□始まりの前日
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+信用金庫職員×事務職員



「すいません。口座を作りたいんですケド。」


俺と彼女の出会いは、その一言から始まった。



***



今から約3年前。
俺は高校を卒業して、地元の信用金庫に就職をした。
なんでもその時の新入社員は「カーリング型」(氷の上を滑走する石のようにスムーズに就職できる)といわれており
就職氷河期だった上の世代と異なって、高卒の俺でも何とか就職する事が出来た。

最初は失敗したり怒られたりと、何度「向いてないかもしれない。」と思ったのだが
仕事を覚え、年を追うごとにあまりそう思わなくなったから、不思議だ。


「おい、総悟。何ボーっとしてんだ?寝不足か?」


昔に思いを馳せていると、隣の席で俺をどこか怪訝そうに見てくるのは、俺の餓鬼の頃から付き合いがある土方。
コイツは仮にも上司だが…昔からやることなすこと全てが気に入らない。今年の俺の目標は『今年こそ土方抹殺』だ。


「何でもありやせん。つか、朝から不景気そうな面見せねェでくだせェ。気分悪ィ。」
「んだと、コラぁああああっ?!!」


そんなに広くない俺の机をバァンと強く叩いて、土方は叫びだすもんだから
周りの職員が何事かと俺たちを見つめている。
あーあー。土方のせいで、今日集金に行く武蔵さんの通帳が机の下に落ちちまったじゃねェか。
書類もぐちゃぐちゃ…ちっ、死ねよ土方。


「総悟っ!おいテメェ、人の話を聞いてやがるのかっ?!!」
「あ、すいやせーん。俺、今からお客さんと約束があるんで行ってきまーす。」


落ちてしまった武蔵さんの通帳を素早く拾い上げ、必要な書類や伝票を鞄に詰め込んで
俺は次長席に座る近藤さんや、店長席で今日はどこに飲みに行くか考えている松平のとっつぁんに
「集金に出てくる。」という旨を簡潔に伝え、営業室を後にした。
もちろん後ろでまだ叫んでいる土方は、完全無視。





「土方のせいで早く出ちまったけど、武蔵さんと地愚蔵んとこ行って……あそこか。」





手帳を片手に今日の予定を確認し、俺は右ポケットに入っている小さな箱をそっと撫でた。





***



カブを運転しつつ、色々と回っていたら時刻は12時をさしていた。
今日の最後の集金先である夜兎商事の指定駐車場にカブを置いて、重い鞄を持ち直しつつも俺は会社のインターフォンを押した。


ピンポーン。


『はいヨー。』
「あ、すいやせん。信金の沖田ですけど、集金にきやしたー。さっさと開けてくだせェ、マウンテンゴリラさん。」
『誰がマウンテンゴリラだコノヤロぉおおおおぉおッ?!!テメッ、そこ動くなヨ!ギッタギタにしてやるネ!!!』



ブツンッという音を響かせて、その場で待つこと10秒。
ダダダダダダッというものすごい音がドア越しに近づいて来たので、俺はそっとドアから数メートル離れた。


ーバァンッ!!


「テンメェエエッ!このクサれサド野郎っ!!今日がお前の命日ネ、覚悟するヨロシ!!!」


肩で息をしつつも現れたのは、ピンクの髪にどこで売っているのかわからないグルグル眼鏡を装着したここの事務員・神楽。通称・チャイナ。
よほど怒っているのか、それともかなりの距離を全力疾走したからなのか、顔は真っ赤である。


「よーチャイナ。相変わらず元気そうだなァ。くたばってなくて残念だわ。」
「お前こそ、今最近寒くなってきたっていうのに風邪一つひいてないようダナ。さすが馬鹿はなんとかっていうアル。」


バチバチと音が聞こえそうなほど睨み合う俺たち。
その間をぴゅうっと冷たい秋風がすり抜けていくが、今の俺たちにはそんなこと全く関係ない。
信用金庫職員の俺と夜兎商事の事務員であるチャイナ。
俺たち二人がこんな風に喧嘩をするようになったのはここ最近。



