short
□シャボン玉
1ページ/2ページ
ふわふわ、ふわふわ。細い管から生み出された虹色の玉が、浮かび上がっては空へと溶けていく。それを見上げる彼の瞳も、空と同じアイスブルーに染まっていた。
ギルドの裏手にある小さな庭。そこで見かけた彼の姿にユキノはひゅっと息を飲む。ちょうど木陰に位置する彼の体は、闇に包まれ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
声をかけてもいいものだろうか…。
だがユキノのそんな躊躇など気にした様子もなく、スティングはゆっくりと後ろを振り返った。まるで始めからそこにユキノが居ることを分かっていたかのように。
「……、あ…」
「よう」
初夏の日差しを思わせるスティングの笑顔に釣られて、ユキノもとろけるような笑顔で笑う。ほうっと、全身の力が抜けていくのが分かった。一片の拒絶も含まない彼の笑顔は、こんなにもユキノの心を暖かく溶かしてくれる。笑ってくれたことが嬉しくて、あまつさえ手招きなんてしてくれるものだから、ユキノは小走りで彼の元へ近付いた。
スティングからしてみれば、それはまるで餌に釣られた仔犬のよう。警戒心が一つもないのはいかがなものかと思わずにはいられない。
「何をしているんですか?」
「シャボン玉」
「しゃぼんだま?」
それは一体なんだろう?
ストローの先から生み出される“シャボン玉”は虹色の光を帯びて空へ空へと上っていく。その泡から連想出来るものがあるとすれば。
「……洗い物」
「は?」
「いえ、食器を洗っている時に、それに似た泡が出来るなぁと思いまして」
「ぶはっ!」
盛大に吹き出して、遠慮もなくクツクツと喉を震わせるスティングにユキノの頬が桃色に色付く。
「あの…、私、何か間違ったことを言いましたか?」
「い、いや、間違ってねぇ…。原理はそれとほとんど変わらねぇよ」
ひとしきり笑った後、スティングの手が無造作にユキノの頭を撫でる。繊細とは言えない彼の手付きは、すぐにユキノの髪をぐちゃぐちゃに乱してしまったけれど、ユキノはそれを気にした様子もなく笑って受け入れた。乱雑でいて、優しい彼の手がユキノは好きだ。
「これ、貰い物なんだけどよ……、んー、まあ…子どもの遊び道具みてぇなもんだ」
「遊び道具?」
自分で乱したユキノの髪を、指で梳いて直してやりながら、くわえたストローの先をゆらゆらと揺らす。指の隙間を零れ落ちるその感触がくすぐったくて、スティングはまたもクスリと笑った。
「魔法が発達した今じゃ、こんな物で遊ぶガキも居ねぇけどな」
「でも、綺麗です…」
スティングが息を吹きかければ、ストローの先から小さなシャボン玉がいくつも浮き上がる。先程、遠目に見た時は、自分なんかが踏み込んではいけないような神聖さを感じたというのに、こうして彼と共に見るシャボン玉は素直に綺麗だと思えた。
「洗剤の泡が?」
「…もう!スティング様!」
「はは、ごめんって」
よっぽどツボにハマったらしい。茶化すスティングに頬を膨らませて、小さな拳を振り上げる。まさか本気で当てるつもりはなかったが、振り下ろす前にその拳はスティングによって受け止められた。
「ほら、やるよ」
「ん」
無防備になった彼女の口に、ストローをひょいっとさし込む。反射的にそれをくわえたユキノは、先程スティングがそうしたようにフーッと息を吐き出した。だが、結果はまるで正反対。スティングの時は、いくつもの小さなシャボン玉がフワフワと空へ舞い上がったというのに、ユキノが作り出したシャボン玉は大きな大きな虹色の泡が一つだけ。それは浮き上がるでもなく地上へと落ちて、やがて草に当たって割れてしまった。
「割れてしまいました」
「そりゃあシャボン玉だし」
「…浮かばなかったです」
「あれだけ大ききゃ重力の方に従うもんだろ」
「そういうものなのですか?」
「そーゆーもん」
「・・・・・・・・。」
「……………なんで落ち込んでんの?」
「いえ…、うまくいかないなって」
「……何が?」
理解不能。
どうやら彼女は空へと舞い上がる小さなシャボン玉を望んでいるらしい。それを理解したスティングは、心の中で盛大な突っ込みをいれながら無知な彼女に頭を掻いた。
「…思いっきり吹いてみ」
「え?」
「ゆっくり吐くからさっきみたいのになるんだよ。思いっきり吹いてみろ」
無論、大きなシャボン玉が失敗作というわけではないが、その辺の認識を改めるのは面倒なのでスティングは要点だけを簡潔に纏めた。
言われた通り強く息を吐き出して、出来上がった小さなシャボン玉にユキノは感嘆の溜め息を吐く。そんなユキノの横顔を間近で見たスティングも、知らず頬が緩んだ。
―――穏やかな、優しい時間。初夏の風が、二人の頬を撫ぜるように通り過ぎていく。
「スティング様」
「んー?」
「仕事が溜まってましたよ。たくさん」
「……………おまえ、それ先に言ってくんね?」
「ふふ」
クスクスと、悪戯に笑うユキノに憮然と唇を尖らせることしか出来ない。怒る気にもなれないというのは、多分こういうこと。でもそれは、悪い意味なんかじゃなく。
「すみません。でも…、もう少しだけ」
その言葉に、ふっと口角が上がる。
この時間が、長く続けばいいと願っているのは、スティングも一緒。
もう少し、もう少しだけ。呪文のように繰り返す。
すっかり毒気を抜かれてしまった自分は、周りの目にどう映っていることだろうか。
「…今度、皆様も誘ってピクニックにでも行きませんか?」
「みんな?」
「はい。レクター様達です」
「たち?」
「ローグ様やフロッシュ様も」
「あいつ、昼間の外出嫌いだぜ?」
「楽しいですよ、きっと」
モヤモヤと胸を渦巻く得体の知れない感覚。それが嫉妬というものなのだろうと気が付いたのは、つい最近だ。面白くない。けれど、自分とユキノの関係には相応しくない感情だとも思う。捨て去るには育ちすぎていて、育むには少し勇気が足りない。
(……ま、いっか)
今は、まだ…―――。
こつんと、スティングの頭がユキノの肩に寄りかかる。
「ス、スティング様…!?」
「……寝る」
「え、あ、……はあ」
「シャボン玉…、終わったら起こせ」
「は、はい」
とく、とく、とく。
耳を澄まさずとも、聞こえてくる心音。平時より速く脈打つ鼓動が、ユキノの緊張を知らせてくれる。
(…終わったら起こせっつったのに)
シャボン玉を吹く様子もなく、それどころか身動ぎひとつせず固まってしまったユキノに、笑い出してしまいたい気分になる。
(長い1日に、なりそうだな……)
まだまだ続くだろうこの穏やかな時間と、今も溜まり続けているだろう仕事を想像して、そんなことを思った。
【END】