君に咲く風信子
□3.冬枯れの景色に遠い春
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降りしきる雪の中、山岳トンネルと高原を越えて、ザヴェートへの連絡港に辿り着く。
ここから船に乗ると帝都へ行けると発言したマリクに、相変わらず疑惑を払拭しきれていないらしいヒューバートがつっかかる。
「あなたはフェンデルの事情に随分と詳しいんですね」
「おかしいか?」
「いいえ別に。なぜそんなにフェンデルの事情に明るいのか、不思議に思っただけです」
「教官もいい歳なんだし、色々詳しくて当然でしょ」
「……悪かったな、いい歳で」
「誤魔化さないで下さい!」
「ごまかしてないよ! あたしは正真正銘二十二歳のぴちぴちお姉さんだよ」
「だから、歳の話じゃなくて……」
「けんか、だめ」
少ないとはいえ他の客の居る船着場で、よくやるなぁ。なんて他人事のように見ていたルーカスの視線の先で、ヒューバートはソフィにたしなめられて引き下がる。
「ソフィはしっかりしてるね」
「……けんかは、いやなの」
「そっか」
悲しげに俯く少女の頭を撫でて、その姿をまじまじと見る。
(……なんで、ソフィの声は聞こえるんだろう)
これまでに何度も、頭に響いてきた彼女の声。
自分のこの異能は、"人ではないもの"にしか働かないはずなのに。
目の前の、ただの人間にしか見えない少女は、そんな自分を不思議そうに見上げていた。
船に乗り込んでも、尚マリクやパスカル、そして自分への疑いを口にしているヒューバートを横目に、海面へと落ちて溶ける白い粒を眺める。
肌寒い海風に煽られている、己の腕に巻いた赤いリボンをそっと抑えながら、ルーカスは過去に思いを馳せていた。
「ここがフェンデルの帝都ザヴェートか……」
「随分霧が濃いわね」
整備され、沢山の建物が立ち並ぶ灰色の街に降り立った一行。
まずは街の住民に聞き込みをすることにしたのだが、流石にこの顔ぶれは怪しまれてしまうようで、数分と経たぬうちに兵士に包囲されてしまう。
「動くな!」
「お前たち、何者だ?フェンデル人ではないな?」
「くっ……」
仕方なく戦闘態勢に入るヒューバートを、「俺に任せろ」とマリクが制する。
「俺たちは、ウィンドルの任務に出ていて今帰ってきたところだ」
「ウィンドルだと? そんな話が信用できると思うか」
「俺の名はマリク・シザース。これが部隊証だ」
そう言って兵の前に掲げられたのは、確かに彼の言うとおりの代物だったようで。
おまけに脅し文句を利かされた兵士たちは、そそくさと撤退していった。
「……はったりで言ってみたのだが、どうやら信じてもらえたようだ」
「部隊証まで用意していたとは思いませんでした。どうやって手に入れたんですか?」
「こういう事もあろうかと以前から準備してあった。それだけの話だ」
「準備、ね……」
「いつ本当のことがばれて、彼らが戻ってこないとも限らん。調査を急いだ方がいいだろう」
明らかにマリクの発言を信じていない様子のヒューバートは、しかし何も言わずに大人しくそれに従う。
他の面々も同じで、四方八方に散らばり情報を集める。
一方でルーカスはというと、
「…………」
街の広場で、ただただ空から降りてくる白い雪を眺めているだけだった。
その傍を通りかかったマリクは、流石に咎めようと近づく。
が、それよりも早くに、広場にいた子供たちがルーカスに駆け寄った。
「おにいちゃん、さっきからずーっとなにしてるの?」
「んー? 空見てんの」
「なんでー? なにもないよー?」
「……うん、何も無いね」
「それ、たのしい?」
「ううん、別に」
「じゃあ、なんでみてるのー?」
「うーんとねー」
子供に囲まれた青年はそのまま後ろに倒れこんで、柔らかい雪に埋もれる。
そして雪を掴むように、空に手を伸ばす。
「あの向こうにね、会いたい人がいるんだ」
「おそらのむこうに?」
「うん」
「そらのむこうって、どんなところ?」
「どうかなー、俺も行ったことないなぁ」
「きっとキレイなところだよ!」
「……うん、そうだといいね」
おれもやるー! ぼくもー! わたしもー!と、元気な子供達はこぞって同じように雪の上に寝そべり始めた。
白い雪の上に並ぶその腕の1つを、マリクは掴んで引き起こす。
「怠慢は減点だぞ」
「……俺はあんたの生徒じゃないよ」
黒い髪に生える白い雪を振り落として、ルーカスは気だるそうに立ち上がった。
「ごめんね、煩いおじさんが来たから行かなきゃ」
「うん、いってらっしゃい!」
「またねー!」
手を振る子供達に、ルーカスは仲間たちには見せたことのない優しい微笑をたたえて小さく手を振り返す。
「ねえおにいちゃん、おそらのむこうにいるのはどんなひとなの?」
去り際に聞いてきた少女に、青年は答えた。
「……大事な人だよ」
それだけを言って、雪の道を歩き出す。
ルーカスは、それ以上何も言わなかった。
隣を歩くマリクも、何も聞かなかった。
けれど、それはきっとあのリボンの持主なのだろうなと、眼下でたなびく赤を眺めていた。