●怖い噺 参


□マネキン
1ページ/1ページ


私には霊感がありません
ですから幽霊の姿を見たことはないし声を聞いたこともありません
それでもものすごく怖い思いをたった一度だけ中学生の時に体験しました
その話を聞いていただきたいと思います
 
14歳のころ父を亡くした私は母の実家に引っ越すことになりました母方の祖父はとうに亡くなっていたので祖母、母、私の女3人だけの暮らしとなります

私は親が死んだショックから立ち直れないまま新しい環境に早急に馴染まなくてはいけませんでした。不安はあったのですが私の身の上に同情してか転校先の級友も優しく接してくれました

特にSという女の子は転校してきたばかりの私に大変親切にしてくれ教科書を見せてくれたり話相手になってくれたりしました

彼女と親友になった私は自然に周囲に心を開いてゆき2ヶ月もたつころにはみんなでふざけあったり楽しく笑いあったりもできるようになりました

さてそのクラスにはFという可愛らしい女の子がいました。私は彼女に何となく心惹かれていました。もちろん変な意味ではなく女の子が見ても可愛いなと思えるような小柄できゃしゃな感じの子だったので同性として好意を持っていたのです

好かれようとしていると効果はあるもので、席替えで同じ班になったことからだんだん話すようになり彼女が母子家庭であることがわかって余計に親しくするようになりました

もっともFの場合は死に別れたのではなくて父親が別の女性と逃げたとかそういうことだったように聞きました。彼女も女だけで生活しているということを知ったときこの子と友達になってよかったなと心底思いました

ただそれも彼女の家に遊びにいくまでの短い間でしたが…

その日私が何故Fの家を訪ねることになったのか私は覚えていません。ずいぶん昔の話だからというのもありますがそれよりも彼女の家で見たものがあまりに強い印象を残したのでそういった些細なことがあやふやになっているのでしょう

その時Sもいました
それまでもSはFのことをあまり好いておらず私が彼女と仲良くすることを好ましくは思っていないようでした。それなのに何で彼女がついて来たのか私には思い出せません。しかしとにかく学校の帰り家が全然別の方向なのにもかかわらず私とSは何かの用事でFの家に寄ったのでした

彼女の家は正直古さの目立つ平屋で木造の壁板は反り返り庭はほとんどなく隣家との間が50センチもないような狭苦しい場所にありました

私はちょっと驚きましたがおばあちゃんの家も年季は入っていますし家計が苦しいのはしょうがないだろうと思って自分を恥ずかしく思いました

「おかあさん」
Fが呼ぶと少ししわは目立つものの奥からにこやかな顔をしたきれいなおばさんが出てきて私とSにこちらが恐縮するほどの深々としたおじぎをしました。洗濯物をとりこんでいたらしく手にタオルや下着を下げていました

「お飲み物もっていってあげる」

随分と楽しそうに言うのは家に遊びに来る娘の友達が少ないからかもしれないと私は思いました

実際Fも「家にはあんまり人は呼ばない」と言ってましたから

もしFの部屋があんまり女の子らしくなくても驚くまいと私は自分に命じました。そんなことで優越感を持ってしまうのは嫌だったからです。しかし彼女の部屋の戸が開いたとき目にとびこんできたのは予想もつかないものでした

Fがきれいだということはお話ししましたがそのぶんやはりお洒落には気を使っているということです。明るい色のカーテンが下がり机の上にぬいぐるみが座っているなど予想以上に女の子らしい部屋でした

たった一点を除いては…部屋の隅に立っていてこっちを見ていたもの…マネキン

それは間違いなく男のマネキンでした。その姿は今でも忘れられません。両手を曲げて縮めWのかたちにしてこちらをまっすぐ見つめているようでした。マネキンの例にもれず顔はとても整っているのですがそのぶんだけその視線がよけい生気のないうつろなものに見えました

