永遠の物語

□歌を(詩を)紡ぐ君の、その唇に口付けて
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「後、一月…か…」

「卒業まで?」

「あぁ」

「監督生で首席な人は大変そうね」

「なら是非とも助力をお願いするよ」




マリアを僕の足の間に座らせて、そのマリアに後ろから抱き締めるように回している腕の力を僅かに強める。
そんな僕の些細な非難にマリアはクスクスと可笑しそうに笑みを零した。
この体勢に初めは驚きからか混乱からか、抵抗を示したマリアだったが、直ぐにそれもなくなり、今はお互いがお互いの体温を感じている。

あまりにも穏やか過ぎる時間。
あまりにも平和過ぎる空間。

僕にはとても似合わないそれを、こうしてマリアと共に享受しながら これも後一月かと思い至る。
思わず呟いたその思いは、至近距離にいるマリアの耳に当然届き、マリアは首を傾げて座っていても頭1つ分程高い僕の顔を見上げてきた。
そんなマリアに冗談半分、半分本気で助力を頼めば、「ファンの方々が怖いので遠慮しておきます」 と苦笑混じりの返答が返ってきて、分かっていた答えとはいえ、少し残念に思うのは仕方ない。
最近の僕は本当に忙しく、ここに来る暇さえないのだから。




「でも珍しいね?
リドルが弱音を吐くなんて…」

「休む暇さえないんだ。
流石の僕も本当に参っているんだよ」

「大丈夫?」

「心配するなら手伝ってよ」

「うん、分かってる」

「え?」

「私が出来ることなら手伝うよ」




先程と正反対の言葉に目を瞠った。
思わずマリアを凝視すれば、僕を見上げるマリアの真剣な瞳に嘘は無いと分かり、未だに掴みきれないマリアに頭を抱えたくなった。




「…さっきと言っている事、正反対なんだけど…」

「ファンの子達にバレなければいいんだよ」

「…君らしいや…」




あまりにマリアらしいその意見に小さく苦笑すれば それが不満なのか不服そうな目で軽くこちらを睨んできた。
そんなマリアを、今度は微笑ましく思えてくる。




(嗚呼…、本当に…こんなにも溺れてる…)
「じゃあ期待してもいいのかな?」

「えぇ、勿論」




晴れやかに笑ったマリアに僕も笑みを返す。
この一瞬が、永遠になって欲しい。




「あ、ねぇリドル」

「ん? なんだい?」




そんな事を柄にもなく願っていれば、マリアは今思い出したかのように声を上げた。
それに僕が首を傾げればマリアは僕の頬に両手を添え、じっと僕の瞳を見つめてきた。




「マリア…?」




突然の彼女のその行動に首を傾げればマリアは 「ジッとして」 と小さく諫め、ゆっくりと、薄紅色の唇を動かした。
そして…

聞き慣れない詩<ウタ>を紡ぐ…。








瞳に映るは幻
肌に触れるは現つ

清廉の徒 春の精
紅き雫石 永遠<トワ>の咎
無知の白 終わりゆく華

醜美なる花<カ>墜ちて舞
時と召しなりて誘する

罪深き滋喩<ジユ>の白纏いて
焔<ホムラ>に濡れたる高潔

名を…





































さ く ら

















直後、




「なっ!?」




微笑んで距離をとったマリアの背後に見えたのは…。




「は…な…?」




屋上を埋め尽くす程に咲き誇る、薄紅を携えた樹海だった。




「これは…」

「桜」

「さ…くら?」

「日本で最も愛でられている花だよ」

「へぇ…」




止まらずに散り、そして宙を舞う花弁に手を伸ばす。
ふわり、と粉雪のように僕の掌に落ちてきたそれは、淡いピンクに色付いていた。




「桜は春に咲き、春の終わりと共に散る“終わり”と“始まり”の花…」

「…どういう意味?」

「春は命の芽吹く時。
始まりの季節。
そして桜は春の花…。
始まりに寄り添い、始まりの終わりと共に散る…。
それにね、日本のスクールは春で終わりと始まりを迎える。
入学も、卒業も」

