星明り瞬き蘇り
□9.愁雲、血涙の雨
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アルノルドがエステリーゼを巡ってレイヴン、或いはシュヴァーンと対峙していた頃。残った面々は、今後の課題についてそれぞれに頭を悩ませていた。
エステリーゼの事にしても、エアルの乱れにしても、その一つ一つが世界規模の大きな問題だ。この場にいるたった数人の知恵では解決策などそう簡単に浮かぶ筈もなく、ある程度話し終えた所で皆口を閉ざしてしまう。
窓際の椅子に腰掛けているカロルも、自前の大きな鞄に視線を落としていたが、その隙間から覗く治療用の魔導器を見てハッとする。
「――あ! 思い出した!」
「ん? どうしたカロル」
「この家の表札に書いてあった名前、どこかで見たことあるなって思ったらこれだよ!」
言いながら、カロルは鞄の中で魔導器の下敷きになっていた紙を取り出した。
それは魔導器と一緒にアルノルドから預かっていた借用書の控えで、借主の欄にはアルノルドのフルネームが記されている。
「ほら、家名の部分が一緒!」
「そういえば彼、父親はクリティア族だって言っていたわね」
「って事は、ここってもしかしてあいつの実家か? でもテムザに住んでたって言ってたよな」
「アルが産まれる前に親が住んでたんじゃない? 写真とか残ってないのかな」
「うちも手伝うのじゃ!」
陰鬱としていた空気を少しでも明るくしようと、パティは率先して部屋の物色を始めた。リタは「ガキんちょ共は呑気ね」と溜息を吐きながら、しきりに窓の外を眺めている。
「そんなに心配なら、お前も様子見てきたらどうだ?」
「いいわよ。今行ったって、なんて声かけたらいいのか分かんないし……、そんな状態で行っても、かえってあの子に気を遣わせるだけでしょ」
「あっ、日記あったよ!」
「勝手に読んでしまっていいのかしら?」
「ちょっとくらいならきっと許してくれるのじゃ」
ユーリとリタをよそに、カロル、ジュディス、パティは引き出しから発掘した分厚いノートをパラパラと捲る。
「えーっとなになに、"今日は魔物に襲われていた女性を助けた、ハルルの木と同じ色の髪をした綺麗な人だ"」
「ハルルの木みたいな色って言うと、エステルみたいな感じかの?」
「"彼女は十六夜の街という場所から訳あって逃げてきたらしい。使っている言葉も独特でこの辺りではあまり聞き馴染みがない、かなり遠くから来たのだろうか"」
「十六夜の街……聞いたことは無いわね」
「うちもじゃ、世界はまだまだ広いの」
「"驚いたことに、彼女は魔導器を使わなくとも魔術が使えるらしい。見た目といい、まるで伝承にある満月の子のようだ"……って、ええ!?」
「満月の子がどうしたって?」
流石に気になって傍にやって来たユーリとリタも含め、皆に見えるようカロルが読んでいたページを広げる。
「どういうこと? エステルみたいな人が他にも居たってこと?」
「もうちょっと読んでみようぜ。……"彼女の話がどこかから漏れてしまったらしい。皆も同じ事を思ったのだろう、彼女をここに留め置くのには反対されてしまった。だが、寄る辺のない彼女を一人放り出すのは気が退ける。こうなったら、俺が街を出るしかない"――ここで終わってるな」
「これってもしかして、彼の母親の話なのかしら」
「ってことは、アルもエステルと同じ満月の子なの!?」
「父親がクリティア族ならハーフじゃの。でも、満月の子は皇族だけなんじゃなかったかの?」
「そもそも、あいつは魔導器があっても無くても魔術はからっきしだったろ。魔導器無しで治癒術が使える満月の子とは似ても似つかねぇが……」
「……ううん、そうとも言えないかも」
リタは口に手を当てながら神妙な顔で言った。その脳内では、これまでアルノルドの体質の謎について立てられていたありとあらゆる推測が掘り返されている。