マネキンは真っ赤なトレーナーを着、帽子を被っていました。不謹慎ですがさっきみたおばさんが身につけていたものよりよほど上等なもののように思えました

「これ…」
Sと私は唖然としてFを見ましたが彼女は別段意外なふうでもなくマネキンに近寄ると帽子の角度をちょっと触って調節しました。その手つきを見ていて私は鳥肌が立ちました

「かっこいいでしょう」
Fが言いましたが何だか抑揚のない口調でした。その大して嬉しそうでもない言い方がよけいにぞっと感じました

「ようこそいらっしゃい」
といいながらトレーにケーキと紅茶を乗せたおばさんが入ってきて空気が救われた感じになりました。私と同じく場をもてあましていたのでしょうSが手を伸ばしお皿を座卓の上に並べました

私も手伝おうとしたのですがお皿が全部で4つありました。あれおばさんも食べるのかなと思いふと手が止まりました。その時おばさんがケーキと紅茶のお皿を取るとにこにこと笑ったままFの机の上におきました
 
それはマネキンのすぐそばでした

とんでもないところに来たと私は思いました

服の中を自分ではっきりそれとわかる冷たい汗が流れ続け止まりませんでした。Fはじっとマネキンのそばに置かれた紅茶の方を凝視していました

こちらからは彼女の髪の毛しか見えません

しかし突然前を向いて何事もなかったかのようにフォークでケーキをつつきお砂糖つぼを私たちに回してきました

私はよほどマネキンについて聞こうと思いました。彼女たちはあれを人間扱いしているようです。しかもケーキを出したり、服を着せたりと上等な扱いようです

ですがFもおばさんもマネキンに話しかけたりはしていません

彼女たちはあれを何だと思っているのだろう?と考えました。マネキンの扱いでは断じてありません。しかし完全に人だと思って、思い込んでいるのだとしたら「彼」とか「あの人」とか呼んで私たちに説明するとかしそうなものです

でもそうはしない。そのどっちともとれない中途半端な感じがひどく私を不快にさせました。私がマネキンのことについて尋ねたらFは何と答えるだろう。どういう返事が返ってきても私は叫びだしてしまいそうな予感がしました。どう考えても普通じゃない

何か話題を探しました。部屋の隅に鳥かごがありました。マネキンのこと以外なら何でもいい。普通の学校で見るようなFを見さえすれば安心できるような気がしました

「トリ、飼ってるの?」
「いなくなっちゃった」
「そう…かわいそうね」
「いらなくなったから」

まるで無機質な言い方でした。飼っていた鳥に対する愛着などみじんも感じられない

もう出たいと思いました。帰りたい帰りたい。ここはやばい。長くいたらおかしくなってしまう

その時「トイレどこかな?」とSが立ち上がりました「廊下の向こう、外でてすぐ」とFが答えるとSはそそくさと出ていってしまいました

そのとき正直私は彼女を呪いました。私はずっと下を向いたままでした。もうたとえ何を話してもFと意思の疎通は無理だろうということを確信していました

ぱたぱたと足音がするまでとても長い時間がすぎたように思いましたが実際にはほんの数分だったでしょう。Sが顔を出して「ごめん、帰ろう」と私に言いました

Sの顔は青ざめていました。Fの方には絶対に目を向けようとしないのでした。「そう、おかえりなさい」とFは言いました。そのずれた言い方に卒倒しそうでした

Sが私の手をぐいぐい引っ張って外に連れ出そうとします。私はそれでもまだ形だけでもおばさんにおいとまを言っておくべきだと思っていました

顔を合わせる勇気はありませんでしたが、奥に声をかけようとしたのです。Fの部屋の向こうにあるふすまが20センチほど開いていました「すいません失礼します」よく声が出たものです

その時隙間から手が伸びてきてピシャッ!といきおいよくふすまが閉じられました。私たちは逃げるようにFの家を出ていきました

帰り道私たちは夢中で自転車をこぎ続けました。Sが終始私の前を走り1メートルでも遠くへいきたいとでもいうかのように何も喋らないまま自分たちのいつもの帰り道まで戻っていきました

