●怖い噺 壱


□くぼみ
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深夜就寝中

1Kの部屋に住んでいた俺は、ベッドを窓際に置いていた。ベッドの頭の位置からは、キッチンの廊下越しに玄関が見える。その廊下と部屋をしきる、磨りガラスが真ん中に付いたドアが一つ。そんな部屋構成だった

どうしても、部屋を真っ暗にしてからでないと寝られない俺は、暗闇の中で、ふと自分の躰が動かなくなっていることに気付いた
(やばいなぁ・・・金縛りかなぁ・・・)
霊に対する「居る」「居ない」という議論に中立を守る俺は、結構冷静に自分の状態を分析していた

天井に向かって仰向けのまま、全身が動かなくなっている。意識はあるのだが、四肢すら動かすことが出来ない。それがずっと全身に渡って続く感じ

廊下のドアの外に、誰かが居る

ジッと息を殺して、ロングコートで顔の見えない女が廊下に立っている

何故か、扉の向こうに立っている筈なのに、容姿までが分かってしまっている。それに、どうして女性だと判断できたのか?
部屋の電気は消えているので、女どころか、自分の部屋の壁すら見えない筈だ。未だに分からないが、その時は瞬時にして理解していた。女が立っている

相変わらず躰は動かない。女がドアの外に居ることの恐怖感よりも、この状況に変化が起きないことの方が怖かった。おそらく、あの磨りガラスには姿らしき影が映っているはずだ。微妙に揺れながら。こちらへ入ってこようとしているのか。それとも、別の意志か

変化の起きない状況に、自分の精神が圧迫され、心臓の鼓動がゆっくりと高まっていくのに気付く。荒い息づかい。その呼吸は、果たして自分のモノか、女のモノか

耳の内側に、最大の音量で迫ってきた自分の心臓の鼓動が、ピークに達したとき。自分のベッドの上で上半身を起こして目が覚めた

耳の中の鼓動が、徐々に小さくなっていく。 呼吸が荒い。寝汗が酷い。全身がビッショリだ。着替えたい。相変わらず暗闇だ。女の気配はない。この部屋には一人だ
「夢か・・・」
声に出して言ったのは、そうであって欲しかったからという希望と、
現実に帰ってきたことを実感したかったから

いつものように慣れた手で蛍光灯の紐を引き、明かりを付ける。磨りガラスには何も写っていない

ホッとしている自分を感じながら、着ていたTシャツを脱ぎ、再び布団の中へと戻る

今度は、(夢と思っても)恐怖から部屋の明かりは消さず、そのまま寝ることに…消しておけばよかった

心地よい眠りと共にやってくる休息に、精神も和らぎかけた頃。ゆっくりと、しかし確実に寄ってくる「波」がジワジワと俺の周りを囲むように

俺の周りの空気だけ、一瞬にして凝縮したかと思うと、一気に迫ってきた。再びウトウトしてきた俺は、またしても金縛りにあったのだ。(また夢なのか?!)
叫びたいのに叫ぶことも出来ず、躰を捩らせることすら出来無い事に苛立ち、時間を置かずにパニックになっていく。すると、部屋の以上に突然気付いた

まただ、居る

顔を横に向けることが出来ない。でも、「居る」のは分かる。しかも、今度はドアがほんの少しだけ開いている

叫びたい。助けを呼びたい。必死になろうとすればするほど、躰が動かない。俺は動かない。部屋の中でも動くモノはない

ただ、ドアが開いているだけだ。ほんの少し

声は出せない。そして、居るんだ。そこに
ドアの向こうに明かりを付けたから、今度は分かる。磨りガラスの向こうで、ゆっくりと何かが揺れている

目が覚めた

明かりの点いた部屋を見る。ドアは開いていない。磨りガラスにも何も写っていない

部屋を出て行こうとした時、自分の躰に起きた異常に、精神が凍り付く。躰が動かない

気付いたら、寝ていた

部屋にいた。明かりの点いた部屋で、俺は寝ている。ドアの外にいる女が、今度はさっき開いていたドアが、更に少し開いている

目が覚めた。ドアは開いていない。女もいない

それが何度も繰り返され、夢なのか現実なのか区別も付かないまま、とうとうドアは全開になった。居る。もう見える

部屋の中に入らず、ジッと俺のことを見ているように立ち尽くしている女が、くすんだオレンジ色のロングコート、目深に立てた襟のせいで、顔が見えない

何故か、女の全身はまるで豪雨の中を歩いてきたかのように、びしょ濡れだ。廊下に水が滴っている。その水滴は玄関から続いているようだった。玄関の鍵はかかっている。なのに、どうして玄関から水滴が続いているのか?

