short

□今だけは
3ページ/4ページ




ぽわん、ぽわん。小さな明かりが灯る度、それは蛍のように淡い光で辺りを照らす。ついに堪えきれなくなったユキノは目の前の水面をバシャリと叩いた。

「もうっ、スティング様!それやめてくださいったら!」
「だってこう暗くちゃなーんも見えねーんだもんよ」
「いいんです、見えなくて!これ以上すると怒りますよ」
「怖くねぇなー?」

狭いバスルーム、二人の声が反響する。結局お風呂に入り直さなければいけなくなったユキノは、その身体をスティングに引かれて共に入浴する羽目になった。明かりを消す事で妥協をしたものの、スティングの手から放たれる魔法が小さな光となって浴室を照らす。これでは何のために明かりを消しているのか分からなくなるではないか。首までお湯につけて、ユキノはぷうっと頬を膨らませる。

「…怒ったのか?」

元々小さくしていた体を後ろから抱き竦められ、最早身動きすらとれない。苦しいくらいの抱擁は肌と肌の感触をダイレクトに伝え、自然と頬に熱が帯びた。やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのである。先程までの行為を思えば、こんな接触など、と思いたい。だが、全てを彼に知られて尚、だからこそ生まれる羞恥心というものもあるのだ。思い出せば鮮やかに蘇る、消えてしまいたいくらいの己の痴態。なるべく記憶の底に追いやるも、鈍く痛む下腹部がそれを忘れさせてくれない。

「私が怒っても怖くないんでしょう?」

ふてくされた態度。我ながら可愛くない。

「怖くはねーけど…、おまえを怒らせんのは嫌だ」
「何ですソレ」
「ユキノは笑ってんのが一番可愛いよ」
「っ……!」

ボシュンっと、瞬間湯沸かし器の如く赤面した頬。彼に抱き締められていなければ、態勢を崩して頭まで湯につかっていたかもしれない。それくらい情けなく動揺した自分に、スティングはまるで追い討ちをかけるかのようにその名を紡ぐ。

「ユキノ」
「な、なんですか」
「おまえが呼べって言ったんだろ」
「っ、いい、今は、いいんです。意味もなく呼ばなくて結構ですから」
「でも、たくさん呼べっつった」
「だからっ…」
「ユキノ」

ぞくんっと、身体の中心が疼く。どこからそんな声が出せるのかと、疑ってしまうような色気を含んだ声。甘い、聴いているだけで腰が砕けそうな…。

「ユキノ。ユゥーキノ」
「っ、もう」
「ユキノさん」
「わか、分かりましたから」
「ユキノ」

遊ばれている。愉しんでいる。それが分かっているのに逐一反応してしまう自分が悔しい。怒らせるのは嫌だなんて、どの口が言ってくれたのだろう。

でも。

「スティング様」
「うん?」

好きだなぁ、と思うのだ。抑揚のある声や、笑った時に下がる目尻、たまに見せる皮肉な一面も、頭の天辺から爪先まで、盲目的に彼を愛しく思う。好きだと大好きだと認識してしまった、自覚したあの日から、ユキノを構成する一部として彼は必要不可欠な人物だから。

首を逸らせて、掠めとるような一瞬の口付け。それだけのつもりだったのに、顎を固定され、ガブリと噛みつかれる。実際はそう錯覚しただけの、柔らかで、それでいて荒々しいキス。彼の左手が妖しい動きでユキノの腹部を撫でる。

「ん、ちょ、…冗談、ですよね?」
「……本気だって言ったら?」

指先が際どい箇所を掠めては、離れていく。信じられない。日付はとうに変わって、朝の列車には間に合わせないといけないというのに。

「起きられなくなっちゃいますよ」
「じゃあずっと起きてりゃいい」
「…冗談でも質が悪いです」
「冗談じゃねーもん」
「ん、あっ」

ちゅっとうなじに吸い付かれて、体が震える。ああもう、本当に質が悪い。こんな、こんな風に触れられて、私が最後まで拒絶出来るはずもないのに。身体の中でくすぶる熱は、既に彼を求めてやまない。

「…起きられなかったら、スティング様のせいですよ……」
「そんときゃ一緒に遅刻すりゃいいよ。昼でも、夕方でも、帰る手立てはいくらでもある」
「……午後からは、また雨足が強くなるかもって…」
「それじゃあ、明日もまた泊まりか」
「嬉しそうに言わないでください」
「嬉しいぜ?オレはな」
「…とてもギルドマスターのセリフには思えませんね」
「ユキノ」

名前一つで、身体中を支配される感覚。お喋りはここまでだと、過ぎた口を塞がれて、小さな浴室に新たな熱が籠もる。

明日も、雨だといいな…。子どもみたいな現実逃避だと分かっていながら、胸の内、ひっそりと願った。



*end*
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