小説

□雨宿りがもたらした神様の悪戯
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 一一一雨。

 強まる雨が嫌で、一時的に仕事を中断したグレルはリストを片手に裏路地へと入る。

 複雑に入り組んだ建物のお陰か、中に入れば雨風が少し弱まった。

「……はぁ。ツイテナイわ」

 雨が降れば自慢の髪も化粧もびしょ濡れになる。

 悪天候の度にグレルのテンションはマックスから一気に下がってしまった。

 一一一神様って意地悪ね。

 深い溜息と共に心でそう呟くグレルの視界に、ふと見慣れた建物が目に入る。

「……葬儀屋……」

 随分前に天使の件ですっかり死神界で有名となった伝説の死神一一今は現役を引退しているが。

 せっかくだから雨宿りをさせてもらおう、古びた扉を開けたグレルは勝手に部屋の中へと入り込んだ。

「お邪魔するわ……って、留守なのかしら?」

 薄暗い室内を見渡したままグレルは歩き出すと、棺の上に置かれた頭骸骨を無意識に持ち上げた。

 一一一と。

「……誰だ〜い?お客さんの頭を持ち出す悪い子は〜……」

「ひっ!?」

 ずっしりと肩に重みを感じ、何かと思って振り向けば骨の手が視界に入る。

 短い悲鳴と共に背後に後退りながら、手元から滑り落ちる骸骨の頭をガッチリと掴んでいた。

「はぁ〜い。小生の屋敷へいらっしゃ〜い」

 そこにはカチカチと音を鳴らして骨の手で挨拶をする葬儀屋がいた。

「……んもぅ〜。驚かさないでヨ!寿命が縮むかと思ったワ」

「ヒッヒッヒ……。それは悪かったねぇ」

 炎で暖まった暖炉へ案内され、葬儀屋からタオルを受け取ったグレルは濡れた髪を拭く。

「せっかくだから雨が止むまで雨宿りしていくといいよ」

「ンフッ。助かるワ。元々そのつもりだったから」

 ビーカーにお茶を注ぐ葬儀屋の横で、濡れてしまった衣服を脱ぎ捨てたグレルは上半身裸になる。

 その白い純白の裸に葬儀屋はピタリと紅茶を注ぐ手が止まるものの、すぐにグレルから視線を逸らした。

 一一一いけないねぇ。危うく持っていかれそうになったよ。

 滴り落ちる上着を絞り上げ、暖炉の傍に干すグレルはその様子に気づくことはなかった。

「……あ〜あ、びしょ濡れネ。雨が止むまで乾くかしら?」

「乾くまで気長に待てばいいさ。さあ、暖まるから飲むといいよ」

 暖まったビーカーを差し出す葬儀屋だが、一瞬その手が止まる。

「……なに?どうかしたの?」

 きょとんと、首を傾げてグレルは問い掛ける。

 知らず知らずのうちにグレルの胸へ、視線を向けていた葬儀屋は迂闊にも心を奪われていた。

「……おっと、失礼。なんでもな一一一っ!」

 ガシャンッ、と室内に硝子音が響き渡く。急に手を動かしたことにより、ビーカーから零れ落ちたた紅茶が葬儀屋の手にかかったのだ。

「ちょっと、何やってるのヨ!?とにかくアンタは今すぐ指を冷やしてきて!アタシはここを一一一っ!?」

「どうしたんだい?」

 小さな悲鳴に気づいた葬儀屋が振り向く。

 慌てたせいか、急いで拾い上げた硝子の破片にグレルは指を切ってしまったのだ。

 一一一本当にツイテナイわネ。神様の悪口を言ったせいかしら?やんなっちゃう。

 深い溜息を漏らすグレルは心の中でそう呟く。

 気がつけば目の前に葬儀屋が立っていた。

「見せてご覧」

「平気よ、これくら一一一あっ」

 時間が止まったような感覚にグレルは陥る。目の前で葬儀屋は血が滴り落ちたグレルの指を口に加えているのだ。

「……っ」

 死神として生まれて初めてグレルは経験する。

 同僚のウィリアムならハンカチを手渡しても「床が汚れるでしょう」と嫌味の言葉を一つ言うに違いない。その冷たい態度がまたグレルの心を惹かせるのだが一一一。

 方向が定まらない視線をグレルは左右へ動かす。

「……あのっ」

 ようやく葬儀屋の口から指が解放されると、長い前髪の隙間からちらりと見えた瞳と目が合ったような気がしてグレルの顔は赤く染まる。

「グレル」

 不意に呼ばれた名前。

 一一一え?

 パチリッ、と暖炉から火花が散る音が耳に入るが、今のグレルはそれどころではなかった。

 柔らかな葬儀屋の唇がグレルの唇に重なり合う。

 気がつけば葬儀屋の手はグレルの顎を持ち上げ、片方は背中へ置かれていた。

 違いの唇が重なり合ってから数分が経過する。

 一一一えっと……。

 正直、ファーストキス初体験のグレルはこれからどう行動に移せばいいかわからないでいる。

 乙女の恋愛マニュアル的な知識を得ていたとしても、実践で成功すらしていないのだから、いくらシミュレーションをしても意味がなかった。

 一一一アタシは……。

 頭はすっかり真っ白で何を考えても忘れてしまう。

 それでも、グレルの心は複雑に糸を絡めていた。今でも本命はウィリアムだと決めている。いつかはしっかりと想いを伝えようと思っていたのだ。

 一一一だからだろうか。自然とグレルの瞼から涙が零れ落ちた。

 涙に気づいた葬儀屋はようやく唇を解放するとグレルの頭を優しく撫でる。

「ごめんね」

 苦笑地味た笑みを浮かべて謝罪をする葬儀屋は静かにグレルの傍を離れていく。

「お客さんが来たみたいだから、小生は仕事に戻るよ」

 素早く硝子の破片を片付ける葬儀屋は逃げるようにその場を去った。


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