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□自分本位な恋愛感情
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「マスター。まだ帰らないんすかー?」

その声に、スティングは書類から目を離して声の主を見た。

「…もうこんな時間か」
「俺、もう先に帰っちゃいますよー」
「おー」

どうやら仕事に熱中するあまり時間を忘れていたようである。窓の外では、ぽっかりと浮かんだ満月が夜空を照らしていた。

「他の連中ももう帰ってんのか?」
「はい。………あ」
「あ?」

ピタリと動きを止めたソイツに、訝しげに顔を顰める。

「あー…、多分なんすけど」
「早く言え」
「ユキノさん」

その名に、息を詰める。せっかく頭の外に追いやっていたその名が一瞬でスティングの心を満たしてしまった。

「上に行ったまま、まだ戻ってきてないっす」
「上?」

釣られるように、無機質な白い天井を見上げる。ガシガシと項を掻いて。

「……見てくる」
「じゃあ俺はお先に失礼しまーす。あ、鍵お願いしますねー?」

薄情な部下にヒラリと手を振り、スティングは上へと繋がる階段を昇った。



―――この感情を疎ましいと思う一方で、多分期待もしていたのだと思う。ギルドの最上階、虎の口を潜ればそこにはセイバートゥースに新しく出来たばかりのプールが存在する。明かりはついていなかった。だが、それが必要ない事は室内を見渡してすぐに分かった。ガラス張りの天井から覗く月明かりが、煌々と辺りを照らしている。

パシャンと、小さく水を打つ音。月の光に照らされて、青白く輝く一人の少女がそこに居た。声をかけることも憚られ、スティングは壁に凭れてその光景を見守った。

ここまでマジマジと彼女を見るのは久しぶりの気がする。普段は服に隠れて見えない剥き出しの肩。濡れて肌に張り付いた銀の髪。未だ綺麗と可愛いの間を彷徨い歩く彼女に危うげな魅力を感じて、スティングは息を呑んだ。

「スティング…様……?」

ヘーゼルの瞳に、オレが映る。驚いたように見開かれるそれに、スティングは思わず笑った。いや、嗤ったのかもしれない。

「おまえ、何時間そうしてんの?」
「えっ……と、」
「上がれば?体、ふやけちまうぜ」
「……ハイ」

不必要に逸らされた視線。忘れかけていた苛立ちを呼び覚ますには充分なもので。

気怠げな動作でプールサイドに上がった彼女の前に立つ。その視線が交差される前に、スティングはその肩を押した。

何時間も水場に浸かっていた力無い身体は、トンッと軽く押しただけで安易に後ろへと傾く。それとも、オレがこんな行動に出ることなど予期していなかった彼女の無謀さ故だろうか。

「あ…の…」

ポタリと、落ちた水滴が水面を揺らす。

「スティング様…?」

―――戸惑いに揺れる声。彼女の身体は水に沈むことなく、しっかりとスティングに抱きとめられていた。不安定な体勢、唯一彼女の腰に回る腕だけが、ココに繋ぎ止める一本の命綱だ。なんて、そんな言い方は大袈裟かもしれないけれど。

「おまえさ」
「……っ…」

ピクリと、ユキノの肩が震える。だが、スティングは構わなかった。

「なんで、オレのこと避けてんの」
「…え?」
「避けてる、だろ。オレが、何かしたなら謝るよ。けどおまえ、違ぇだろ」

なんで、避けるんだ…。最近は、ずっと、ローグにばっか…。一体これ、何の当てつけだよ…。オレって、なんなんだ。おまえにとって、取るに足らない存在か。オレが、何とも思ってないと思ってんのか。

