【スティ(?→)←ユキ】
「スティング様」
「んー?」
どこか億劫そうに返された返事を気にもとめず、彼の手で弄ばれるネコを眺めた。ネコと言っても彼の親愛なるレクター様とは似ても似つかない、薄茶色の小さなネコ。人語を解さなければ、二本足で立ちもしない、至って普通のネコだ。そもそもスティングがレクターをネコとして扱ったことなどただの一度もないのだが。
スティングに前足をとられたネコは、バンザイ状態のまま、にいにいと鳴き声をあげる。彼も別に意地悪でそうしているわけではない。スティングが手を離したところでこのネコは逃げも隠れもせず、自らスティングにすり寄ってくるのだ。
すっかりスティングに懐いてしまって。心なしか、鳴き声までも弾んで聞こえる
「どこのネコ様でしょう」
「さあなー。首輪してねーし、野良なんじゃねーの」
「でも人懐っこいですよ」
「ああー」
間延びした口調は彼が睡魔に襲われている証拠だ。暖かな日差しが降り注ぐ公園の一角。ベンチで戯れる一匹のネコ。これだけの条件が揃えば、眠くなるのも仕方のないことに思える。うつろうつろとしながらも、ユキノの言葉に耳を傾ける様はどこまでも微笑ましい。
にゃあにゃあにゃあ、ネコが鳴く。
「レクター様は、ネコ様の言葉も分かるのでしょうか」
「ネコサマ?……ああ、ネコ。どうだろ。ネコと喋ってたとこは…、見たことねーけど」
会話のテンポがズレてきた。どうやら本格的に睡魔が押し寄せてきたらしい。
「眠いですか?」
「んにゃ、起きてる…」
微妙に会話も噛み合わない。クスリと笑って彼の肩に頭を預ける。ゴツゴツとした、硬い感触。決して寝心地がいいとはいえないが、今のユキノには何より安心出来る場所だ。
「少しだけ、眠りましょう」
「………うん」
限界だったのだろう。程なくしてユキノの頭に彼の重みが落ちてくる。肩を寄せ合って、こうして二人夢の中。なんて幸福な一時だろう。すっかり弛緩した彼の手の中で、小さなネコが恨めしげにユキノを睨む。少しだけ、悪いことをしてしまったような気持ちになった。
でも、いいじゃない。アナタはもう、充分彼に構ってもらったでしょう?―――ここから先は、私にちょうだい。
心の声が伝わったわけでもあるまいに、小さななネコは長い尾をクルリと翻し立ち去っていく。それを最後に、ユキノは心地良い微睡みに意識を落とした。
「オレ、ネコってあんま好きじゃねーな…」
次に目を覚ました時、彼は寝起き特有の掠れた声でそんなことを言った。一瞬、彼が誰より可愛がっているレクター様の存在を思い浮かべる。空っぽの掌を眺めるスティングの眼には、どこか寂寥の色が浮かんでいた。
「どうしてです」
「…気まぐれにすり寄ってきたと思えば、勝手にどっかに行っちまってるだろ…。なんかオレ、そーゆーのダメっぽい…」
淡々とした声に、先程のネコへの執着心は見られない。寧ろ、特定の誰かに当てはめたような発言にも聞こえる。もしくは、これから起こる事への懸念、だろうか。
こんな時、ユキノは彼を小さな男の子のように錯覚してしまう事がある。ブルーの瞳が陰れば、きゅうっと胸の奥が締め付けられるように痛んで、その痛みと同じ強さで彼を抱き締めてあげたくなるのだ。事実、ユキノの腕は考えるより速くスティングの背中に伸びていた。抱き締めるというよりは、しがみついていると言った方が正しい不格好な抱擁。だが、これでいい。不器用なくらい、精一杯の愛情の方が彼には届きやすいから。
「離れませんから」
ずっとずっと、傍に居ます。不確定要素にまみれた約束事など、彼には響かない。だけど、今、この時間だけ、私は彼から離れてなんてやらない。そして、その“今”がこれから先ずっとずっと続けば…。彼の隣で、それを教えることが出来たなら。
「ね、スティング様。知ってますか?」
「あ?」
「気紛れなネコ様でも、人に懐くことはあるんですよ」
一度その懐に入ってしまえば、もうそっぽなんて向けないくらい。そんなの、アナタが一番知っているだろうに。
数秒の沈黙の後、ふわりと破顔したスティングに別の意味で胸を締め付けられたユキノは、熱くなった頬を隠すように腕の力を強めた。グイグイ、彼の肩口に額を押し付けて。なんだよ、なんて暢気に笑う彼には、今の私の状況など微塵も伝わっていないのだろう。
なんだかそれが少しだけ腹立たしくて、でも、そんな自分がくすぐったくもあり、ユキノは彼につられるように小さく笑い声をあげた。
コロコロ、コロコロと、鈴を転がしたような、澄んだ笑い声。それがスティングにとって何より心地良い音色なのだと、本人は知る由もなく。
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