「満月の子って、要するに魔導器と同じなのよ。エステルみたいな純血が完成された魔導器だとすれば、混血のあいつは未完成の魔導器みたいなもの……"エアルを消費して別の物に変換する"っていう母親の術式が、不完全な状態であいつに受け継がれたんだとしたら? 例えば、エアルを変換して放出するって部分だけが欠けていたんだとしたら……」
「集めたエアルを体内に蓄積していくだけになるわね。そこにクリティア族のエアル耐性が加われば、大量のエアルをその身に留めておける」
「成程、そういうカラクリか」
「あくまでも仮説だけど、可能性は高いと思う。魔術が効かないのはエステルがエフミドの丘でやったエアルの分解と同じだと思えば納得もいくし、魔導器が使えないのも元々あいつが持ってる術式が干渉してるせいだって考えれば――」
と、リタの推理はそこで止まった。突然家の外から爆発音が聞こえたからだ。
「何?」
「行ってみましょう」
日記を元の場所へと戻して、一行は音のした方へとひた走る。魔導器が並ぶ一角まで来て、皆は足を止めた。
「……な、なにこれ……!?」
石畳の一部が不自然に赤く染まっている。それを見て表情を険しくしたユーリは、ラピードが吠えるのを聞いて確信。
「……血だな。しかもまだ新しい」
「見て、あの魔導器動いてる」
血痕は点々と一台の魔導器に向かって伸びており、その魔導器はリタの言う通り駆動音を上げていた。恐らく先の音の出処はこれだろう。
血を避けて近くまで歩み寄った一行は、そこに魔核が装着されている事にも気付く。
「ここに何か文字が……転送魔導器……?」
「つまりそいつで誰かがミョルゾから出たのか?」
「そういう事になるわね」
「エステル……エステルはどこ?」
「おっさん達も居ねぇが……まさか……」
「まだ決めつけるのは早いのじゃ、うちは街を見てくる」
「オレ達も探そう」
一同は四方へ散らばり、街の隅々まで探し回ってから再び魔導器の元へ。
「やっぱり何処にも居ない……」
「となると、これを使って降りた可能性が高いわね」
「でも、三人で黙って勝手にどこかへ行くなんておかしいよ! それにこの血……」
「ここで何かがあったのは間違いないのじゃ」
仲間達の言葉を聞きながら、ユーリはかつてザーフィアスでレイヴンとしたやり取りを思い出していた。
自分と一緒に牢に囚われていた彼を、わざわざ釈放しに来たのは誰だった? どうして彼は牢の鍵を持っていた? 何故城の抜け道など知っていた?
騎士であるアルノルドとの不可解なやり取り、人魔戦争に参加していたという経歴、そして何より直近のあの言葉。
――死ぬ気で頑張るのは、生きてる奴の特権だわな。死人にゃ信念も覚悟も……
「……っ! なんか嫌な予感がしやがる」
「早く追っかけよう!」
「でも行き先も分からんのにどうやって……」
「む、なんと魔導器が動いているとは、これは一体何事かね?」
「長老様、いいところに」
ジュディスは状況を説明し、何か良い方法は無いかと相談する。
「そうさのう、ミョルゾの主なら何かご存知かもしれんのう」
「始祖の隷長だものね、魔導器のエアルの流れを感じ取っていたかも」
ジュディスは早速街を包むミョルゾの主と交信を始めた。何となくの方角しか分からなかったらしいが、どうやらヨームゲンの方へと向かったらしい。
「前にデュークと会った、コゴール砂漠の街だね」
「砂漠の……あんな何も無い街に何しに行ったのかの」
「すぐに向かおう」
言うが早いか、ユーリは先陣を切って走り出す。
予想が当たっていれば、エステリーゼはレイヴンに連れ去られた事になる。なら、その場にいた筈のアルノルドはどうしたか。
彼の立場とその役目を考えれば、レイヴンと共謀した可能性も十分にある。
だが、今更彼がエステリーゼを強引に連れていくとはユーリには思えなかった。最近の彼の言動からしても、騎士団を裏切ってエステリーゼの側に付いたのだろう事は明白だ。
なら、現場に残っていたあの血は――
(くそっ、外れててくれよ、こんな最悪の予想は……!)
今はただ「まだ確定してはいない」という小さな希望に縋ることしか出来ず、ユーリはひたすらに足を動かし続けた。