※『逃避行』サンプル


 俗に逢魔が時ともいわれる夕暮れ時、すっかり寂れて廃墟となったビルの中で、人知れずその争いは起きていた。追い詰められた者達の怒声と銃声と、ヒュン、と風を切るような音がそれに混じる。

「ぎゃあああっ…!!」
「うぁっ…」

 呆然と立ち尽くしたまま、今の状況を見ていることしか出来ない綱吉の前で、黒いスーツ姿の男達が断末魔の叫びを上げながら倒れていき、飛び散る血飛沫に綱吉が思わず小さく悲鳴を上げた。
 込み上げる嫌悪感に無意識に後退りをすれば、ドン、と壁に突き当たり、ひんやりとしたコンクリートの硬質な感触が綱吉の背中に広がっていく。
 死ぬ気丸を家に置いてきていることもあり、ハイパー死ぬ気モードになれない綱吉は、ただ黙って目の前で繰り広げられる争いに決着がつくのを待つしかなかった。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……ふむ。どうやらこの男で最後だったようですね」

 やがて、その男達に手を下した張本人である六道骸が、手にした三叉槍を振るって血を払いながら辺りを見回し、淡々と床に倒れ伏した男達を数えて確認しながらそう呟く。
 先程まで喧しかった怒声や銃声は鳴り止み、一転して静まり返ったビル内。彼らは皆、ボンゴレ十代目の命を狙うマフィアからの刺客であったが、この日綱吉の護衛であった骸が、ここに誘い込んで全て返り討ちにしたのだ。

 復讐者の牢獄に囚われていた彼は、ボンゴレファミリーの霧の守護者となることを条件に解放され、現在はクロームに頼ることなく、自身の身体を使って活動している。
 そうして次第に綱吉と骸の交流も増え、普段の物腰は柔らかだが、時折辛辣な物言いをしてこちらを戸惑わせる骸に、綱吉がようやく普通に接することが出来始めてきた矢先の出来事であった。

「ボンゴレ?怪我はありせんでしたか」
「……む、骸?」
「ええ、そうです。もう全部終わりましたから、何の心配もいりませんよ」
「あ…」

 壁際でへたり込み、顔を青褪めさせている綱吉に歩み寄った骸は、三叉槍をしまってその傍らに膝をつき、綱吉と目線を合わせると、何事もなかったかのようにニコリと笑みを浮かべて。
 穏やかな口調で声をかけられ、放心状態からようやく我に返った綱吉だったが、骸の背後の惨状が瞳に映ると、信じられないと言わんばかりの表情をして骸を見上げた。

「骸、これじゃ本当にみんな死んで…」
「ええ、そのつもりですけど?何しろボンゴレ十代目を狙う者は全て抹殺、との命令ですからね。遠慮する必要もありませんし」
「……え?抹、殺?」
「ああ…そういえば僕が居る時に刺客がきたのは初めてですから、当然こういった話をするのも初めてですね。何も聞いてませんか?」
「俺は、何も…どういうことだよ」
「簡単なことですよ。彼らのように君を狙う身の程知らずは、放っておけば次から次へと沸いてくる。だから、そういった後釜への見せしめの意味も込めて殺すんです。君の友人達がどう言われてるかは知りませんが、もとより犯罪者の僕には、刺客の始末は打って付けの仕事という訳だ」
「……そんな」
「クフフ…実にマフィアらしいでしょう?」

 そして、戸惑いながらも問いただしてくる綱吉に、骸は皮肉めいた笑みを湛えたまま、さも当然のようにそう答え、知らされた事実に綱吉の瞳が驚愕に見開かれる。
 十代目本人でありながら、自分の知らないところで下されている命令。漠然とした疎外感と共に、何ともいえない苦い思いが綱吉の胸に込み上げてくる。

「お前はそれで、良いのかよ。…人殺しの命令なんて…」
「それこそ今更ですね。もう一度言いますが、僕はとっくにこの手を血に染めている犯罪者ですよ。もうどれだけ人を殺そうが変わらない」
「……!」

 堪らず俯いて骸から視線を反らし、ぼそぼそと遠慮がちに問いかける綱吉だったが、骸がどこか自嘲めいた口調でそう告げるのを聞き、ハッと弾かれたように顔をあげ、骸に目をやった。

「骸。俺は、その…」
「クフッ、今回の件は君が気にするようなことじゃありませんよ。僕が自分で引き受けてるんですから。それに、変に同情されても迷惑なだけです」
「……っ」

 確かに、今は霧の守護者としてボンゴレファミリーに居るが、かつて並盛中を襲撃した時には、大罪を犯した脱獄犯であったことも知っている。
 それでも、まるで己を卑下するような骸の物言いに、眉を寄せて複雑な表情を浮かべた綱吉が、取り繕おうと口を開くが、それを遮った骸は、必要ないとばかりにそう言ってあしらう。

「さぁ、いい加減ここから離れましょう。彼らの仲間がやってきたら面倒だ。とりあえず、君の家に帰りましょうか」
「……判った」

 そして、グッと息を詰めて言いかけた言葉を飲み込んだ綱吉に、ニコリとどこか作り物めいた笑みを浮かべてそう切り出し、立ち上がりながら片手を差し出してきて。
 何か釈然としないものを感じながらも、骸がこれ以上応えてくれると思えず、促されるままその手を取って綱吉も立ち上がり、骸に見送られながら帰宅するのだった。

 それは、同じマフィアの世界に身を置きながらも、その心根は対極に位置する二人の始まりの日。
 綱吉の中で何かが、揺らぎ始めた日であった。


(コピー本に続く)

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