恐ろしい考えに辿り着く前に、目が覚めた。女は居ない。ドアも閉まっている。でも、躰がまだ動かない

気付いたら部屋だ。また俺は寝ている。女が居る。大声を上げたかった。でも声は出せない恐ろしい事が起きていた

女が、ほんの少し、部屋の中に入ってきていて、立ち尽くしていたのだ。じっと動かない。垂れている水滴も、部屋の中まで来ている

覚悟した。恐らく、夢と現実を繰り返しながら、女は近寄ってくるのだろう俺の側まで

推測は当たり、徐々に女は近づいてきていた。動くのは躰から垂れる水滴ばかり。手足も一切動かないのに、夢と現実を行き来しながら、女は近づいてくる

目が覚めればドアは閉じていて、誰も居ない。気が付けば、ドアは開いて女が居るそれの繰り返し。しかし、無限の繰り返しではなさそうだ。何故なら、近づいてきているからだ。俺の側に

そしてとうとう、女は俺のベッドの側まで来ていた。俺を見下ろしているのだろうが、顔がよく見えない。呼吸をしているのかすら分からない

変に覚悟を決めていた俺は、「さぁ殺せ」くらいの勢いだったと思う

女の顔は見えない。しかし、俺を見つめている気がする。滴る水滴。静かな衝撃が俺を襲った

今の状況が夢なのか現実なのか判断できない俺にとって、もうどうでもいい衝撃だった

目が覚めた

部屋の明かりは「消えて」いた。Tシャツも「着て」いた

全てが夢だったのか? 躰も動く!

部屋の照明を「また」点け、ドアを見る。やっぱり開いていない

「夢だよ夢」
現実をたっぷりと味わうように、わざと大きめの声で言った

汗で濡れたTシャツを「再び」脱ぎ捨て、ベッドの下に放る。ベチャッという音と共に、床に張り付いた。深呼吸をして、さぁ、寝るかと心を安らかにして

…うふふ

瞬時にして走る背筋の悪寒、誰だ頭の上でくぐもった笑い方をするのは?

天井を見上げた俺は、恐らく一生涯忘れることの出来ない女の目と遭遇する。あのロングコートの女は居たのだ…まだ

天井に膝を抱えた体勢で張り付き、俺をずっと見下ろしていたのだ

凍り付いた。全てが終わった。全てが終わった。そう思ったとき、確かに女の口は耳端まで裂けた。笑ったのだ。そして、膝を抱えていた両手を拡げ、全身を大の字に開いて、俺の上に

早朝目覚めの時

降ってきた女に精神が耐えきれず、気を失ったらしい。しかし、何も起きていなかったようだ。ドアは閉まっているし、照明も寝る前に消したままだ。汗で濡れたTシャツだけは、寝ている間に脱いだのだろう、床に放ってある

ゆっくりと起こした上半身を捻りながら、異常がないことを確認する。たっぷりと二分は見回した後、安堵のため息をついた。なんだったんだ、いったい… 何もかもが分からないことだらけ。それでも、朝を迎えることが出来た

…夢として割り切ったほうが良いんだろうと、本能は伝えていた。そして、カラカラに乾いた喉を潤すため、ベッドの中から出ようと布団を掴んだときだった

初めて、大声で叫んだ。何故なら

布団の上に、両手足を拡げた人型の「くぼみ」が出来ていたからだ

−終わり−

布団だから「くぼみ」で済んだけれどベッドだったら…砕けていたり…
もしスプリングベッドだったら…想像してみて下さい

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