一度決壊した想いは、溢れ出して止まらない。

「腹が、立つんだ…」

おまえとローグが一緒に居るの、嫌なんだ。なんでおまえは、オレと一緒に居ないんだ。なんで、ローグと居るんだよ。

腕の中、困惑するユキノに嘲笑を浮かべた。何も分かっていない顔で、きっと本当に何も分かっていないのだコイツは。―――だったら。

スルリと、ユキノの腰を支えていた腕の力を抜く。

「ひゃっ」

それはまるで反射神経のように、ユキノの腕がスティングの首に絡んだ。咄嗟にしがみついてしまったユキノは、密着する肌と肌にカッと頬を赤らめる。だが、それで離してしまうほど彼女も愚かではない。

「ユキノ」

もう、逃げられると思うなよ。おまえはそうやってオレにしがみついていればいい。ずっと、ずっとそうしていればいいんだ。

スッと顔を傾けるスティングに、ユキノは何かを察したのか慌てて首を振る。

「まっ、スティング様、待って…」
「嫌だ」

駄々っ子のように、ユキノの言葉に耳を塞いで、その唇をも塞ぐ。触れたところから、濡れた肌が火照っていくのが分かった。抵抗らしい抵抗もせず自分に身体を預けるユキノに、支配欲が満たされていく。足りない何かを求めて小さな唇を啄んだ。

まだ、まだだ。全然、足りない。

華奢な腰を抱き寄せて、互いの匂いが混ざり合う。重ねられた唇から洩れる甘い声。それをもっと聞きたくて、深く、深く、重ね合わせた。

「ん…っ…、は」

ぎゅっと、首に回る腕に力がこもる。それがまるで肯定のサインのようで、思わず驚いて目を見開いた。

熱を孕んだ女の瞳、赤らんだ頬、月明かりに照らされ輝く銀の髪、全てが扇情的に映る。

「ユキノ…?」

唇を、離した。とろんと、潤んだ彼女の瞳がオレを見上げる。嫌悪も拒絶も、否定的なものが何一つ感じられないソレに戸惑ったのはオレの方で。

瞬間。

「わ、悪ぃ」

カッと、今更ながら湧いてくる羞恥と罪悪感にスティングは思わず謝罪の言葉を吐いた。

不安定だった彼女の身体を支え直して、手を離す。が、それは彼女の腕が許さなかった。未だしっかりと首に回された腕に、スティングは疑問符を浮かべる。

決して嬉しくないわけではない。それよりも勝る困惑が、正常な思考回路を奪うのだ。

「ごめん、なさい…」
「…………」
「避けてる、つもりじゃなくて……、避けたかったわけでもないんです…。でも…、あの、……ごめんなさい」

辿々しいユキノの声。緊張に震えたそれに、胸の奥がキュッと縮んだ。

ここ数日間の苛立ちが、嘘のように晴れていく。

「私、本当は……」



―――ずっと、こうしたかったんです。



耳元で聞こえたその言葉。

言葉にならない感情の波に、スティングは息を詰めてユキノの身体を掻き抱いた。

分かり辛いんだよ、おまえ…。

見ようともしていなかったくせに、そんな悪態をつく。腕の中で華奢な肩が跳ねた。

もっと、何か他に言い様があっただろうに。一般的な愛の告白なんてものは、オレにはあまりにも似合わない。脳裏によぎる陳腐な言葉を追い払って、スティングは笑った。

照れくさそうにはにかむユキノの笑顔、それだけで満たされる現金な自分。

目が合って、パッと視線が逸らされる。それが照れからくるものだということは、今度はすぐに分かった。色付いた頬に、可愛らしく思える余裕も生まれる。

ただ。

「ユキノ」
「は、い」
「今度は、ちゃんとオレのところに来いよ」

ローグのところではなく。

こればっかりは、許せそうにないから。

分かりやすい独占欲。狭量な男だと思われても構わない。反抗なんて以ての外。オレの手をとったおまえが悪いんだから。それだけ、おまえが好きだってことだろう?

コクリと頷く腕の中の存在に、スティングは笑みを深めて、つむじにキスを落とした。



*end*
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