やっと安心できると思える場所につくと私たちは飲み物を買って一心不乱にのどの渇きをいやしました

「もう付き合うのはやめろ」とSが言いました。それは言われるまでもないことでした

「あの家、やばい。Fもやばい。でもおばさんがおかしい。あれは完全に…」
「おばさん?」
トイレに行った時のことをS子は話しました

SがFの部屋を出たとき隣のふすまは開いていました。彼女は何気なしに通りすぎようとしてその部屋の中を見てしまったそうです
 
マネキンの腕。腕が畳の上に4本も5本もごろごろ転がっていたそうです。そして傍らで座布団に座ったおばさんがその腕の一本を狂ったように嘗めていたのです
 
Sは震えながら用を足し帰りにおそるおそるふすまの前を通りました。ちらと目をやるとこちらをじっと凝視しているおばさんと目が合ってしまいました

つい先刻の笑顔はそのかけらもなくて目が完全にすわっています。マネキンの腕があったところにはたたんだ洗濯物が積まれてありました。その中に男もののパンツが混じっていました

「マ、マネキンは・・・?」

Sはついそう言ってしまったと思ったのですがおばさんは何も言わないままSにむかってまたにっこりと笑顔を見せたのでした。彼女が慌てて私を連れ出したのはその直後のことでした

あまりにも不気味だったので私たちはFが喋って来ない限り彼女とは話をしなくなりました。そしてだんだん疎遠になっていきました。この話をみんなに広めようかと考えたのですがとうてい信じてくれるとは思えません

Fと親しい子にこの話をしても傍目からは私たちが彼女を孤立させようとしているとしか思われないに決まっています。特にSがFとあんまり仲がよくなかったことはみんな知っていますから…

Fの家にいったという子にこっそり話を聞いてみました。でも一様におかしなものは見ていないと言います。だから余計に私たちに状況は不利だったのです

ただ一人だけこれは男の子ですが、そういえば妙な体験をしたという子がいました

Fの家に言ってベルを押したが誰も出てこない。あらかじめ連絡してあるはずなのにと困ったがとにかく待つことにした

もしかして奥にいて聞こえないのかと思って戸に手をかけたらガラガラと開く。そこで彼は中を覗き込んだ。

ふすまが開いていて(Sが見た部屋がどうかはわかりません)部屋の様子が見えた
浴衣を着た男の背中が見えた

向こうに向いてあぐらをかいている
音声は聞こえないがテレビでもついているのだろう背中にブラウン管かららしい青い光がさしてときおり点滅している。だが何度呼びかけても男は振り返りもしないどころか身動き一つしない…気味が悪くなったのでそのまま家に帰った

Fの家に男はいないはずです。たとえ親戚やおばさんの知り合いであったところでテレビに背中をむけてじっと何をしていたのでしょう?それとも男のパンツは彼のだったのでしょうか

もしかしてそれはマネキンではないかと私は思いました。しかしあぐらをかいているマネキンなどいったいあるものでしょうか。もしあったとすればFの部屋にあったのとは別のものだということになります

あの家にはもっと他に何体もマネキンがある? 私はこれ以上考えるのはやめにしました

あれから14年がたったので今では少し冷静に振り返ることができます。私は時折、地元とはまったく関係ない所でこの話をします

いったいあれが何だったのかは正直今でもわかりません。もしFたちがあれを内緒にしておきたかったとして仲の良かった私だけならまだしもなぜSにも見せたのかどう考えても納得のいく答が出ないように思うのです

そういえば腕をWの形にしているマネキンも見たことがありません。それでは服は着せられないではないですか。しかしあの赤い服はマネキンの身体にピッタリと合っていました
まるで自分で着たとでもいうふうに…

これが私の体験のすべてです

あのマネキンの家がどうなったかはわたしも知りません。母親が再婚して別の家に移ってしまったので…

心霊話じゃなくてあんまり恐くないかもしれませんけどあの時ほど恐くなったことはありませんでした

−終わり−

僕はよく「マネキンが歩いてるみたいで気味が悪い」と言われます
もう慣れたけど

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