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□幸福ひとつ
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剣咬の虎はギルドの性質上、圧倒的に男の数が多い。それは仕方のないことであるし、今まではそれに何の不満もなかったのだが、こういった時、男が向ける視線がどのようなものなのかを思い知ったスティングは、自分が立案したプールを今すぐ取り壊したくてたまらなくなった。
「やっぱユキノさんだろ」
「あー分かる分かる」
「しかもビキニだもんなー」
「大人しそうな顔してあれはたまらねーよな」
「あの太ももがたまんねーわ」
「バッカ、そこは胸だろ胸!男ならまずそこ見とけよ!」
「いや、俺は腰のくびれが」
「おま、マニアックな」
「楽しそうだなーてめぇら」
まさに鶴の一声。男特有の猥談に盛り上がっていた連中も、地を這うようなその低音に口を噤む他なかった。
「げ」
「スティングさん!」
「マ、マスターも泳ぎにきたんすか!?」
「いやー、今日は絶好のプール日和ですね!」
慌てて取り繕うが時既に遅し。ただでさえ聴覚が人より発達しているスティングの耳は、先程の会話を余すことなく耳にしていた。ニッコリとその顔に笑みを貼り付け、傍らの男の肩をガッシリと掴む。
「てめぇら、今後一切ユキノのことをそんな目で見てみろ。どうなるか分かってんだろーな?」
「えーっと」
「それは約束できないというか…」
「自然と目に入るというか」
「視線が吸い寄せられるとゆーか…」
「……………もういい。てめぇらは今後一切プールの出入り禁止だ」
「出禁っすか!?」
「うっわマスター、職権乱用!」
「横暴!!」
「うるっせー!!」
収拾のつかなくなった事態に、黙ってことの成り行きを見守っていたローグが救いの手を差し伸べた。
「スティング、そのへんにしておけ」
その声に、キッと目尻を釣り上げて後ろを振り返る。
「何でだよ!!」
「……そこまで怒ることか?」
「怒るとこだろ!!」
思わずたじろんでしまったローグは、既に余計な口出しをしたことを後悔していた。それくらいスティングの怒りは鬼気迫るものがある。矛先がローグに向いたことで、男連中はそそくさとその場をあとにする。それに気付かないスティングでもないだろうに、その視線がローグから外れることはない。
「…オレが何かしたか?」
「何もしてない」
「なら、そう睨むな」
「何もしてねぇからムカつく」
理不尽だ。
「………お前はさ、ムカつかねーの?」
「そこまで怒れる道理がない」
「どうせオレは短気だよ」
「…そうは言っていないだろう」
手近な椅子に腰掛けて、スティングは不機嫌も隠さずプールで泳ぐユキノを睨むように眺めた。あれだ。あの水着が悪い。プールとはそういうものなのだが、濡れた肌が、髪が、余計に男達の視線を集めているように思う。腹がたつことこの上ない。
「お前は本当にユキノが好きだな」
「悪いかよ…」
・・・・・・。
「は?」
「んだよ」
「い、いや…」
言葉が詰まって出てこない。どうせ否定されるだろうと思って放った言葉は、予想に反し、直球で打ち返されてしまった。口ごもるローグに、スティングは少しだけ怒りを収める。
「…お前が、そんな風に素直に認めるとは思わなかった……」
「しょうがねーだろ。否定し続けるのも馬鹿らしいし」
「大人に……、なったな…」
しみじみ。
「…今すっげー馬鹿にしたろ」
「褒めている」
「それが馬鹿にしてるつってんだ!」
怒りを静めたいのか、それとも煽りたいのか。空気の読めないローグの発言に、スティングの眉間の皺が更に深く刻まれる。何より質が悪いのは、言っている本人が全くの無自覚であることだ。
「…言わないのか?」
「何を?」
「ユキノに、お前の気持ちを」
何を馬鹿な。
好きだと、その想いをきちんと自覚しているならば、その行為も間違いではないだろう。だが、スティングにはそうは思えなかった。
「……言えるかよ」
「何故だ」
「何でってそりゃあ…」
―――オレには、ユキノに好かれる要素なんて一つもない。
そう言おうとして、思わず口を噤む。自分の思考に反吐が出そうだった。気持ち悪い。オレはこんなにも情けない男であっただろうか。
「ユキノは……」
「私ですか?」
ピキリとその場の空気が固まる。いや、固まったのはスティング一人だ。
「ユキノ。プールはもういいのか?」
「はい。少しの間、休憩です」
「そうか」
動けないスティングに代わって、ローグがユキノの言葉に応える。それでも、ユキノの視線は気遣わしげにスティングへと向けられていた。
「スティング様。喧嘩でもされましたか?」
「は?」
「なんだか皆様、怯えているようですから」
「……子どもかオレは」
「え、す、すみませ、そんなつもりじゃ」
「子どもというよりはガキ大将だな」
「ローグ様…!」
「けっ」
それこそ、本当に子どもと言われても仕方のないふてくされ方をするスティングに、ユキノは困ったように視線を彷徨わせる。とうのローグは我関せず。元凶であるにも関わらずだ。
「スティングくーん!一緒に泳ぎましょー!!」
タイミングが良いのか悪いのか、レクターの大きな声がスティングを呼ぶ。レクターの誘いを、スティングが断るはずもなく。
「おー、今行くー!」
「あ…」
行ってしまう。
伸ばされた手がスティングの腕に触れようとしたところで、その手は不自然な位置で止まる。濡れた素肌にに直に触れることなど、ユキノの貞操観念が許さなかった。つまるところ“羞恥”が“自責”よりも勝ったのである。
「ん?」
だが、不自然に伸ばされた腕を気付かないスティングではない。
「あ、あの…」
真っ赤な、それこそ熟れたリンゴのように赤い顔で自分を見上げるユキノに、自然とスティングの頬も赤らむ。
「あの…、あの……」
何故、呼び止めてしまったのだろう。それさえも分からなくなる程に、ユキノは今この状況に緊張していた。スティングの表情が、瞳が、いつもと違う色をはらんでいるように感じるなんて。
(……どうかしている)
俯いて言葉を濁すユキノの肩に、ふわりと軽い感触が落ちる。
「え…」
「……泳がねーならそれでも羽織ってろ」
紺碧の大きなタオルが、ユキノの肩から腰までをすっぽりと覆い隠す。どこからともなく聞こえたのは、いくつもの落胆の溜め息だ。あまりにも数が多すぎて、睨む気にもなれない。先程に比べ、露出の減ったユキノの肌に満足げに頷いて、スティングはレクターの元へと駆け出した。
遠ざかるスティングの背中を見送り、借りたばかりのタオルで真っ赤な顔を覆い隠す。大切にされすぎている…、なんて、そんな風に自惚れる自分に少しだけ自己嫌悪。
「……ローグ様」
「ん?」
「スティング様は、私のことを何とおっしゃっていたのですか?」
「……オレに聞くのか、それを」
勘弁してくれと、その表情が訴える。
だって、きっとスティング様は答えてくれないだろうから。
「……不安なんだろう。お前が、変わらないから」
「…私は、変わっていませんか……?」
「ある意味では」
「…………」
不変であることが、必ずしも悪いこととは限らない。ただ。
「お前の優しさは、スティングには少しキツいのかもしれない」
―――その言葉に考え込むようにユキノは押し黙った。
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