short

□ありがとう
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お嬢の帰還を祝う宴が開かれた。騒がしいギルド内にスティングはひっそりと笑みを零す。最初の音頭と、いくつかの杯を交わしたところで、スティングは執務室に籠もった。評議院の壊滅。魔障粒子の放散。タルタロスによる甚大な被害は何一つ解決していない。今の評議院に期待は出来ないだろう。上が纏まるまでは、此方で対処する事は自ずと増える。考える事が多ければ多いほど、今のスティングには有り難かった。

コツコツと響いた小さな足音の後、扉が開く。足音からその正体を察してはいたが、ノックも無いことにスティングは僅かに驚いた。オレの表情から察したのだろう。ユキノが悪戯めいた顔で笑う。

「無礼講だって、スティング様が先程おっしゃったじゃないですか」

そう言われて、そういえば最初の音頭でそんな事を口走ったことを思い出す。ちゃっかりしてやがる。

「どうしたんだ?」

ユキノが来客用のソファーに(その用途は殆どスティングの仮眠用だが)腰掛けるのを待って、口を開く。

「スティング様が一人抜け出すのが見えたから、どこに逃げたのかなって追いかけに来たんです」
「逃げ………、仕事だよ仕事」

人聞き悪ぃな、と一人ごちる。

酔ってんのか?ユキノは確かに酒に弱いが、酒癖は悪くなかったはずだ。

「はい。仕事に逃げてましたね」
「………」

……酔ってんのか?

コロコロ、コロコロ。鈴を転がしたようなユキノの笑い声が鼓膜を擽る。…酔ってるん、…だろうな……。多分。非常に珍しい酔い方だが。拭えない違和感に気付かないフリをして、書類に目を落とす。

「スティング様」
「んー?」
「すーてぃーんーぐーさーまー」
「なーにー」
「こーこっ」

パシパシと、ユキノの白い手がソファーの空いたスペースを叩く。…隣に座れってか?訝しげにユキノを見ても、彼女はニコニコと笑うばかりだ。逆らう気も起きなくて、書類を片手に立ち上がる。

「書類は置いてください」
「いや、置いてくださいっておまえ」
「置いて」
「……………」

抑えきれない溜め息と共に、書類をデスクの上に落とした。

僅か数センチの距離を空けて、彼女の隣に腰掛ける。

「なんかあったのか?」
「私ですか?何もありませんよ」
「……じゃあ何」
「何かあったのはスティング様の方でしょう?」
「はあ?」

何だよソレ。そう笑い飛ばそうとして、口を噤む。いや、噤むほか無かった。

頭を引き寄せられて、すっかり油断していたオレはがくりと肘を落とした。右のこめかみから頬にかけて、柔らかな感触に包まれる。それが何かなど、聞くのも野暮というものだろう。カッと頬が熱を持った。軽いノリで、ユキノの肩を抱いたことがある。頭を撫でたことも、髪を梳いたこともある。だが、仲間としての距離感は守ってきたはずだ。そこだけは、踏み外してはならない一線だった。だというのに、今この一瞬で、ましてやユキノから踏み越えられるなど。

「どうして何も言ってくれないんですか」

……思ってもみなかった。

「…何を」

喉が、渇く。

「スティング様なんて、そんなに強くないじゃないですか」

永らく渇望していたものを、目の前に掲げられているような気分になった。

「剣咬の虎は、まだまだ未熟です…。とても頼りなくて…、未完成です。スティング様だって、…私だって。…だから、私は此処を選んだのに…、剣咬の虎で、皆様と…、スティング様と強く…なりたかったのに、……貴方一人で抱え込んでしまわれては、私が居る意味が分からなくなるじゃないですか…」

その言い種に、スティングは少しだけ口元を緩ませた。

「…自分のことばっか、だな」
「……もっと我が儘になっていいって…、そう教えてくれたのはスティング様でしょう?」

それでも、少しだけ恥ずかしそうに頬を染める様が、スティングの心を穏やかにする。

どうしようもなく孤独で、無知で、自分から足を踏み出すことを恐れていた少女が、踏み出した大きな一歩。ユキノが繰り出す小さな我が儘でさえ、どうしようもなく愛おしくて。―――自分は今、初めてユキノの本心を耳にしているのかもしれない。

「いいぜ、我が儘。歓迎する」
「もうっ。今は私の話じゃないですったら」

むくれるユキノに、くつりと喉を鳴らす。可愛いなあ、コイツ。

「オレさ、逃げてるように見える?」
「……分からないです」
「何だよソレ」

お前が言い出したんだろと笑えば、ユキノは少しだけ申し訳なさそうに眉を垂らした。ユキノの胸に顔を埋めたまま、それを上目遣いで窺う。よく考えたら、…いやよく考えなくてもすげー格好だよな、今のオレ達って。最初こそ驚いて、動揺もしたけれど、今はトクトクと脈打つ彼女の鼓動から離れ難かった。

「…分からなくて、……分かっているフリをしたんです。知りたかったんです…」
「ふーん」

懺悔のように、そう零すユキノにスティングは適当に相槌を打った。本心から分かっていなかったとしても、ユキノは自分が出していたのだろう僅かなサインを読み取った。スティングはもうそれだけで嬉しかった。そして、どうしようもなく自分を情けなく思った。

「でも、当たってるよ」

仕事に逃げた。まさにそれだ。有り余る程の仕事量に、自分は安堵さえしていたのだから。



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