てくることも度々ありました
私はこの先どうなるのかわかりません
今の持病の動悸も恐怖によるストレスからくる一時的なものでありたいと思います

−終わり−

箱とは何か大切なものを仕舞っておく為のものですから

古い箱を無闇に開けようとするのは…

“ことり箱”“いろは箱”も同じですね

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