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□別れはいつも、突然に。〜アキside〜
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―My heart was hurt.
you hurt my heart.―

『私の心は傷つけられた。あなたは私の心を傷つけた』


***


カチン。

コンロにやかんをセットして丸いツマミを勢い良く捻ると青い炎がやかんの回りをなめるように大きく上がる。

それを見ながらアキはそっとツマミを戻し、やかんを取り巻く炎を限りなく小さくした。

──これでお湯が沸くには相当な時間がかかる。
きっとその間に母の昔の話と伝えたかった想いは話せるはずだ。
アキは机に背中を預けるようにしてヤカンが見える位置に座り、膝を抱える。

(お母さんの願い…お母さんのため、だもん。)
そう、全ては母のため。

そして、母の願いは自分の事。

霊体である母が傍にいると言うことにあまりにも慣れすぎていた。

母は、もう死んだ人間なのに。
傍に母がいることに何の疑問も持っていなかった自分に呆れる。

(お母さんは私
の事が心配で…それが未練でずっと私の傍にいてくれてたんだ。)

あまりにも優しすぎる母。
私が学校でいない間はずっと、誰も自分の存在に気付かない世界に寂しさを覚えていたことは間違いないだろうに。

それでも、娘のことを…アキのことを考えていてくれた。

「お母さん…もっとわがままいってくれても良かったんだよ…?」

居なくなる直前まで、私のことばかり考えていてくれなくても。

(私は…大丈夫だから。ひとりだって…大丈夫だから…)

たとえ学校で変人扱いを受けても、周囲の大人から呆れた目で見られても、大丈夫だから。
私には、家(ここ)がある。

「寂しく…ないよ」
寂しくないなんて、それは本当は嘘だけれど。

母のためなら、我慢しようと…そう思えた。

――カタ。

微かな物音が背後で聞こえた。

「…?」もうお話終わったのかな、と物音のした方を振り向いて見るともう眠ったと思っていた祖母が起きてきていた。

「お客さん?」起きてたんだ、とアキが聞く前に直子がそう質問する。

「――うん。」
こんな時間に来訪してくるものなど、一般常識で言えば良くないのだが滑り落ちるように頷き答えたアキにそう、
と直子は頷いて戸棚に手を伸ばした。

「アキが出掛けている間にね、向かいの奥さんがお菓子を下さってね。良かったらお客さんにお出ししなさい。」
そういって菓子鉢とクッキーを取り出す直子にアキは少なからず驚きを覚える。

「おばあちゃん…今私のことアキって…」
うん、と頷いた祖母は微かに微笑みを浮かべた。

「我が子の死に向き合わないであなたには本当に悲しい思いをさせてしまったわね、アキ…」
祖母がごめんなさい、と謝る。
その謝罪に視界が滲んだ。

「おばあちゃ…」
ポロポロと我慢していた分の涙が、涙腺が決壊したかのように溢れ出す。

祖母は呆けていたわけではなかった。
子どもの死を受け入れたくない、その一心で間違いを犯しただけ。

立ち上がって祖母の腕の中に飛び込もうとしたが脚に力が入らず立てなかった。
そんなアキの元に直子が歩み寄る。

背中に回された直子の腕に力が込められる。

「ハルは…もう行くのね。」
母の姿が見えないはずの祖母が娘がこの家を離れることを感じ取ってそう確認するように呟いた。

「うん…お別れだよ。何か…伝えておくことある?」涙を拭い、努めて明るく振る舞うとううん、
と祖母は頬擦りするように頭を横に振る。

「このお菓子を持っていけばハルにはきっと伝わるわ。大丈夫よ。…さ、お湯も沸いたみたいだからお客様に持っていって差し上げなさい。」
そういって直子が先ほどは立たなかったアキの腰を掴んで立たせた。

「いってきます。」
盆にティーセットと沸かしたお湯、そして祖母の用意したクッキーを乗せてアキは部屋に向かう階段に足を掛けた。


 
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