だけどチャイナとの出会いは、俺が新人だった頃の3年前に遡る。



当時、研修期間を終えて今いる支店に配属された俺は信用金庫の窓口に座って、日々仕事をしていた。
一つ一つの仕事を間違えないように処理をしていく事に手一杯だったある日。
近隣の高校の制服を着たチャイナが、禿げた親父さんと一緒に俺の座っている窓口にやってきたのだ。


『新規口座ですか?ありがとうございます。作られるのは…えと。』
『あ…その。』
『俺の娘なんだが。アルバイトをするんでね、それの給料指定口座に利用したいんだ。』
『そうですか。でしたら此方の書類にご記入と、あと本日は印鑑と作られる方の…学生さんですので保険証はお持ちいただいておりますか?』
『もちろん。ほら、神楽ちゃん。』
『………。』
『神楽ちゃん?』
『あっ、は、ハイこれ!保険証!……よろしくお願いしますヨ。』
『かしこまりました。では出来ましたらお呼びしますので、お掛けになってお待ちください。』


とまぁ、こんな感じの会話だったのだが(果たしてこれが会話と呼べるのかは考えてはいけない)
3年前のチャイナは大人しくて、変におどおどしてて可愛か…いや、なんでもない。
とにかく今のような凶暴さは微塵もなかった。
その時は通帳を作って、チャイナ達は帰って行き、それっきり窓口に来ることは無かった。


その後再び出会ったのは、それから1年後。
俺が渉外(外回り)になっての事だった。

長年、信金と取引していただいてる夜兎商事の訪問を任された俺は
高校卒業したばかりでガッチガチの新人だったチャイナとそこで出会い、何度も何度も通う内に打ち解けていき…そして今に至る。


「何、遠くを見つめてんダヨ。気持ち悪い。」
「真顔で言うの止めろィ。マジで傷つくから。ガラスのハートだから。」
「プッ、お前はガラスのハートってキャラじゃないアル。」


ゲラゲラと大口開けて笑うコイツは、全然“女”って感じじゃなくて…例えるなら小学生の悪餓鬼。
どのクラスにも一人はいるであろう、まさにジャイアンポジション。
一生かかっても、しずかちゃんポジションにはなれないような、そういう奴だ。



だけど俺は、おしとやかに笑う女より、こうして馬鹿みたいに笑う奴の方が何倍も好きだ。



変に気を使わずに済むし、なにより面白い。
チャイナとの時間は、俺にとってとても心地の良いモノになっている。…本人には絶対言わないけれど。


「おーい、いつまでボーっとしてるネ?中に入らないのカ?」


ギイッ…っという 錆びた鉄ががきしむ重い音が辺りに響く。
見れば、いつの間にやらチャイナは、さっきまで意気揚々と構えていたファイティングポーズを解いており
事務所の少し古臭いドアを開けてこっちを見ていた。


残念、どうやら今日の喧嘩はここまでのようである。


俺が入るのを待ってくれているチャイナに「悪ィな。」と一言かけて、俺は事務所に足を踏み入れた。
決して綺麗ではないが味のある内部、少し遠くの方で感じる人が行き来する気配、微かなコーヒーの匂い。


“人が働いている”というこの何とも言えない感じは、渉外1年目である若造の俺にはまだまだ慣れない。


「よしっ、そろそろ仕事に戻らないといけないナ。」


俺を事務所の中に入れるという仕事(?)を果たしたチャイナは、ぼさっとしている俺の横をスッとすり抜けて営業室へと足を進めた。
この会社で一番の下っ端なうえに、見るからにトロそうなコイツの事だ。(それを口に出せばそこで命は途絶えるであろう)
まだまだやらなければならない仕事が残っているのだろう。



だけど…あとほんの少しだけ、俺に時間をくれないだろうか?