「成る程ね…」




初めてみる桜に、興味をそそられ注意深く観察していれば、マリアから告げられた情報に更に興味を抱く。




「終わりと…始まり……か…」




僕の掌の上にある、こんな冴えない花にそんな大層な価値があるのかとも思うが、視線を上げた先、空間を覆い尽くす花々が、吹雪のように舞落ちる圧巻の様子には、それとなく説得力があった。




「…………桜はね、満開を美しいと言う人もいるけど、散る様子が最も綺麗と言う人もいるの」

「…下らないな」




マリアの意見に異を述べる。
確かに美しいとは思う。
これが有終の美だと言うのならば悪くないとも…。
けれど。




「僕は終わりを認めない」




死からの飛翔…ヴォルデモート…。
僕は終わりに、“死”に屈するつもりなどない。




「…………“リドル”らしいね」

「え?」

「何でもないよ。
あっ、ねぇもう一度私の目を見て」




グッと、至近距離に近付いてきたマリアの顔に僕は一瞬、息を飲むも直ぐ様溜め息として吐き出された。
何故彼女はこうも無防備なのか頭が痛む。
そんな僕の心境など露も知らないマリアは再び僕の頬に手を添え、瞳を真っ直ぐ見つめながら“言葉”を“詩う”。




白亜の矢 朧の徒
闇欠けし喪のの悠久の光
満たされし鏡<キョウ>
光を写し闇の鏡
瞳に映る常夜の光<コウ>
禍<カ>を満たす


「………素晴らしいね。
これもさっきのも言霊なのかい?」

「ええ、“言葉”で現実に影響を与える魔法」

「本物と見紛うよ」




僕の見上げる視界に広がる夜空に浮かぶ満月。
マリアの言葉に合わせ、青く澄んでいた空が闇に包まれると同時に現れたそれは、現実では有り得ない程に美しく、巨大な姿をしており、いかにリアルであろうとも、その常識外な大きさがこの目に映るその月が幻であると告げている。
ならば…。




「ねぇマリア。
あの月は幻なのに、この桜は本物なのかい?」




触れる事の出来るこれが幻とは思えない。
しかし視界一面に広がるこの桜の樹海は、いくらなんでも不自然だ。




「その桜も幻だよ。
ただ、リドルが“触れる”って思ったから触れるだけ。
これを幻だと認識して、触れられないと信じれば、この花弁は簡単に身体を擦り抜けるよ」




空中を穏やかに飛び交う無数の花弁のうち、近場に舞ってきた花弁にマリアはスッと手を翳す。
するとその花弁は意図も容易くマリアの手を擦り抜け、床へと落ちた。
それに目を瞠る僕に 「ほらね」 とマリアは嬉しそうに笑う。




「私が扱えるようになった言霊は大きく分けて二種類。
時空間…、つまり体外に作用する“時空系”と、脳や神経系に直接作用する“干渉系”。
時空系はまだ殆ど出来る事がないんだけど、干渉系は少しは扱えるようになってね。
この桜の感触と月もその干渉系」

「視覚、触覚の五感系に作用しているって訳か」

「そう、“言葉”によって聴覚に作用し、そこから現実と錯覚する幻を視覚が認知する。
するとそれを現実と認識した脳は触覚にまで影響を及ぼす。
聴覚からの連鎖によって、身体が勝手に影響を受ける。
だから一度それを幻だと認識すれば」

「成る程、こうなるって訳ね…」




意識した途端、スルリと何の感触も無しに僕の掌を通り抜けた花弁。
それに僕はゆるりと口角をあげた。




「興味深いね、けれど僕は桜を見た事はないよ。
なのに何故、僕とマリアは同じ花を視界で共有できるのさ?」

「それを成し得ている所以こそ時空系の特徴だよ。
時空には必ず全ての痕跡がある。
この桜もそう。
世界は全てが繋がっている。
私達の吸うこの空気も、水も、大地も…ね。
だからそれを利用して、風に遺されている桜の痕跡を引き出したの。
つまりこの桜は、ずっと遥か東方に咲いていた桜の香と、私が図鑑で記憶していた桜の姿形を合わせて作った時空系と干渉系の応用」

