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□結婚前夜
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落ち着きがない。彼女をそう思ったのは多分これが初めて。

最初はまあ、微笑ましいなと思えるくらいの余裕はあった。だがそれが30分を超え1時間を越え2時間を超えると流石のスティングも顔を顰めずにはいられない。

「……ユキノ」
「は、はい!」
「お前もう寝れば?」
「眠れません」

こんな時ばかり即答か。

「……なんで」
「だって……、なんか不安です」
「…何が」
「何かやり残したことはないかなって…」
「ない。ないから寝ろ」
「あ、届けは…」
「署名も印鑑も不備無し。一昨日、イヤってほど確認したろ。あとは役所に届けるだけだ」
「でも、でもでも」

べそっかき。そんな単語が脳裏をちらついた。付き合ってから分かった事だがユキノの涙腺はなかなかに緩い。感受性が豊かと言えば聞こえはいいが、その涙を間近で見せられる此方としては堪ったものではない。詰まるところ自分は彼女の涙にほとほと弱いのだ。

「……泣くなよ?」
「泣きません!泣きません…、けど」
「結婚式で目ぇ腫らして入場なんて事態を避けたけりゃ泣くな。ついでに隈も作らねぇよう寝ろ。今すぐ寝ろ」
「もう!スティング様!」

バシバシと彼女の手がソファーの背もたれを叩く。微かな振動に揺られながら、こんな時でも怒りの矛先を自分に向けないユキノに呆れた。腹が立ったなら立ったで、どうしてその拳を自分に向けてくれないのか、こればかりはスティングはユキノを理解出来ずにいる。彼女のこの行為を言葉に例えるならそれは“遠慮”だろう。壁一枚を隔てて彼女は自分と共に居る。スティングはそう思い込んできたが、相棒ローグの言い分からするとそれはもうユキノの“性分”なのだと言う。相手がスティングであろうが誰であろうが変わらない、変えられない性格。―――だけどユキノは変わったではないか。よく笑うようになった。よく泣くようになった。よく怒るようになった。その確かな変化を見てきたスティングからすれば、ローグの言い分はいまいち納得できない部分がある。理解は勿論しているけれど……。

「……家族です」
「あ?」
「明日、私達は家族になるんですよ?落ち着いてなんていられません」
「いや…、でも別になんも変わんねーだろ?」

これまでだって一緒に暮らしてきた。特に何の問題も無く順調に。何をそんなに不安に思うことがあるのか。

思わずムッと眉を顰める。今なんかすっげー嫌な考えが頭を過ぎった。

「何?今更、結婚すんの嫌になった?」
「まさか!」

即座に返された否定の言葉に少なからず安堵する。それでもやはりユキノの様子はどこか落ち着きがない。

「私は、どうしてスティング様がそこまで落ち着いていられるのかが不思議なんですけど…」
「……は?」
「ほら、よく言うじゃないですか男の人って」
「…何を?」
「結婚は人生の墓場だって」
「あー……、あ?」

納得、しかけて更に首を振る。何がどうしてそうなった。

「ユキノは結婚が墓場だって思ってんの?」
「違います!ただスティング様のお気持ちになって考えてみただけで…」
「オレ、そんなこと思ったことねーし」

まあ確かにそういう話を小耳に挟んだことはあるけれど。

「つーかよ、それなら女の方がそうなんじゃねーの?」
「え?」
「ほら、よく言うじゃん。マリッジブルーとかなんとか」
「ああ……、ありますね。私はありませんでしたけど」
「嘘つけ」
「ええ?」
「今まさにそうだろ」

何を言ってるんだと言わんばかりに、ハシバミ色の瞳が大きく見開かれる。だがスティングからしてみればそう思うのも当然のことであった。彼女が不安を表に出せば出す程、スティングの自信は急激に萎む。

暫く呆然とスティングの顔を眺めていたユキノは、言葉の意味を噛み砕いて不満げにぷっと頬を膨らませた。時折見せる彼女の子どもらしい仕草が、スティングは好きだ。こういう顔をされるとついつい絆されてしまいそうになる。

「凄く心外です」
「……………」
「すごくすごく心外です」
「………………」
「すごくすごーく」
「あーもう分かったオレが悪かった!」

結局こうなるんだよな…。いやまあオレの言い種も悪かったかもしれないけど。

ガシガシと頭を掻きながら知らず溜め息を吐く。

「じゃあおまえ何が不満なんだよ…」
「スティング様との結婚に不満なんてありません」
「……ああそう」
「本当ですよ」
「分かったって」
「うそ。信じてないでしょう?」
「………別に」

つーか何でオレが責められてんだ。理不尽だ。

コツリと、ユキノの額がスティングの肩に押し当てられる。彼女が甘える時によくする仕草だ。ここでそれは卑怯だと思う。思うのだけれど、やはりどうしたって嬉しく思ってしまうのは自分が彼女を好きだからこそだ。甘えられると甘やかしたくなる。それは自分が彼女に対し負い目があるからか、それとも惚れた弱味か。少し前であるなら確かに前者であったのだろうけど今となってはどちらかは分からない。敢えて言うならば両者だ。

「なあ…」
「はい?」
「家族ってさ、そんな特別なもん…?」
「はい」
「…あー……」
「スティング様にとっての“家族”は一体何ですか?」

“何”と聞かれたはずのそれは、瞬時に“誰”に切り替わる。脳裏に白い巨体がちらついて、思わず舌を打ちそうになった。分かってソレを問うているだろう彼女は、一片の迷いもなく真摯に自分を見上げる。

「………レクター、かな」
「…そうですね」

ふんわりと寂しげに笑うユキノに胸が押し潰されそうになった。言いたくないわけではない。進んで言いたいわけでもないけれど、言えないが正しい。

誰にでも、触れられたくない部分、傷というものはある。それを棚に上げて自分はユキノに求め過ぎていることも自覚している。自分の傷は曝せないくせに、彼女には傷など構わず自分にぶつかってくれることを望んでしまう。やっぱコレってオレが悪いんだよな…。



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