「チャイナ。」


細くて白い手をそっと掴んで、少し力を加えてこちらの方へ向かせれば
ビン底眼鏡によって隠れていた青色の瞳が俺を映す。
それに少し気を良くした俺は、今日の朝からずっと右ポケットに入っていた箱を取り出して
困惑気味のゴリラ…いや、可愛い兎の手のひらに置いた。



「やるよ。」
「へ?…はっ?」
「誕生日。お前明日だろィ?」



11月3日。文化の日。
日本の国民の祝日の一つであり…チャイナの誕生日でもある。



「なんで…誕生日知ってるアル?」
「……お前は覚えてねェだろうけど、お前が初めて窓口来た時に少しだけそのことについて会話した事があんだよ。」
「えっ?」



『あの、これ…書類。』
『ご記入ありがとうございます。…あれ?11月3日にお誕生日なんですね、もうすぐじゃないですか。』
『へっ?は、はいっ。』
『おめでとうございます。素敵な日になると良いですね。』
『あ…ありがとうございます!』



「そ、そういえばそんな会話をしたような…?というかお前、まさかその会話をずっと覚えてて……。」
「……だったら悪ィかよ。」


我ながら、女々しいというか…気持ち悪いというか。
この時の事は3年経った今でも鮮明に覚えている。



だって、あの時のチャイナの笑顔に俺の全てが奪われたのだから。



なんだかとても恥ずかしくて、言葉を発することもおろかチャイナの方へ顔を向けれない。
チャイナもチャイナで何も言わず黙ったままだから、場を支配するのは静寂のみ。

あぁ…もしかしたら嫌われてしまったかもしれないな。
だって何とも思っていない、もしくはいけ好かない奴に誕生日を覚えられていたあげく
望んでもいないのに誕生日プレゼントを差し出されたんだ。
よくよく考えてみると、これってすごく気味の悪い事なんじゃないだろうか?



でも、もう後戻りはできない。全て行動に移してしまった後なのだから。



「……い。」
「えっ?」
「すごく…すごく嬉しいアルッ!なぁ、これ開けていいアルか?」
「あ、はい…どーぞ。」



『嫌われた。絶対嫌われた。』と1人で悶々と悩んでいた事とは正反対の反応を返してくれたチャイナ。
プレゼントが入った箱を見つめる眼はキラキラと輝いていて、その表情は3年前と変わらない笑顔だった。


そして、小さな手がゆっくりと箱を開ける。





「…ネックレス?」





ちいさな飾りがついたシンプルなネックレス。
コイツの欲しいモノなんて食べ物以外何もわからなくて、店で一時間悩んでやっと購入したもの。
恋人でもないのにこういうのを贈るなんて、重いことは十分に解っている。
だけど店先でこれを見たとき、『きっとコイツに似合うだろう。』って思ってしまったんだ。


「……いらなきゃ捨てろよ。」
「はぁっ?!!お前何言ってるアルか!そんなの嫌アル!こんな素敵なモノ…絶対手離さないアル!!」
「そんなんでいいのかィ?」
「いいに決まってるダロ!私ごっさ嬉しいアル。……ありがとう、沖田。」


泣き出しそうだけど、本当に幸せそうな顔でチャイナが笑うから…俺まで嬉しくなってしまった。
コイツの誕生日を祝うつもりだったのに、俺の方が何倍も良いもん貰ってしまったようだ。






なぁ、チャイナ知ってっか?





『ネックレス』にはな“あなたに首ったけ”っていう意味があることを。



きっと知らないだろうな。
そういう事に疎いだろう?お前は。



まぁ、いいさ。それはまたの機会に教えることにしやしょう。




とりあえず、第一関門は突破した。
次の第二関門。どうやってコイツの明日一日の予定をいただこうか?





***



神様なんて普段信じちゃいない俺だけど、この時ばかりは心の底から祈った。



どうか俺に少しの勇気をくれやせんか?

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