「…君の記憶にある桜の姿を体外の空間に反映し、それに風に残る香りを足して 最後に僕の神経系に干渉する事によって本物のように造り上げた…」

「そうだよ」

「全く、本当に君は素晴らしいよ…」




これにどれ程の価値があるのか、マリアも理解していない訳ではないだろう。
空間系にどれ程の可能性があるかはまだ計り知れないが、干渉系だけでも十分な使い道がある。




「マリア、例えばこの桜の樹海を全て業火に変えたら…」

「それをリドルが本物と認識すればあっという間にリドルは焼死体になれるよ」

「それは困るね」




炎に焼かれていると脳が思い込めば、脳は炎の触れた箇所に熱を感じると思い込み、痛覚を刺激する。
そしてその箇所の体温を急激に上げてしまい肌は勝手に焼け爛れ、死ぬと思い込めば死に至る。
相手に認識さえさせればいい。
そうすれば勝手に自滅してくれる。
本当に素晴らしいよマリア…。




「ねぇマリア。
時空系には痕跡を引き出す以外にも何が出来るんだい?
さっきの君の言葉だと、言霊の使用者の認識を空間に反映も出来るんだろう?
それに痕跡を引き出した桜の香りは本物だよね?
ということは、桜本体を現実的に引き出すこともかの…――――」

「月が、綺麗だね…」

「は?」

「月が綺麗ですね、リドル…」




詳しく聞き出そうとマリアに興奮気味に詰め寄った僕だけれど、マリアの意表を突かれる台詞に間の抜けた声を上げてしまった。
何故、このタイミングで月の話をしたいのか理解出来ない。




「ああ…、確かにあの月は綺麗だけどそうじゃなくって!」

「日本のね、文学はとても興味深いの。
今の言葉も、とある英語を誤って訳した誤訳で…―――」

「マリア、その話は後で聞くから今は…――――」

「夏目漱石って日本人が訳したそうなんだけどね、その人、中々ロマンチストだと思うの」

「………」




何を言っても無駄だ。
そう判断した僕は嘆息する。
今は言霊について聞きたいのだが、マリアはどうしてもその夏目漱石とやらの話がしたいらしい。




「はぁ…、それで?
そのとある英語とはなんだい」

「I LOVE YOU」

「は?」

「“貴方が好きです”…それが正しい訳だよ」




にっこりと笑って告げられた言葉に呆気にとられる。
一体何をどう訳したら月が綺麗だ等と訳せるのか…。




「…………東洋の神秘だね…」

「ふふっ、そうだね!」




なんだか疲れてきたように思えて、再び溜め息を吐いて嫌味を言ってみる。
それに楽しそうに笑みを零したマリアに、今度は何だか力が抜けた。




「はぁ…、で。
マリアはそれを僕に伝えて何が言いたいのさ?」

「言霊を知りたければ、まず日本語を知りなさい!…かな?」




クスクスと笑うマリアに再び脱力。
本当に君には適わない。




「マリア…」

「ん?」

「“月が綺麗だね”」

「うん、“月が綺麗だね”リドル」




ギュッとマリアを抱き締めて囁く。
その囁きを受けて朗らかに微笑んだマリアは、僕に同じ言葉を返してきた。

それが、理性の枷を外した。














































柔らかい感触。
甘味等ないにも関わらず、
甘いと錯覚してしまう味覚。


ただ、触れ合うだけの幼いキス。
たった一瞬だけの接触。


















ゆっくりと離れた後、

月光に照らされた桜の樹海で、

見つめあう…。






































黒曜石に映る自身の瞳がこの瞬間だけ紅く輝き、マリアを捉え…




















再び、触れる…――――。




































































タイム・リミットまで、


 あと、一月……―――――。


































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