人に歴史あり
□2.里にて
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いつの頃からか、里で流れ始めた噂があった。
近隣の戦場跡に「鬼」が出るという。
ただの噂であろう、と初めはたいして気にも留めていなかったのだが、どういうわけか、実際にその「鬼」に遭遇したと言い出す者が後を絶たない。
ほとんどの場合、出所のはっきりしない噂であれば適当な広がりを見せたところでネタとしての新鮮味を失い、収束に向かうのが常なのだが、その「鬼」に関する噂は常とは違いいつまでたっても消える気配を見せず…やがてそれは人々の間で「噂」ではなく「事実」として定着していった。
折りしも、時は戦時中。軍からはぐれた天人でも住み着いてしまったのだろうか?
「民間人には危害を加えない」という協定があるとは言え、もしそうであれば、まったく危険がないとは言えない。天人の中には血を好み、無差別に殺戮を楽しむような残忍な種族もあると聞く。
「鬼」の存在が確かなものとして信じられるようになると、当然のようにそれを狩ろうという動きが出てきた。生活圏の安全を確保しようと考えるのは致し方のないことなのだが。
多少なり腕の立つ侍は皆攘夷戦争に身を投じているご時勢のこと。噂を聞きつけてやって来て「俺が狩ってやる」と豪語する者の大半は、チンピラに毛が生えたような者たちだったが、それでも「鬼」に怯える里人たちはありがたがっていたようだ。
そうして幾人もの「狩人」が我こそは、と乗り込んでいったようだが、一向に決着がつかない。
少し…気になる点があり、松陽は「鬼」に挑んで戻ってきた者たちにそれとなく話を聞くようになった。
「噂」ではもう何人も「食われ」ている、ということになっていたが、実際に話を聞いてみれば。
今まで死に至らしめられた者はいないようで…しかも、皆一様に「仕留め切れずに取り逃した」「手強い奴だった」と語るわりには、負わされたという傷も軽いものばかりの様子。
本当に「人喰い鬼」やら「凶暴な天人」だとすれば…おかしくはないだろうか…?
中でも、その者たちが「鬼」と呼んでいるものの外見的な特徴が…どうにも引っ掛かってならない。
語られる言葉の中から「怖ろしげな」だの「化け物じみた」だのといった、見た者の主観としての要素を取り払ってみれば。
残るのはただ、「見たこともない色の髪をした」「子ども」ということになる…。
そうして根気良く情報を集めた結果。松陽の中に、ある一つの仮説が形を成そうとしていた…。
* * *
「先生!先生は鬼を退治しに行かれないのですか?先生なら鬼だってやっつけられると思うんですが…!」
ちょうどそんな頃。そう聞いてきたのは松陽が開いている塾の生徒である。名は桂小太郎。
道場というほどのものではないが、塾では学問に加えて剣術も教えているので、そんなことを思いついたのだろう。
「そうですねぇ……“退治し”には行きませんが、そのうち“会いに”は行ってみようかと思っていますよ」
「えぇ?そんな…それじゃ危ないじゃないですか!」
「どうしてですか?」
「え…だって……鬼はものすごく強くて、人を喰うって聞きました。やっつけるつもりで行かないと、その…喰われちゃうんじゃ…」
「小太郎は刀を向けて斬りかかってきた者と話し合いを始めることが出来ますか?」
「は?えーと……それは無理です。だって、まずはその勝負を受けないと自分が斬られてしまいます」
「では、そうではなく話しかけてきた者となら?」
「それならもちろん……あ!」
聡い子だ。皆まで言わずとも…ちゃんと“自分で考えて”答えを導き出すことを知っている。
松陽が学んで欲しいと考えるものを、そうして着実に身につけていってくれていることを嬉しく思う。
言われたことをただ鵜呑みにするのではなく、自らの頭を使って考えること。
「考え」「選択し」「実行する」…それを繰り返すことで、いつか己の中に揺るぎ無い一つの道が出来る。
もしかしたら、それは間違っているかもしれない。
人に認めてもらえるようなものではないかもしれない。
それでも。
そうして見つけた、「自分だけの道」を歩んでいってほしい。
人生は1度きり。だからこそ。
他の誰でもない、「自分」が納得できる…そんな人生を。
それが、松陽が子どもたちに願う、ただひとつの望みである。
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